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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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縄文海進以前に原日本人たちは海を船で渡れたか?

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国立科学博物館・海部陽介理論
「約20万年前にアフリカで誕生した現生人類が日本に渡ったのは、約3万8千年前とされている。チームを束ねる同博物館の海部陽介・人類史研究グループ長によると、ルートは三つ。朝鮮半島から対馬を通り九州へ入る「対馬ルート」、台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」、ユーラシア大陸の北側からサハリンを経由する「北海道ルート」だ。」
http://www.asahi.com/articles/ASJ29360GJ29ULBJ003.html

「5万年前、アフリカを起源に全世界へ拡散した現生人類、ホモ・サピエンス。アジアはヒマラヤの南と北を進み、東アジアで再び合流、3万8000年前、ついに日本へ上陸する。第一波は朝鮮半島から対馬を経て九州へ渡り、続いて台湾から沖縄へ、陸続きだった樺太から北海道へと、三つのルートでやってきた。日本人の祖先が旅した壮大な道のりを最新の研究結果とともに解き明かす『日本人はどこから来たのか?』を書いて、現代人の想像を超えるクリエイティビティに満ちた祖先たちの姿を浮かび上がらせた、国立科学博物館人類史研究グループ長の海部陽介氏に話を聞いた。」

「これは、アジアでは南岸伝いにまず移住し、遅れて内陸に拡散したとする説で、欧米の研究者を中心に論じられ、受け入れられてきた説です。アイデアとしては面白いんだけど問題の多い説で、裏付けとなる証拠がない。それに、進化し新たな能力や創造性を備えたホモ・サピエンスが、2万年もの間、ただ海岸にへばりついていたとは考えづらい。そこで各地の遺跡証拠を厳密に解釈し、確実なものだけをプロットしてみると、4万7000年くらい前に爆発的に遺跡が出現する。アジアでは最初から南北に同時拡散が起こっていて、全体的な傾向がクリアに説明できるようになったのです。」

「日本では3万8000年前から遺跡の数が爆発的に増えてるんです。これはその時期ホモ・サピエンスが渡来したとしか考えられない。日本に残るユニークな例として、よそでは出土していない台形様石器や円形キャンプのような環状ブロック群の跡、そして世界最古の落とし穴や往復航海があります。中でも黒曜石採取のため産地である神津島との間を往復航海するなどは、渡来してすぐにやっている。これは驚くべきことです。「往復」とは、「漂流」と違い、航海術を持って意図して行っていたことを意味しますから。」




これが海部氏が沖縄の海を渡ってみようとする理由であるらしい。
ここには考古学的実証論はあるが、遺伝子DNAからの分析論は見えない。
考古遺物の痕跡から、氏は、人類がアフリカを出て分岐してゆく中で、アジア人の祖先はアジア大陸の南北二つのルート(草原と海岸部)でほぼ同時に移動を開始し、やがて再び中国北東部で巡り会ったと言う。(歴史好事家なら『日本書紀』にある四道将軍の、大和から日本海岸と太平洋岸を別々に東征し、会津で出会った話が思い出される)日本列島へはその再開した子孫ハイブリッドが、時間を隔てて三箇所からやってきた。1、シベリアから北海道、2、朝鮮半島から九州、そして3、台湾から沖縄である。

遺伝子学ではその割合が現代日本人のDNAに残存していることでわかる。今のところmtDNA遺伝子ではバイカル湖あたりの原アジア人のものが一番多く、これは1と2の移動者の形質であろう。しかし3の形質、遺伝子では南方インドシナあたりの形質は日本人では一番少ないとされている。これは現在、核ゲノムの分析によって見直しの最中である。

環境歴史学では、琉球列島には二つの「渡れない海」が存在し、港川人の九州渡来はなかったと見られている。のちに縄文後期の「貝の道」によって「西九州から沖縄への渡来」は起こったことが考古学で解明され、沖縄人の本土来訪はそれ以降のことだったとされている。なぜなら貝だけをとりにいったなら、沖縄にその加工所はないはずで、本土にあるはずだが、そうではなく加工は現場の沖縄でやっていたし、のちに沖縄が独自で中国や半島へタカラガイを運ぶようになれたのも、西九州人が開発した貝の道のおかげだとされているからだ。

特に、縄文海進のはじまる1万年前以後~縄文後期~弥生前期の時間枠でなければ、海の深さが氷河期で浅いために、これまでの常識では人は海を船では渡れないし、木材を切り出すための石斧も出ていないから渡海はなかったとされてきた。しかし氏はそれが3万年前から可能だったと考えている。

ならば沖縄の「渡れない海」二箇所を確かに越えたという証拠が必要だし、港川人の遺伝子が少なくとも奄美諸島や屋久島、鹿児島県人から出てこなければなるまい。

人類の船による海洋進出がいつはじまったかについては、しかし、10万年前のアフリカからアラビア半島へ、ネアンデルタール人がいかに海を渡ったのか?という謎とともに、人類永遠の謎である。その後のクロマニョン人の西アジア、アフガンへの登場はもっと大事なことになる。いったい両者はどうやって紅海を渡ったのか?またそれ以前に死海のふちからレバントに入ってすぐに滅びた人々はいったい誰だったのか、どうなったか?もまた謎である。


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