リグ・ベーダ
「神々が原人を切り分かちたるとき
- いくつの部分に切り離したるや。
- その両腿は、その両足は何とよばれるや。
- その両腕はラージャニヤ(武人)となれり。
- その両足からはシュードラ(奴隷)生じたり。
- (この部分は記紀の大月姫伝承の元である。)
巨人プルシャは千個の目と千個の頭、千本の足を持つ」
盤古神話『述異記』
『日本書紀』三貴子の誕生
「そしてイザナギが最後に左目を清めると、『 天照大神(アマテラスオオミカミ)』が。右目を清めると、『 月読命(ツクヨミノミコト)』が。鼻を清めると、『 須佐之男命(スサノオノミコト)』がお生まれになった。」
太陽と月の対比としては、その起源が巨人の目からそれぞれ太陽と月ができた、あるいは原初の世界のもとに なった卵の黄身が 太陽、白身が月になったという物語もある。
左目/右目
太陽- 月:バンコ(盤古):中国
太陽- 月:イザナギ:日本
月 -太陽:ホルス:エジプト
左目/右目
太陽- 月:バンコ(盤古):中国
太陽- 月:イザナギ:日本
月 -太陽:ホルス:エジプト
複数の太陽と月が弓矢によって射落とされる物語も多くの民族にみられる。
洪水神話も世界中にある。
こうした類似はいかにしたら生まれてくるのか?
ひとつは海を船で伝わった。
ひとつは書物で広まった。
しかありえない。
あるいは人類が西アジアから枝分かれするときに、すでにそういう原型があったということも考えうる。
ただ、目から天体が生まれ、鼻から風の神がというのは、あきらかに日本へは8世紀までに記紀成立前までに、中国の神話が持ち帰られたためだということになるだろう。
盤古
loka purusa samya(ローカ・プルシャ・サンミャ)という縮図がある。
アーユルヴェーダの理論における「人体は宇宙の縮図である」ということらしい。
つまり宇宙のなりたちの哲学で、プルシャは大宇宙や万物の根本材料。
巨人の解体によりすべてが始まったという神話の成り立ちのスタートですね。
北欧神話のユミール、中国の盤古、バビロニアのティアマットなど死体創世説話の一つ。
アーユルヴェーダの理論における「人体は宇宙の縮図である」ということらしい。
つまり宇宙のなりたちの哲学で、プルシャは大宇宙や万物の根本材料。
巨人の解体によりすべてが始まったという神話の成り立ちのスタートですね。
北欧神話のユミール、中国の盤古、バビロニアのティアマットなど死体創世説話の一つ。
このように日本の神話の多くは中国を通じて伝わった世界中の神話から生み出された観念のしろものである。
持ち帰るのは当然日本からの使者なのだが、その使者を乗せる船を動かしたのは海人族。だから彼らにもその伝承はいくらか伝わることになり、当然のごとく変形され、おひれがつき、日本の仲間に喧伝される。それで仏教や道教もそうだが、常に官と民双方で同時に広まるが、民の中ではどんどん話がふくらむ運命にある。
特に逃亡渡来人たちは自らが似た境遇の工人たちなので、大いに共感して自分たちの荒神のイメージに取り込んでいったのだろう。そうしてやがて民間芸能、民間巫術、土俗信仰としての阿弥や乞食坊主たちがそれらを形或る災害神へと肉付けしていったのが陰陽道や修験道の最初だろう。それがのちの平安時代になると今度は宮中の人々までもが信じるようになり官僚陰陽師としての安倍晴明が登場することとなる。
なぜそうなったかというと前の記事で書いたとおりである。持統以来の短期的皇祖神アマテラスが女帝時代の終焉で過去の神となったがために、宮中は皇祖を見失ってしまう。そこで今度は宮中に蔓延する摂政争奪争いが引き起こす政治的暗殺合戦に嫌気がさし、祟り神・・・たとえば道真、たとえば三輪の蛇神を「祟りを防ぐ神」として本末転倒に信じる風潮が生まれ、やがて祟り神を封じる術である陰陽道を重要視。
この風潮はすでに『日本書紀』以前の「豊国奇巫」「豊国法師」などの記事に、豊前の秦から出たらしきアヤカシの医師を招くといったところに兆しが見えていた。彼らこそが宮中陰陽道、かんなぎの源流であった。それが秦部から出たものであったことは想像に難くない。(川上 2008)
つまりこの国の多くの中国神話的伝承・神話の源流は、秦氏の渡来とリンクさせることが可能である。それは徐福伝説もそうだろう。こうした流れから、やがて秦河勝を芸能や歌舞音曲、山岳密教、修験道、白山信仰などの大元、開祖としていくのが主として神社に巣食った秦部たちであろうことも気がつくはずである。
では吉備真備が開いた播磨の広峰神社ではどうか?
ここにもいわゆる境外に別所としての異界が存在し(産所)、そこに多くの神人(じにん)が巣食っていたことが見える。これは奈良の多神社そばに金春一家が住んだことでもわかることだ。また京都の蚕の社もそうである。社寺建設に従事した渡来系や先住系宮大工たちもそのまま神社仏閣そばに住み着く。これは京都府の岩清水八幡宮かいわいの歴史が語ることである。
八幡宮の全国でのひろがり、稲荷信仰の広がり、白山信仰の広がりなどなどはすべてリンクする。
こうして河勝伝説は民間神人によって広まったのである。
スサノヲにはじまる風の神=災害神としての災害・被害を守護したのは阿蘇氏など多氏などに関わる一派である。多氏の神は神武直系の神八井耳である。この神武伝説などは西欧十字軍の遠征譚の影響さえ受けている。
さて、それらのすべての大元となるであろう西アジア最古の都市へKawakatuは行かねばならない。あのウル王朝を開いたメソポタミア以前の王朝にすべての謎が潜んでいる。そこは世界最古の都市とされたジェリコよりさらに古い王朝だったと今では考えられてきた。次回ご期待。
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