これはあくまでも西欧考古学の仮説である。中国考古学にはもっと古い文明があるとする仮説も存在する。
西欧考古学でこれまで世界最古の都市だとされていたのはエリコ(ジェリコ)だったが、昨今はもうメソポタミアの前にあったシュメールの、ウル王朝以前の遺跡が見つかっており、そこが最古だとされているらしい。それがウルやハブーバ・カビーラや、近年発掘が著しいテル・サラサートである。その起原は紀元前5000年前後。
われわれが学校で習った四大文明では、チグリス・ユーフラテス川にはさまれた南メソポタミア文明が四大文明では最古だとされてた。
今はメソポタミア文明の前にシュメール文明があり、最古がハラフ期であったとされている。その次がウバイド期、ウルク期を経てアッカドへと進展する。
かなり古いと思っていたバビロニアは、4000年ほどもあとの王国になってしまっている。
とはいいながら、文化・文明という点では、中国の年表はそんなものではない。
土器という点からは、縄文土器のほうが最古である。
これはあくまでも「都市」としての最古だという話だ。
その都市の基準を作ったのがV・G・チャイルド『都市革命』1950年であるので、そもそも都市の定義は西欧が勝手に作っていて比較にならぬという意見もある。
まあ、そのチャイルドの決めた基準はこうだ。
1 大規模な集落と人口の集住
2 第一次産業以外の職能者がいる(工人・役人・神官・商人・運送人など)
3 生産余剰の物納
4 社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
5 知的労働に専従する支配階級
6 文字記録システム
7 暦・算術・幾何学・天文学
8 芸術的表現
9 奢多品・原材料の長距離交易への依存
10 支配階級に扶養された専業工人
ここには整備された道路とか、灌漑設備、水道設備、数学、他者を意識した巨大な墓、天空にそびえるオベリスク(要するにヒエラルキー建造物)、成分宗教、経典などには言及がないようだ。この基準がどこまで整合かどうか仮説に過ぎない。
とりもなおさず神話のバベルの塔だといわれるジッグラトは存在する。これは丘(テペとかいう)の上に作られるが、その丘は、史上人々が河川沿い生活で捨ててきた土器やごみが、風によって砂漠の砂とともに吹き寄せられた小高い段丘を整備して丘にしたものである。
筆者が最も面白いと感じたのが、地下式横穴墓である。
墓の様式は二種類あり、追葬が可能な箱式の竪穴墓と、この地下式横穴であるが、これはもう日本の隼人の地下式横穴墓とまったくそっくりなので驚く。
以前から、西アジアにはハヤトさんとか、アナンさんとか、カビラさんがいるので親近感があったが、地下式横穴墓まであるとは知らなかった。
隼人の記事はいくつも書いたが、飛鳥時代に百済王が贈ったイラン人名を持った建築博士の記事などで、天竺とかトカラ人とかが漂着したことも書いた。そのトカラ、屋久島などがかなり古くから西アジア古代貿易の中継地あるいは製鉄の島としてあって、西アジア貿易商人はけっこうそこをめざして船を向かわせていたなんてことはないか?ということも書いたことがある。さて?面白いとだけ言っておこう。
さて人類史上、本格的な農耕や船舶使用は縄文海進がはじまる1万年前あたりからと考えられている。ウルのシュメール文明はそれから2~4000年ほど経って始まったことになる。だいたい原始長江文明の開始時期と同じだろう。
土器のデザインが、日本の東海地方のパレス式土器のようにデザインがビビッドで、斬新なのも特徴だ。
日本のパレス式土器(古墳時代前期)
文字は楔形文字
まだ紙がない。
羊皮紙もない。
木片でもない。
粘土に刻む。
建物は日干し煉瓦を積み上げて作る。
文字の発明は、最初はウルだけに集まった同属集団だったのが、周辺にウルのよさを聞きつけた異民族が集まり始めたことから作られた。これはなんんだかバベルの塔の話を思い出させる。高い塔を人間が作り始め、神をないがしろにし始めたので、神は人間から共通の言語をうばい、ばらばらにした。すると人間はいさかいを始め、塔もほったらかしになった。
ひとつの目的があると、人間は異民族とも共存して、目的達成するために共通言語、共通文字を作り、信仰も統一していこうとする。これにはリーダーの存在が不可欠である。そこで最初はシャーマンから、やがて政治王から大王が選ばれる。これは世界共通である。
西アジアにはほかにレバント地方にも文化が芽生え始め、アナトリア、アッシリアなどのトルコ・地中海文明もできはじめた。するとそれらの国家の産業が南メソポタミアに集まり始める。
その頃、ようやくエジプトや黄河やインダスで文明は萌芽するのである。
つまり世界四大文明は最古どころか「新しい文明」なのである。