県内最古、6200年前の縄文犬の骨発見 蓮田市教委「家畜に近い」
埼玉新聞 3月9日(水)10時30分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160309-00010007-saitama-l11
埼玉県蓮田市(さいたま市の隣)の国指定史跡黒浜貝塚の住居跡から、縄文時代前期前半の約6200年前とみられる県内最古の縄文犬(柴犬メス?15センチ)の骨が発見された。
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埼玉県蓮田市(さいたま市の隣)の国指定史跡黒浜貝塚の住居跡から、縄文時代前期前半の約6200年前とみられる県内最古の縄文犬(柴犬メス?15センチ)の骨が発見された。
専門家たちはこれまでの常識である「縄文人=狩猟=犬は食べないで丁寧に埋葬する風習」の歴史観、考古学観から今回もものを言ったらしく、考古学ニュースのタイトルに「家畜に近い」との微妙な言い回しが貼り付けられている。
しかしこの犬の出土した場所にはほかに「スズキやヒラメなどの魚の骨や甲骨類」が散見され、犬の頭は15センチほどで柴犬」かと報告されている。一般に魚の骨が住居近くで出ればまず間違いなしでそれはゴミ捨て場だと考古学者は言うはずである。
以前から、「縄文人は犬は食べず、弥生人がはじめて犬食風習を持ち込んだ」という一元論的な定説に筆者は?を持ち始めている。人類の行動理念から常識的に考えれば、飢饉があれば人は犬どころか人まで食べる生き物である。だから絶対に縄文人が犬を食べなかったとは考えられないし、弥生時代に人が人を「絶対に」食べなかったとも思えない。常識の嘘ではないかと。
実際、魚の骨が捨てられている場所に、頭骨だけが出てきたのだから、これは食べたとまず考えるべきだ。少なくとも?つきでいいからその可能性を言うべきだろう。
常識の嘘というものは学者の著書にはけっこう氾濫している。
文化人類学の石毛直道氏の『日本の食文化史』にも、「縄文人は~だった」のようなひとからげ論調が散見できる。一口に縄文人と言っても、縄文時代は1万年ほども続いた長いスパンの歴史区分で、その長い時間の中で気候もいろいろ変わっただろうし、せめて前期・中期・後期程度の補足の用語はつけてくれないと、犬食問題同様、一元的なものになってしまう。せっかく目からうろこの落ちる食文化史をものしておられるのに、そういうおおざっぱなスケールでものごとを書かれると読むほうは面食らってしまう。
縄文人だろうが弥生人だろうが現代人だろうが、人間はおしなべていろんな人々がいるもので、県民性にしても一口に言われることを嫌う風が最近はテレビでさえ言われるようになっている。鹿児島県人=西郷さん=薩摩隼人=~でごわすと言う・・・とか、長崎県はみんな「ばってん、ばってん」で甘いものが大好きとか、そういう言われ方でひとくくりにされるのを嫌がるのだ。確かにそうだ。地方といってもいろんな人がいるし、県外から移住した人も多い時代である。さらに同じ県内でも地域差は必ずある。どの県だってある。列島の地形は複雑だから同じ県民で方言が違うことすらある。
歴史ではさらに環境変化がある。旱魃もあれば多雨もあった。そうした長いスパンの中でどうしても愛犬を食べねば生きていけなかった時代もあっただろう。そう考えるのが当たり前である。これはよくあった話だが、家で卵をとるために飼っていた鶏に、子供が名前などつけてかわいく思っていたら、ある夜、鍋物が出て「どうしたことか?えらいごちそうだな?」と不振に思いつつ鍋に舌鼓を打ったあとで、それが可愛がっていたニワトリだった、、、みたいな話をある世代の人がよく酒の肴にしゃべっていた時代がある。そんなもんでしょう、生活なんて。
で、縄文人だって犬を食ったというのが正しかろう。
縄文人の生活の常識では、階級がなかったというのも常識であるが、これも残念ながらいくらかはあったことが墓の中身の差であきらかになっている。
学者やマスコミは常識、定説の破綻を嫌うようである。ロボットやPCでさえ論理が矛盾するとき動作をストップする(停止性問題)。人間の場合は停止はしないかわりに、論理を置き換えることで破綻を乗り切る癖がある。それはちょっと困るのである。