城とは東アジアではそもそもが城と郭を併せ持つ。
万里の長城は郭であるが、防衛上城の機能も持っているので長城である。
郭とは周囲を囲む壁である。
古代の倭の墓室について魏志は、棺はあるが郭はないと書き記した。
この場合の郭も、棺の周囲を取り囲む壁を言う。
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かつての都・京都平安京は周囲を山々という城壁に囲まれていたので、これを「やましろ」と桓武天皇が名づけた。この「やましろ」とは山という郭に囲まれた城という意味になる。
自然の要害を持ち、さらに周囲を海に囲まれていた日本では、これまでまったく城郭という、周辺諸国からの脅威に対する防衛観念がなかったということだろう。そこには専守防衛どころか、大陸的戦闘概念も防衛概念もまったくほかとは違う「城」への思いがある。
日本では往古から「城」とは「柵」である。柵条を設けて外敵から一族を守るためにある。
「しろ」とはかつての京都を山背と表記したように、背後を囲むものがあるという意味だが、そもそも「しろ」とは「代」で、「よりしろ」である。頼るべきもの。現代で「のりしろ」という言葉が残っているが、これも周囲を囲む余白という意味で、郭のことである。つまり城とはそもそも郭に囲まれた居住空間になる。その「代」とはつまりは「囲まれた」ものという概念になる。だからある期間のことを「時代」と呼ぶ。ある時間と時間に囲まれた一定の時間枠。つまり時の「区」である。