平城三山とはどの山を指すのか?
「平城京は和銅3(710)年3月に藤原京から遷ってきた都である。和銅元年2月に遷都を宣言した元明天皇の詔のみことのり中で、平城の地について「四禽(しきん)図に叶い、三山鎮めを作なし、亀筮(きぜい)並びに従う」と、選地の理由を述べている。
「平城京は和銅3(710)年3月に藤原京から遷ってきた都である。和銅元年2月に遷都を宣言した元明天皇の詔のみことのり中で、平城の地について「四禽(しきん)図に叶い、三山鎮めを作なし、亀筮(きぜい)並びに従う」と、選地の理由を述べている。
「四禽」とは青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(北)という神獣であるが、それが図(陰陽図緯)に叶うとはどういうことか、残念ながら当時の史料でその意味内容を正確に理解することはできない。しかし天武天皇や桓武天皇が、遷都候補地の地相を陰陽師や陰陽寮の官人に見せていることからすれば、平城遷都の時も陰陽寮が関与し、陰陽師によって平城の地勢は「四禽図に叶い」良い土地であると判断されたのであろう。
次の「三山鎮めを作し」とは、東の春日山塊、北の平城山丘陵そして西の生駒山地(ないしはその手前の矢田丘陵)が、平城の地を守るように包み込んでいるということであり、「亀筮並びに従う」は占いの結果が良かったとの意味である。要は東・北・西の三方に山があり南に開けるという地勢こそ、平城の地が選ばれた理由であり、それを宗教思想によって裏付けたのである。地勢による選地はほかの都城でも行われた。
藤原京については『万葉集』に香具山が東に、畝傍山が西に、耳成山が北に(これを今、「大和三山」と呼ぶKawa)、そして吉野の山がはるか南にあるという地勢が詠われている(藤原宮の御井の歌 52)。
平安京も例外ではない。平安京を置いた山城国について、桓武天皇は「此の国、山河襟帯(さんがきんたい)して、自然に城を作なす」(『日本紀略』延暦13(794)年11月丁丑条)と述べ、山と河がめぐり、自然に城となっているという地勢の良さを指摘する。そこは平城京と同じように三方を山が囲み、南に開け、東から南に鴨川、西に桂川が流れているのである。」
舘野和己「古代都市から見えてくるまちづくりの原点」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=PzLadVB5Ov8J&p=%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E4%BA%AC%E4%B8%89%E5%B1%B1&u=www.jcca.or.jp%2Fkaishi%2F237%2F237_toku8.pdf#search='%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E4%BA%AC%E4%B8%89%E5%B1%B1'
さて、森浩一は大阪の難波京三山も推定している。
森浩一『古墳時代を考える』「前方後円墳と平城京の三山」より
難波京は今、大阪城やNHKのある上町台地のはじっこで発掘されたが、大阪城のある土地はやはり台地で、小高い山塊をこぼってできあがった。縄文海進のころは眼下はみな海である。古河内湖と史学や考古学では呼んでいるがいわゆる大阪湾である。現在の大阪市街地の大半は「梅田」で埋めた土地で、これは湿地だった「住吉」を秀吉が「うめた」地名=「うめだ」というわけである。キタもミナミもかつては海の底だった。だから高度成長期は地下鉄工事のたびに水が出て、地盤沈下に苦しんだようだ。これは教科書にも載っているから誰でも習ったはずだ。
難波京三山はだからこの大阪城台地以外はすべて人口の山=古墳である。森はそれを天王寺茶臼山古墳と御勝(おかち)山古墳であろうと書いている。大阪のヒトに茶臼山が古墳だというと驚くかもしれない。発掘では何も出ておらず最近は古墳ではなく人口の丘であるとも言われている。
この間に会員用マル秘こぼれ話あります。リンクはこの記事の一番下。
では平安京三山はどこだろうか?これは京都のヒトなら誰でも知っている。船岡山を基点にして神楽岡、双ヶ丘が平安京三山である。ここはいわずと知れた渡来人秦氏と九州壱岐島を本貫とする壱岐氏の切り開いた「山城」である。
問題なのは聞きなれない「平城京三山」である。これは諸説ある。平城遷都のさい、聖武天皇は昔からあった多くの古墳を打ち壊して平地を確保した(『続日本紀』)が、その中であえて残された古墳があった。基点となる市庭(いちば)古墳、宝来山古墳、杉山古墳である。これが三山とされたらしい。すべて人口の山である。奈良市には春日山も石上山もあるがそれらは外延部になるので山城の一角扱いとなっている。大外は笠置山地や信貴山である。
こうして三山を見てくると、では有名な藤原京三山(寧楽(なら)三山とも)である畝傍山・香具山・耳成山もどれかは人口の山ではないか?という考えが出てこようというもので、確かに奈良へゆくと大阪人も京都人もそういう噂らしいでなどと必ず口にする。
さておき、平城京にも三山はあるという話だった。ほかにも出羽三山など各地に三山はあるが、だいたいすべては自然の大きな山々になっている。近畿の三山は規模が小さいが、全部造ったとなると別の意味で規模の大きなお話になるだろう。
続きとマル秘話すべてを読む→http://blogs.yahoo.co.jp/niko2nicol/14716858.html