毎度、グローバルなお話でございます。
狩猟採集生活には二種類がある。
まったく狩りをしながらキャンプを置いてゆく完全狩猟スタイルと、半定住地をベースキャンプとして持って、そこからキャンプしながら一定の範囲を巡回する半狩猟生活スタイルだ。
縄文人は後者のほうだった時代が長い。
現代のアフリカのサンやピグミーのような狩猟民族には、狩りをするためのコースがいくつか存在する。彼らやジャワの島々の原住民などの行動形態は、縄文人研究の参考書になる。
意外に彼らの狩猟は広い世界に出て行っていない。
彼らが住む空間は、日本とは違い、広大な草原や砂漠である。ベースキャンプに帰還するための目印が森林に住む縄文人とは当然違う。空の星や、あとはなんだったろうか?
縄文人が高層建築を持った理由のひとつに、狩猟巡回コースの目印だったという説がある。もちろん物見台だったかも知れないし、祭祀の場だったかも知れない。
アフリカ原住民たちに、あのような高層の建造物はあっただろうか?
ひとつ思い出せるのは、バヌアツ共和国ニューヘブリディーズ諸島にあるペンテコスト島で行われていた通過儀礼である「ナゴール」・・・つまりバンジージャンプの台である。しかしこれはアフリカではない。南太平洋の島の風習である。ただ、森林が多い熱帯雨林の島々なら、環境としては日本に近い。そもそもはナゴールも物見台か、巡回狩猟の目印だったのだろう。そこがたまたま肝試し成人儀式つまり通過儀礼の場所になったのだ。
ラピタ人、ミクロネシア人種の拡散
横綱武蔵丸の祖先はトンガからハワイまでアウトリガーボートで渡ったのだと話しているのを聞いたことがある。ハワイとトンガはすぐそばなのだと感じていたが、この地図で見ると相当な距離がある。史上ではサモア諸島からマルケサス諸島への移動に100年かかっていることになるが、しかし実際の彼らは、ほんの一週間もあればすぐに行き着いたはずだ。100年というのは、空の星などの観測情報が完璧になるまでの期間だったに違いなく、本当の彼らに渡航決断のための時間はまったく必要なかっただろう。
舟の移動は早い。