おもてなし=御・持て成し
来訪者を持成すこと。
持成す行為そのもの。
広辞苑
もて-なし【持て成し】
1.とりなし。とりつくろい。たしなみ。
源氏物語(末摘花)「いとわろかりしかたちざまなれど—に隠されて」
2.ふるまい。挙動。態度。
源氏(空蝉)「ばうぞくなる—なり」
3.取扱い。あしらい。待遇。
源氏(桐壷)世の例にもなりぬべき御—なり」 「丁重な—をうける」
4.馳走。饗応。
「何のお—もできず失礼しました」
もて-なし【持て成し】
1.とりなし。とりつくろい。たしなみ。
源氏物語(末摘花)「いとわろかりしかたちざまなれど—に隠されて」
2.ふるまい。挙動。態度。
源氏(空蝉)「ばうぞくなる—なり」
3.取扱い。あしらい。待遇。
源氏(桐壷)世の例にもなりぬべき御—なり」 「丁重な—をうける」
4.馳走。饗応。
「何のお—もできず失礼しました」
もて-な・す【持て成す】
1.とりなす。処置する。
2.取り扱う。たいぐうする。
3.歓待する。ごちそうする。
平家物語(11)「御前へ召されまゐらせて、御引出物をたまはって—・され給ひしありさま」
4.面倒を見る。世話をする。
源氏(若紫)「そもそも女は人に—・されておとなにもなり給ふものなれば」
5.自分の身を処する。ふるまう。
6.取り上げて問題にする。もてはやす
7.そぶりをする。見せかける
goo辞書国語
もて‐なし【もて成し】
1.客を取り扱うこと。待遇。
「手厚い—を受ける」
2.食事や茶菓のごちそう。饗応。
「茶菓の—を受ける」
3.身に備わったものごし。身のこなし。
「いとわろかりしかたちざまなれど、—に隠されて口惜しうはあらざりきかし」<源・末摘花>
4.とりはからい。処置。取り扱い。
「自らの上の—は、又誰かは見扱はむ」<源・総角>
もてなす
1.人を取り扱う。待遇する。あしらう。
「国賓として—・す」「よそよそしく—・される」
2.心をこめて客の世話をする。饗応する。馳走(ちそう)する。
「山海の珍味で—・す」「客を酒で—・す」
3.そうであるかのようにとりなす。みせかける。
「無理に納得した体(てい)に—・す」<漱石・吾輩は猫である>
4.とりはからう。処置する。
5.特に取り上げて問題にする。もてはやす。
「今様の事どもの珍しきを言ひ広め—・すこそ」<徒然・七八>
~をもって、なすこと。
関西大学 文学部 国語 国文学専修の乾善彦氏の説明によると
もてなすは語源をたどると更に「もて」と「なす」に分解でき、なす(成す)は「そのように扱う、そのようにする」という意味がありそれに接頭語の「もて」が付いたもの。
「もて」の付く語には他に「もてさわぐ」、「もてあつかふ」、「もてかくす」などがあり、動詞に付属して「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添える」のだそうです。つまり「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉、ということになります。
接頭語「もて」の語源は漢語「以」の訓読に使われる「もちて」が変化して「もて」となったものと考えるのがよい、とされています。すなわち「なす」に、「もて」を強調の意として接続し「もてなす」となり、それに美化語の「お」をつけて名詞となったものが「おもてなし」ということです。 そもそもの意味は「とりなす、処置する」、「取り扱う、待遇する」というもので、現代のように接待に関して用いられるのは中世以降になってからだそうです。
もてなすは語源をたどると更に「もて」と「なす」に分解でき、なす(成す)は「そのように扱う、そのようにする」という意味がありそれに接頭語の「もて」が付いたもの。
「もて」の付く語には他に「もてさわぐ」、「もてあつかふ」、「もてかくす」などがあり、動詞に付属して「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添える」のだそうです。つまり「もてなす」は「扱う」ことを強調する場合に使う言葉、ということになります。
接頭語「もて」の語源は漢語「以」の訓読に使われる「もちて」が変化して「もて」となったものと考えるのがよい、とされています。すなわち「なす」に、「もて」を強調の意として接続し「もてなす」となり、それに美化語の「お」をつけて名詞となったものが「おもてなし」ということです。 そもそもの意味は「とりなす、処置する」、「取り扱う、待遇する」というもので、現代のように接待に関して用いられるのは中世以降になってからだそうです。
もてなしの原点は神にあえをしんぜること。
「あえ」とは饗宴。またはその神饌。つまり食事。
神饌を神前にささげる意味は、その神が季節ごとに来訪する自然災害や天候を左右する摂理であるからである。そこで災害を引き起こす神は祟り神としてもてなし、もちろんよい天候、安定をもたらす太陽神にももてなしを与えた。
上記もてなしの解説にあるように、もてなしにはいい意味と悪い意味がある。
その大半は実は最初は災いを引き起こす来訪神に対して、祟り=災害・事故なきように、前もってうまいものを食わせ、いい機嫌のままお帰りいただこうというところから始まったと言える。
史書などに~を饗宴したという書き方がよく出てくる。これも神であったり、あるいはよそからきた渡来の異民族であったり、東征してきた九州の大王だったりするわけである。
これが「おもてなし」の始まりであろう。
ということは、そもそももてなしとは、災厄を持ち込もうとするものどもを言いくるめ、手なづけ、ご機嫌にして、歌舞音曲や酒やストリップショーなどしてやり、大喜びさせることで、怒りを抑えようというものだったことになる。それは心からのもてなしなどではなく、打算に満ちたやっかいばらいでもあったわけだ。
今の日本人にもそれがある。
「まあ、ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」と京都人が言うとき、それは「早く帰れ」である。
信じてそのままうかれていると、えらい目にあうことになる。世界の選手のみなさん、まってますよ~~~~地震と津波と台風で存分におもてなししてあげましょうね~~~ってことになってしまいかねない。
次回からこれを使い・・・
ここを分析してみる。
ここにはすべての人類の文化文明の原点がある。
そこはウルク。
今のイラク国名の語源となった世界最古の都市がある。
そしてシリアのハブーバ・カビーラも同時に。
まさに現代のISが狙う西アジアの故郷である。