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オリンピックのたびに思う日本人体躯の小ささ

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まことにひどい夏だった。
一昨日、昨日と、遠い関東方面にやってきた(今年の特徴)台風が、九州の我が家地域にも雨を降らせ、なまぬるいがあきらかに秋風と思えるものを運んで来てくれ、かなり無理をして街へ出て炎天下をひいこら言いながら歩いたおかげで、どうにかこうにか体調が回復し始めている。
こんな夏がまた来たら、そのときは筆者の寿命も尽き果てるだろうと感じる。

乗り越せぬ過酷な気候が、筆者に、歴史と人とその気象環境の相関関係を考えさせる。
そのことはまた次回、別の記事で書こうと思う。今回はいつもスポーツの世界大会を観ていて「不思議」で仕方がなかった日本人の競技者体躯の大きくならないことについて、散漫に書いておきたい。





オリンピックのどの競技を見ても、その競技に最適なはずの体型の選手が選ばれて出てくるはずなのに、どんな競技者で比べても、常に一番小さく、貧弱なのは日本人だといつも感じさせられる。表彰台に並んだとき、それは如実である。彼らはしかし日本の日常社会の中では「でかい」日本人として扱われている人たちである。

背の高いものばかりが選ばれているはずのバレーボール選手でも、競技の最中はなかなか感じないが、対戦国の選手たちと横に並んだとき、やはり日本選手は一回り以上背が低く、体躯が貧弱である。外国人並み、あるいはそれ以上の選手は、そのチームにまれで一人・二人しかいない。例外的に2m近い選手もいるが、たいがい動きはよくない。

筋骨隆々のはずのラグビーでもそうだし、柔道やレスリングでもそうだ。それが卓球や体操という、むしろ小さくてもよいスポーツでも、やはり一番小さいのは日本人である。(伊調馨さんの体型は日本人ばなれしてバランスがいい。しかし姉のちはるさんはさほど大きくもないし体型がまったく違う。)

美しさを競う、つまり体型がものを言うシンクロナイズド・スイミング(二人そろって歯が出ていたのは興味深いが)や女子体操(ひとりだけ体操には難しかろう太る体質の子がいたが)、あるいは新体操などでは、明白に脚の伸びやかでない、肩幅が狭まい、ウエストのくびれなどの凸凹度が大きいなどなど、スタイルで見劣りするのはやっぱり日本人である。まさに日本人は、どの選抜競技で比べてもやっぱり倭人である。それがいつも不思議でならない。小熊のようなおちびちゃんだが、競技は最強だったりする。


しなやかで、伸びやかな北欧人選手が、なぜか彼らちっこい(フランス人記者に言わせれば”小さなピカチュー”。相変わらずフランス人のユーモア感覚はたかびーな貴族趣味で古色蒼然で困り者だ)日本人選手にころころとしてやられるのは、まあ、気持ちはいいが。

戦後以来、学校給食の普及で日本人の体躯はかなり西欧並みになってきたはずだし、テレビに登場するタレントをながめていると、圧倒的に身長も高くなり、「しゅっと」してきたが、それでも特に女子のタレントには、まだまだ「小さいなあ」「脚が短いなあ」「体型が悪いなあ」「なんでこんなので女優になれたのだろう?」的な人が目立つ気がする。

それが不思議でならない。

どの世界で比べてもいつも一番小さく、凸凹なのは日本人で、一向に体躯が西欧並みになったとは感じさせてくれないのだ。


日常では、あきらかに若者は大きくなったと感じる。自分と比べて体格がよい。ところがその人が世界に出るともう全然貧弱だと見えてしまう。古代からの倭人体型がまったく比率として変化していないのは、遺伝子の根強さだけであろうか?


確かに日本人は弥生以来、久しく植物食中心の生活を続け、肉食は明治、いや肉食が中心的になったのは戦後からである。その植物中心の期間はしかしたった2000年であり、そもそも渡来してきた弥生人たちは本国では肉食であったはずだ。まして縄文時代は狩猟時代である。肉食体躯の基礎は渡来にも縄文にもあったはずなのにちうまでも小さいままである。世界で比較するとまるでピグミー族(Negrilo)に見えてしまう。表彰台の前に並んだ姿が、まるで敗戦直後の天皇とマッカーサーのような気がしてきてしまう。


歴史上、日本人が最も小さかったのは江戸期である。平均身長は縄文人よりも小さかった。10センチ近く低い。その理由は、

1 儒教・仏教などの輸入宗教の戒律による肉食禁忌
2 平民への過酷な扱い=身分制度による平民の栄養不足と過重労働

が、よく書物には書かれている。
士農工商の厳しい身分制度は主として武家の儒教重視政策で、労働者・技術者から多くの搾取があり続け、栄養学的にも、また精神的にも、日本人を小さくしてしまったという説である。


ところが、その菜食・魚食民であったはずの過去の日本人の血脈にも、今でもまれに、肉感的な、圧倒的体躯をもてる人も存在する。いわゆる肉食を日常的にしてきた種類の地位にあった人々である。その出自はあきらかに思うのは、

1 まず半島肉食民族の渡来系子孫ではないか?
2 渡来してもなお職能の民として差別され、闇におかれねばならなかった
3 あるいは歴史的敗者ゆえに肉食するしかない人々
4 ゆえに山野にひきこもり、コメ食ではなく狩猟採集や焼畑生活でありつづけた

などなど、歴史的に残念な運命を背負わされた人々だったかも知れない。


もちろん大きかった渡来人と言えども、来日して倭人を娶ればその子孫の体躯に影響が出る。逆に先祖がえりのようなケースで大きな子孫も当然出る。兄は小さいが、弟は大きい、といった不思議は遺伝子のミックスの作り出す面白さでもあろう。西欧人の父と日本人の母の組み合わせで、背の低い人もいるわけだ。今回の五輪選手にもいた。



「三つ子の魂百まで」とは言うものの、戦後これほど食生活がよくなって、肉も頻繁に食べてきた、牛乳も飲んできたというのに、なぜ競技者で比べたらやっぱり日本人選手は外国人に見劣りしたままなのか?同じ東アジア民族で比べても、日本人は小さい。それが北欧人と比べたらまるで巨人と小人のようなケースがまだ多い。


倭人としての長い歴史の中で、最も動きやすい体躯のバランスで考えたとき、どうしてもそうなってしまうのだろうか?選ばれて出てきた運動選手がそうなのだ。どうしたことだろう?
日本のスポーツを選ぶ人々は、例えばバスケットボールの女子など見ると、高校・中学の段階では、小さい人が多い。もちろん大きい子もいるけれど、そんな小さい子の方がこまわりがきき、運動量が豊富な子供が多い。教育者側のセレクトの問題?あるいは選手自体の問題か?


少し日本人の不思議なゲノムを調べる必要がありそうだ。




次回、環境と歴史について資料を切り取って貼り付ける。そこに小さな日本人の謎をとくヒントもあるか?

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