本日3つ目の記事。
科学はキリスト教的メンタルテーゼへのアンチ・テーゼ(=アンチ・キリスト、悪魔)として西洋で発生した。一方、アジアでは仏教や回教やヒンズー教に対峙する哲学・科学はうまれず、より古代人的メンタリティ(情緒的深遠)世界へと向かった。
どちらもインナートリップであるにも関わらず、この違い。その理由はキーとなる中心的食物が違っていたことと、欧州地形のアジアよりもどんつきに突き当たるのが近かったことで説明がつく。
キー・フード(メジャー・フード)
いわゆる主食(staple food)ではなく、その時代の人類の中心的食材だったものという発想の言葉。
特に縄文時代(石器時代)のような狩猟採集社会では、定期的・安定的に手にできる栽培穀物がなかったため、あるものを季節季節で手に入れる。だから主食がなく、季節によって中心になる食物を変えて生きていた。ドングリやクリなどの堅果類は冬の保存キーフードである。縄文人の世界での特殊性は、これをある時期、生き抜く戦略として栽培しはじめたことにある。だから狩猟メイン、肉食メインにはならない。いつ当たるかわからない列島の貧弱な数と種類の動物相事情は、より安易に採集できる海浜の魚介類採集へと向かわせた。
一方、欧州石器時代では、ずっとキー・フードが肉であった。小麦という主食の獲得は早かったが、小麦や大麦では米ほどの栄養価は得られない。だから今でも欧米人は肉が主食だと考えており、パンやジャガイモは野菜=副食だとなった。
そもそもヨーロッパはアジアより狭く、アジアが陸続きのアメリカ大陸まで広がったに比べて、欧州人の定住ははやく完了した。大陸のどんつきがアジア人よりかなり近かった。これでは一緒に歩き始めても、両者の目的達成時間は差が出てしまう。
西欧人は居住域のすべてを知ったうえで、定住と文化が早く生まれる。長く肉食したために、科学や哲学の分析に必要な脳の発達(特に叙事的な左脳)が促された。
一方、アジア人は随分自分たちの領域を探し回らねばならない。久しく主食に行き当たらなかっただろう。採集生活が長かった。それで古代的な情緒性が深まった。右脳が発達した。
てな気がしませんか?