この10年、私は全国の古代史遺跡、スポットをさ迷った。中でも、今、大地震の終わらぬ連続に、経済的にもうちのめされ、観光的にも見放されていこうとしている九州各地の魅力あるスポット巡回遍歴をもう一度転載しておこうと思い立った。
今朝も朝から地が振動している。果たしていつまで続くのか知れぬこの地震。私もいつまきこまれるか知れないなかで、素敵な熊本、神秘の九州をもう一度という思いが強くなった。みなさんも、この地震が終わったら、また九州へぜひ来ていただきたい。まだまだ九州は終わったわけじゃない。
私の九州、古代史への思いは、今から30年以上前、福岡県の装飾古墳を訪れたときから始まる。九州の古代史の最大の魅力がこの装飾古墳である。その大半が実は熊本県に存在する。
プロローグ
まずは画像のみで。
蛇の民族と出会う旅。
祟られた旅である。
祟られた旅である。
阿蘇のうなり
九州の旅はいつも阿蘇大観峰(だいかんぼう)から始める。
うしろに大分の屋根九重連山を置いて、阿蘇は広大である。
その大観峰の足元、やや東方向に阿蘇国造神社と中通(なかどおり、なかどおし)古墳群がある。
一般の観光客が気がつかないほど、その姿は阿蘇千枚田、千町無田の緑にまぎれこんでいる。
阿蘇には阿蘇神社と阿蘇国造神社の二社があり、観光客が通うのは阿蘇神社のほうである。その、今回の地震で楼門が崩壊してしまった阿蘇神社は、阿蘇・肥後開闢の神である建磐龍命(たけいわたつ)の命以下、肥後全土の先住民の神々12柱が祭られる。一方阿蘇国造(こくぞう)神社にも同じ神が祭られるが、なぜかここにはなまずを祭る鯰社があって、阿蘇氏には『日本書紀』持統天皇紀に、大風や地震鎮護のために阿蘇氏を全国に派遣した記事がある。主にここ阿蘇と信州諏訪、東国常陸などの宮司、国造として彼らは絶大な勢力を持つことを許された。それは今で言えば知事以上の力を持ち、国造とはその国の租庸調を一手に集める国税局長官でもあった。
阿蘇氏とは、多氏出身であるという説が存在するが、長目塚を始めとする数十の古墳群で多氏装飾古墳は一基しかないので、不明である。
◆阿蘇の田歌
ひとつ歌いてこの田の神に参らせう
神も歓ぶ 田主も 植えて歓ぶ
吹けや浜風 なびけやササの若立て
ササの若立て枝うちはえて雑々めく
枝は雑々めく殿ばら心雑々めく
宇奈酒飲むには 肴がのうては飲まれぬ
肴さかなと買うたれば まこもヶ池の子持ち鮒
二番肴と乞うたれば 瀬帰山越ゆる雁の鳥
ひとつ歌いてこの田の神に参らせう
神も歓ぶ 田主も 植えて歓ぶ
吹けや浜風 なびけやササの若立て
ササの若立て枝うちはえて雑々めく
枝は雑々めく殿ばら心雑々めく
宇奈酒飲むには 肴がのうては飲まれぬ
肴さかなと買うたれば まこもヶ池の子持ち鮒
二番肴と乞うたれば 瀬帰山越ゆる雁の鳥
阿蘇に住みたや坂梨越えて
宮の地宮地名どころや お宮に楽は絶えせぬ
まいれば諸作はこころのままに実らせう
天が下に国土もおだいに
五穀成就して 人民ますます繁栄
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/aso.html
宮の地宮地名どころや お宮に楽は絶えせぬ
まいれば諸作はこころのままに実らせう
天が下に国土もおだいに
五穀成就して 人民ますます繁栄
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/aso.html
「熊本阿蘇国造神社の虫送り行事の生娘「うなり」は顔を白い布で覆い隠し、頭に(阿蘇の神への神饌の品々を入れた)櫃(ひつ)を乗せて炎天下、水田のあぜ道を行進した挙句、神の前で自決し、自らが生贄となった・・・」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54099622.html
窪田蔵郎『増補改訂鉄の民俗史』によると、うなりは「宇成」と書いて、鉱山労働者のための給食係・・・すなわち今も炭焼き用語として残っている「かしぎ」のことを指した言葉らしい。
うなりはもとは月経を終えた老婆の役目であった。
それは山に女性が入れないという禁忌から始まる。月経は「赤不浄」であるから、それがない老女ならば不浄の心配がないわけである。実際、「ねこばば」「やりてばばあ」などの言葉はまかないの老女が砂金などをよく盗んだことから生まれてきた言葉で、昔から男女の心配事の必要がなくなった老女たちが山に入って賄いをしている話は宇江敏勝もちゃんと書いている。
阿蘇神社のこの祭りは、だから山師の元締めである阿蘇神社、国造神社へ山の神への食べ物(みけ)を運んだのが始まりだと解明できる。阿蘇大宮司は阿蘇氏出身者であり、鉱山労働者の元締めであるから理屈がちゃんと通る。
2007/4/26 かわかつワールドより転載
うなりはもとは月経を終えた老婆の役目であった。
それは山に女性が入れないという禁忌から始まる。月経は「赤不浄」であるから、それがない老女ならば不浄の心配がないわけである。実際、「ねこばば」「やりてばばあ」などの言葉はまかないの老女が砂金などをよく盗んだことから生まれてきた言葉で、昔から男女の心配事の必要がなくなった老女たちが山に入って賄いをしている話は宇江敏勝もちゃんと書いている。
阿蘇神社のこの祭りは、だから山師の元締めである阿蘇神社、国造神社へ山の神への食べ物(みけ)を運んだのが始まりだと解明できる。阿蘇大宮司は阿蘇氏出身者であり、鉱山労働者の元締めであるから理屈がちゃんと通る。
2007/4/26 かわかつワールドより転載
阿蘇のうなりの女たちは往古神への生贄である。
その神は災害神である。
彼女たちは神へ神饌が入ったおひつを頭にのせて、炎天下の阿蘇千枚田を一列に並んで阿蘇神社と国造神社へ向かう。真夏である理由は、疫病・虫送り行事だからだ。中央で言うならば八坂神社のおけら参りなどと同じ意味を持つ。稲につく害虫、真夏の疫病を神として、その神にご機嫌をうかがう饗宴を執り行うのが虫送りである。
そして神の御前に神饌を届けたあと、神前は密閉され、うなりたちは自害したという。つまり「神がうなりたちを食らう」ことによってこの儀式は成就した。
いわゆる人を食う災害神への饗宴こそが生贄である。