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『日本三代実録』貞観11年間災害記事に見る肥後熊本で起きた災害記事
貞観11年
2月26日 大宰府言しけらく、『從五位上火男神、從五位下火神の二社、豊後国速見郡鶴見山の嶺(大分県別府市鶴見岳山腹にある火男火売女ほのうほのめ神社のこと。別府温泉郷の守護神、火の神、地主神)に在り。山の頂に三つの池有り。一つの池は泥(にご)りて水の色青く、一つの池は黒く、一つの池は赤し。去る正月廿日(はつか)に池震動し、その声雷の如く、しばらくして?(におい)流黄の如くにして国内にあまねく満ち、磐石の飛び乱るること上下数なく、石の大なるものは方丈、小なるものも甕(かめ)の如く、昼は黒雲蒸し、夜は炎火熾(も)え、沙泥雪のごとく散りて数里に積りき。池中に元温泉出づ。泉の水沸き騰(あが)りて自ら河流を成し、山脚の道路、往還通はず、温泉ほ水衆流に入りて、魚の酔ひ死ぬるもの千万数、その震動の声三日にわたりき』と。
2月26日 大宰府言しけらく、『從五位上火男神、從五位下火神の二社、豊後国速見郡鶴見山の嶺(大分県別府市鶴見岳山腹にある火男火売女ほのうほのめ神社のこと。別府温泉郷の守護神、火の神、地主神)に在り。山の頂に三つの池有り。一つの池は泥(にご)りて水の色青く、一つの池は黒く、一つの池は赤し。去る正月廿日(はつか)に池震動し、その声雷の如く、しばらくして?(におい)流黄の如くにして国内にあまねく満ち、磐石の飛び乱るること上下数なく、石の大なるものは方丈、小なるものも甕(かめ)の如く、昼は黒雲蒸し、夜は炎火熾(も)え、沙泥雪のごとく散りて数里に積りき。池中に元温泉出づ。泉の水沸き騰(あが)りて自ら河流を成し、山脚の道路、往還通はず、温泉ほ水衆流に入りて、魚の酔ひ死ぬるもの千万数、その震動の声三日にわたりき』と。
3月3日陰陽寮言しけらく、『今年夏季、まさに疾病有るべし』 p448
5月26日陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ(驚濤)湧き上がり、くるめ(泝)き、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみ(滄溟)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たから(資産)も苗もほとほと残るもの無かりき。(貞観東北大震災津波記事)
7月7日 地震
7月8日 大和国十市郡椋橋山の河岸崩れ裂けき。
7月14日 肥後国に大風雨あり。瓦を飛ばし樹を抜き、官舎民居の転倒する者多く、人畜の圧死するものもあげて計ふべからず、潮水潮溢して六郡を漂没しい。水引きし後、官物を捜摭せしに、十に五六を失ひき。海より山に至る、その間田園数百里、陥ちて海となりき。p458
8月6日 大宰府言しけらく、『肥後国阿蘇郡正二位勲五等建磐龍命神、正四位下姫神の居せる山嶺、去る5月11日の夜、あやしき光照り輝き、12日朝、振動して崩るること広さ五丈ばかり、長さ二百五十丈ばかりなりき』と。
8月8日 大宰府に下知して、豊後国をして神の山の崩れし怪(かい)を鎮謝せしめき。
9月7日検陸奥国地震使を任ず
9月25日 (大和で)地震
10月13日陸奥国の震災を慰問せしめ給ふ
10月17日 昼、流星有りて東南に行き、光地を照らしき。
10月23日 如聞(きくならく)、肥後国迅雨暴を成し、坎徳災いをなして、田園ゆえに淹傷し、里落それによりて蕩盡しきと。 (私による略) 壊垣毀屋の下のあらゆる残屍乱骸ははやく收埋を加へて、曝露せしむべからず p464
11月23日 彗星、紫微宮の西にあらはれて内階を貫き、長さ五尺ばかりなりき。
11月29日災難消去のために諸国をして読経せしむ。
『さきに天文変を告げ、地理妖をしめす。龜に謀り筮に謀るに、誠に国の慶びにあらず。しかのみならず陰陽の書の説に、来年戌子、まさに水旱疾疫の災あるべしとなり。』
11月30日 日の上に冠有り、左右に珥(じ)をなし、色黄白なりき。
12月14日 災害異変により伊勢大神宮に奉幣す。
「肥後国に地震風水(かぜあめ)の災いありて、家ことごとくに倒れ、くつがえり、人民多に流れ亡せたり。かくのごとき災い、いにしへよりいまだ聞かずと、おきなたちも申すと言上したり。しかる間に陸奥国また常に異なる地震の災い言上したり」
「天の下、躁驚なく、国の内平安に鎮め護りたすけ賜ひ、皇御孫命の御體を、常磐堅磐に、天地月日と共に、夜の護り昼の護りに、護り幸へめぐみ奉り給へと、かしこみかしこみも申し賜はくと申す。 」
12月23日 地震。
参考サイトhttp://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2011/04/post-2844.html
当ブログ過去記事http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54152430.html
参考資料『訓読日本三代実録』訓読者武田祐吉、佐藤謙三(臨川書店 1986)
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熊本記事だけを取り出して並べてみる。
1 天変地異の予兆 2月26日 大宰府言しけらく、『從五位上火男神、從五位下火神の二社、豊後国速見郡鶴見山の嶺に在り。山の頂に三つの池有り。一つの池は泥(にご)りて水の色青く、一つの池は黒く、一つの池は赤し。去る正月廿日(はつか)に池震動し、その声雷の如く、しばらくして?(におい)流黄の如くにして国内にあまねく満ち、磐石の飛び乱るること上下数なく、石の大なるものは方丈、小なるものも甕(かめ)の如く、昼は黒雲蒸し、夜は炎火熾(も)え、沙泥雪のごとく散りて数里に積りき。池中に元温泉出づ。泉の水沸き騰(あが)りて自ら河流を成し、山脚の道路、往還通はず、温泉ほ水衆流に入りて、魚の酔ひ死ぬるもの千万数、その震動の声三日にわたりき』と。
2 肥後で暴風雨 7月14日肥後国に大風雨あり。瓦を飛ばし樹を抜き、官舎民居の転倒する者多く、人畜の圧死するものもあげて計ふべからず、潮水潮溢して六郡を漂没しい。水引きし後、官物を捜摭せしに、十に五六を失ひき。海より山に至る、その間田園数百里、陥ちて海となりき。p458
3 肥後風雨と地すべり 10月23日如聞(きくならく)、肥後国迅雨暴を成し、坎徳災いをなして、田園ゆえに淹傷し、里落それによりて蕩盡しきと。
壊垣毀屋の下のあらゆる残屍乱骸ははやく收埋を加へて、曝露せしむべからず
p464
4 肥後大震災と暴風雨 12月14日災害異変により伊勢大神宮に奉幣す。肥後国に地震風水(かぜあめ)の災いありて、家ことごとくに倒れ、くつがえり、人民多に流れ亡せたり。かくのごとき災い、いにしへよりいまだ聞かずと、おきなたちも申すと言上したり。しかる間に陸奥国また常に異なる地震の災い言上したり」
5 鎮撫・阿蘇神社 「天の下、躁驚なく、国の内平安に鎮め護りたすけ賜ひ、皇御孫命の御體を、常磐堅磐に、天地月日と共に、夜の護り昼の護りに、護り幸へめぐみ奉り給へと、かしこみかしこみも申し賜はくと申す。」
この年は各記事から類推するに気候の状況がラ・ニ-ニャだったのでないかと見える。というと前年はエル・ニーニョだったとも思え、奇しくも去年から今年の気候動向に非常に似ていることに気がつく。いや、筆者の自戒としては、先の東北大震災の記事をいくつか書いたときに、肥後の記事を軽く見過ごしてしまっていたことに愕然とさせられたのである。
記事から推察するに、陸奥で大震災と大津波が起こって、その夏に肥後で天変地異が始まるのであるが、まず先駆けとして夏に暴風雨(大型台風)があって、地盤をかなりゆるめられ、その後秋にも長い雨が続き、多くの死者が出た。そして12月に地震と雨が来ている。
翌年12年~13年にも天変地異が続き、鳥海山と開聞岳の噴火が起きたという。http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2011/04/12-4ee1.html
大震災が起きた陸奥と地震の起きた肥後もそうだが、列島の南北に非常に離れた地域でほぼ同時に地異が起こる。これはまさに3・11東北大震災から今日までの流れとほぼ一致してしまうのである。
(いや、もっと長期的視線では阪神・淡路大震災からすでにそういうシナリオは始まっていたかも知れない)
つまり地球規模で考えるなら、今回の熊本・大分地震は確かに断層横ずれ型直下型ではあるが、大元はやはりプレート移動によった連動であることが見えてくる。火山の噴火もまた連動しあうとも言えるか。すべてがつながっていると見るのがよかろう。地球的な動きが引き起こす一連の災害連鎖でくくるのがどうやら整合である。だからこれまでの地震学者のような、「一度きりの地域的災害だ」、で見過ごさずに、前後数百年~数千年間の巨大な流れで巨視的に見直すべきなのが大災害だ。もちろんひとつのプレートの移動はほかのプレートへも次々に作用していく。それがいったいいつ現象として地表に現れるかは、まさに龍の出現のように神出鬼没である。人にそれがわかろうはずはない。今後も早期の予知は不可能だろう。
今回の熊本の場合、本当の大災害は、むしろこれから始まる梅雨や台風シーズンがもたらした雨によって、「大蛇が龍に変化する」ような土石流災害ではないかと思う。この地震とゆるんだそれでなくても脆弱な地盤が、一気に河口部有明海へ向かってなだれをうって流れ落ちることは充分に考えておくべきだ。
大蛇~龍とは、地震の地すべりの様子がヤマタノオロチなら、そのあとの土石流はそれを上回るサイズだという意味である。それは果たして地主神であるスサノヲでも手に負えるかどうか・・・。
要するに言える事は、一番怖いのは水なのだ。
津波もそうである。東北大震災をあれほどの大災難にしてしまったのは大地震よりも津波だった。さらにそれを未曾有の悲惨に陥れたのが人為がなした開発と原発だった。今回も感じたのは、大自然はまるで人間に天罰を与えるかのように原発隣接地域に災害をもたらした。それが偶然ならば、一番悪いのは、その断層、その大地溝帯のそばに危険なおもちゃを作る人間なのではあるまいか?
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