別々の史書である。
自分自身が混同してきたために、ここで亡備録として記載しておく。
高麗12世紀成立の『三国史記』の中の百済に関する資料が「百済本紀」。
百済三書として7世紀初頭頃に成立したらしき史書が「百済本記」で、こちらは現物が百済三書はすべて現存しておらず、「本記」は逸文が『日本書紀』に引用されているのみ。従って信憑性は、「本記」は低く、『三国史記』の「百済本紀」のほうが高い。
「百済本記」逸文は8世紀『日本書紀』編纂者によって創作された可能性もある。
理由は『日本書紀』が引用した「本記」逸文に、5~6世紀にはまだ成立していないはずの国名「日本」や称号「天皇」の記載があるためである。要するに『日本書紀』が継体大王以前から、すでに倭国が日本と名乗り、大王を天皇と称していた=日本と天皇が倭国王の二千年以上の万世一系の国であることを言うがための仮冒に利用するための逸文粉飾という可能性が非常に高い、日本側にとっての「幽霊史書」であろうと筆者は考える。
なお、この件についての過去記事の箇所はすべて訂正済み。