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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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日本は仏教国ですか?

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日本は仏教国でしょうか?
ー厳密に言えば違います。

じゃあナニ教徒ですか?
ーナニ教徒でもありません。

でも多くの世界宗教分布図では日本は仏教国に区分けしてあります。
ー宗教は確かに仏教を使います。しかしなにを信仰しているかと問われれば何もないというのが正しく、あえて規定するなら多神教の神社神道によって生まれたときから誰でも「氏子」となります。

じゃあ、神道国家?
ーそれも違うのです。無信仰者が圧倒的大多数を占める珍しい国です。仏教はお葬式の主たる手段として存在します。イスラーム教徒のように毎日アラーに礼拝する人はいませんし、宗教観にキリスト教徒のような政治性やなにもかもが依頼された生き方もしません。通常、日本人のほとんどは神や仏など意識して暮らしません。まあ、それらのいいところを取り込んで歳時記にしている程度です。


それでクリスマスやって、年末はお寺に参って、開けるとすぐ神社へ・・・
ーそういうことです。しかし人が死ぬとこれは必ずお寺の坊さんを呼んで読経してという形式をとり、命日には緒墓参りして合掌します。で、その帰りに近くの神社によってパンパンと拍手をたたいても誰もとがめたりしません。信仰にとらわれる日常を過ごさないのが日本人です。

最初は太陽信仰?
ーさあ?

え?
ー最初は、ということでしたから、さあと答えました。旧石器時代の人々が何を信仰していたか、信仰と言う概念があったのかわかっていませんので。

じゃあ太陽を信仰するようになったのはいつからでしょうか?
ー太陽を信仰するんですか日本人は?逆に聞きますが。

しませんか?
ーあなた毎日太陽に向かって礼拝しますか?しませんよね?
日本人が太陽信仰する民族だなんてどこに書いてありますか?

『日本書紀』にアマテラス大神が国家神のように・・・
ー『日本書紀』は日本の民衆のことを書いてある本じゃないですよ。あれは国家のための本でしょう。国家にとってアマテラスが最高神だとは書いてますが、そこには民衆もそうだとは一切書いてはいませんよ。勘違いしないでください。

例えば、あなたの近くの神社のすべての祭神がアマテラスさんでしょうか?違いますよね。アマテラスが脇に祭ってはあっても、それはあくまで帝国主義時代に祭ったのであるし、最初からアマテラスが主たる祭神なんてえ神社はほとんど日本にはありませんよ。古墳時代の氏族の神様は氏神、つまり先祖の霊でした。祖霊です。記紀の神々はあくまでも中央の、つまり大和地方の豪族が女性天皇を担ぎ上げるときに考え出したものです。私たちとは何の関係もない観念です。記紀のできあがった時代はちょうど女帝時代の真っ最中ですからね。ということは神社というものはその時代にアマテラスを主祭神とするようにという命令で始まっているということになります。それ以前は神社ではなく、各家庭、各氏族内で祭っていた廟であり、神も氏族や集団で別々だったはずなのです。

そもそも天皇は伊勢神宮に参ったりしませんよ。行くのは親王以下だけです。しかも天皇の代行ではありません。建前上でアマテラスさんは天武天皇~持統天皇~聖武さんの前までだけ国家神だったのです。だから『日本書紀』にはアマテラスは最初宮中に祭ってあったが伊勢に移したと前倒しで書いてありますでしょう?

聖武さんあたりからはもう仏教が国の中心に変わっていきます。神道は追いやられていくのです。それが明治時代に王政復古でまた甦った。そこで今度は廃仏運動が起きてお寺が焼かれます。敗戦によって神仏はまた混交OKになりました。

するとほんの短い期間だけアマテラスさんが太陽神だった?
ーええ、天武からせいぜい10代の期間と、明治時代から敗戦まで。たったそれだけで日本人はアマテラスは今も国家神なんだと信じちゃう。イデオロギーの恐ろしさですね。


じゃあ日本にはこれという宗教はないと?
ー宗教と信仰は違いますよ。
宗教とは国家が管理するものでした。信仰は誰もが別々の神をあがめてよかったのです。だから日本はそもそも神社が多いわけです。でも中身の神様は戦時中以外はばらばらですからね。

太陽神というのは農耕、あるいは海上交通にとっての宇宙神のひとつでしかありませんでした。まして太陽崇拝などは日本人の中にはまったくあった証拠もないですよ。
あなたちょっと戦前の歴史観の信者なんじゃないですか?時代感覚ずれてますよ。


日本人は無信仰です。
そして、ある瞬間、あるケースにのみ、古代の巫女に感染したように神を引っ張り出してくるのが好きな国民です。でもそのときだけで、すぐに忘れます。つまり不信心だということです。神仏は便利な小道具のひとつです。

坊さんや神主さんの言うことを真に受けちゃだめですよ。一番大切な国民としての自由がなくなるんですから。へえへえと話半分にしておくことです。




おまけ

京都の御寺泉涌寺さんには天武~10代の位牌がないそうですが・・・
ー御寺は平安京の天皇家の菩提寺でしたから、桓武さん以後の御位牌しかないのは当たり前です。それ以前は仏教はまだまだ国の宗教としてできあがってませんから位牌そのものがないのも当たり前です。東大寺にもそれ以前の天皇の位牌はないはずです。御寺泉涌寺の天皇の御位牌にはそれらしい戒名もありません。天皇の諱号が書いてあるだけです。要するに天皇は大昔から神道イデオロギーによって担ぎ上げられた大王ですから。

縄文、弥生時代、神とは災害神でした。だから生贄をささげます。今なら神社の供物、あれがにえです。現代でもおそらくまだ災害神が最大・最強の神でしょう。それを「後戸の神 うしろどのかみ・うらどのかみ」といいます。人を食う神です。祟ります。毎年台風や大地震として。

祟りには二種類あります。自然災害として偶発的に起こるもの、それを装って人的に暗に人を殺傷するもの。




































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