青旗(あをはた)の木幡(こはた)の上をかよふとは
目には見れども直(ただ)に逢はぬかも
目には見れども直(ただ)に逢はぬかも
万・巻二(一四八)近江天皇
日本人は自然に対して非常に細やかな表現の語彙であふれる世界に生きている。にもかかわらず、日本人の古い和歌や俳句で「青」という言葉になかなか出会えない。『日本書紀』の人名に飯豊青皇女があるけれど、短歌では寡聞にして上記引用した一首くらいしか自分には思い浮かばなかった。短歌では青を「藍 あい」としてあるものはかなり見られる。しかし実際に見る藍色は群青色で深く、いわゆる一般が思う青とはかなり違う色である。むしろ紺に相当する。ただし藍色も水で薄まると青に見える。「あお」は[O]で終わり、「あい」はより情緒性のある[i]で終わるからかも知れない。形容詞がおしなべて「い」で終わるのはそういうことかも知れない。よみあげる芸術である短歌・吟遊詩では、そのほうが詩的に聞こえるからか?
民俗誌では「あお」は墓地、聖地であり中国でも「青山 せいざん」にはそうした意味がある。日本の「あおやま」地名は往々にして墓場である。そのために、和歌であまり詠われないのかも知れない。碧緑(へきりょく)などという言葉もあるが漢語であり大和言葉ではない。しかし一方で「みどりご」「みどりの黒髪」などという美的な生命力語彙にも使う。
現代日本で信号機の三色の色を「あか・あお・きいろ」というのは慣用句ともなっているが、ちょっと前まで「あお」はあきらかに緑色だった。今は緑と青の中間色の信号機が多くなった。筆者が子供のころ、大人たちは木々の緑を「あおい」と表現する人が多かった。しかし今の若者は緑色は緑とおそらくはっきり言うのではないだろうか?
美術で往古の日本人は青~黄色の色彩を一括して黒としており、やがて青・緑・黄を「あお」と表現するようになったという。青や緑は陰影によって深くも浅くもなるし、緑青や銅板なども酸化して青~緑色の緑青を吹く。装飾古墳の色を今見ると、黒く見えるところは、実は本来深い緑や紺だったとい解説を読んだことがある。日本人は色に対して、意外にあいまいな表現をする。その一方で、色を扱う職人の世界では、驚くほどの微妙な色の名前を使い分けるのである。
アメリカの人類学者ブレント・バーリンとポール・ケイの共著『色彩基本語―その普遍性と進化―』1969 では、世界の98言語の色彩言語を検討しているが、そこから二人は「いかなる言語にも2から11の色彩基本語が存在し、それらは七つの段階を経て進化した」という仮説が立てられている。さらに「六つ以上の色彩基本語が見出される社会では「緑」と「青」はかならず分化しているとも書いている。すると一般日本人の色彩表現は、実は世界では古代社会のままかも知れないなと思ってしまうのである。ある一方では世界に例のないほどに色を使い分けている職人がいるのに、一般人は青も緑も「あお」でひとくくりにしてしまっているわけなのだから。
「あおあおとした木々の緑」という、外国人が聞いたら聞きなおしてしまう表現を持っているのが日本人である。
カリフォルニア大学バークレー校大学院セミナーの調査では基本色彩とは黒・白・赤・緑・黄・青・茶・灰・紫・橙・桃の11色だとしてある。その進化の順番はまず白、黒であり次に赤、緑~黄は第三~第四段階に加わる。そして第五段階でようやく青が認知され、その後茶、紫、桃、橙、灰が加わったとしてある。もっとも調査した人々は全員アメリカ人でロサンジェルス在住者という偏ったところもあって一概に世界中がとはいえないかも知れないが、現在この結果は神経学、心理学、美術史など幅広く応用されているのでかなり学会の常識への影響力がある。
間違いがないと思われるのは白・黒・赤の順番である。
少女時代から失明し、手術で直った女性から医師や人類学者が聞き取った色の認知の順番では、数十年ぶりに最初に目を開いた彼女は「(世界が)白いわ」=明るいと第一声。つぎに赤や緑に対して黒ではないかと答え、数日後に赤いを認識したという。
白とはこのように、光の色であり、明るいこと、まばゆいことを意味する色である(マーシャル・サーリンズ『色彩と文化』1976)。そして目の弱い者には、黒は濃い色のすべてがそう見えるようである。これはつまりコントラストの認知であり、そのまま人類の色への認知の進化に相当するだろう。コントラストはまず対象物のシェイプを認知したときの第一印象ということになる。あらゆる生物は、事物の形状を白と黒のコントラストでまず認識しているのであろう。それは人類以外の動物の多くが白黒世界しか見ていないという生物学の判断に合致する。
アルゼンチン サンタ・クルス州クエバ・デ・ラス・マノス洞窟手形
そしてあの明るくまばゆい物の中で次に認知されるのが赤だ。赤には民族誌の分析では生命、血のイメージがあるのと同時に、間逆の死のイメージももたれている。仏壇の金糸の布は赤と金であや錦のような模様があるが、それには死のにおいが感じられる。また赤は多くの世界で女性、不浄、左手のイメージが、白や黒には男性、神聖、右手の意味が多く持たされているという。ヴィクター・ターナーは北西ザンビアのンデンブ族では、白・赤・黒は「力の源=神に関する共通色」だと言う(『儀礼の過程』1976)。民俗分類学研究のパイオニアであるハロルド・コンクリンはフィリピンのハヌノー社会における四つの色彩語彙は、明るさ、暗さ、湿り具合によって分類され、その分類は西欧の分類基準とは異なると書いている。
この三色は一種の初源的分類、要するに人類が最初に認知した色彩であるというのがいまや定説である。
およそ原始的生活をいまだ続ける社会において、色彩はその認知している色数こそ少ないが、この三色を基本にした分類方法で、ありとあらゆるものを区分けしているようだ。おそらくそれは日本の古代人もそうだっただろう。それは新たに認知した色彩についても、当初はこの三色によって整理されてきたということでもある。すると青や緑や群青や藍はおしなべて黒っぽい色で黒になるわけであり、オレンジやピンクや小豆色はみな赤になるし、まぶしい色はみな白で済ませていただろうと想像できる。
とうことは日本人がついこの間まで緑の木々をあおと言っていた区分方法は部族社会的な時代感覚が残存してきたということになりそうである。要するに日本の社会には、まだ非常に多くの古代的な、事物、事象への認識・認識の枠組みが残存したままだということに気づくのである。それは言い換えればあいまいさであり、ウエットであり、主観性であり、ヘテラルキーであり、いまだディベロップメント(デザインよりも機能重視)のままであることになるだろう。ということは他者を意識しないですむ社会が日本人社会だということになる。それが原住民的な社会なのである。そういう民間人と、一方で極端にエラボレーション(過剰意匠)の民間人が混在する不思議な世界が日本である。
それは古代と近代の同居だと言ってもいいだろう。