彦根とくれば息長氏や三尾氏やろね。
となるとじゃあ息長氏は継体時代前は邪馬台国の大王のひとりだったってことかな?
というふうに筆者ならまずそういう順番でものを考えて言います。
それが近畿学者ではいきなり「邪馬台国か?」ですからね。相変わらずです。
彦根となると東海と近畿の中間。つなぐ場所。
天武時代には不破の関がおかれ、神話ならヤマトタケルが死んだ伊吹山。
継体時代に息長氏。天智時代なら近江朝。
やや南に愛知秦氏、三上氏、ずっとのちに錦織氏が入っている。
その南部の伊勢遺跡との関連も考えたいですな。
画像で見る限りでは筆者にはこれは壷じゃなく、中国の古代で戦闘野営のときによく作られたかまどに見えます。はじっこに切れ目があって開いている。
ま、たいしたニュースはありません。