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ネットプレビュー『秦氏が祭る神の国 その謎』をタダでほとんど読めるページ

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2005年に新風舎から出版した拙著『秦氏が祭る神の国 その謎』を、全編とは言わないけれど、できるだけ、ここに少しずつ書き写しておきたい。というのも、この本は不本意ながら新風舎倒産によって、完売したにも関わらず再版されなかったからである。約500部印刷し、50部は図書館などに寄付し、残りの450部すべて売り切った。このブログにおいでくださる読者の中にも、すでにそれを購買された方もおいでのことだろう。あえてこうするのは、もっと多くの人にこの本を知って読んでいただくためである。どうかご容赦願いたい。
 
転写するにあたって、部分的に加筆しながら進めていくつもりである。       筆者そうだじゅん(Kawakatu)
 
 
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『秦氏が祭る神の国・その謎』 そうだじゅん著
 
 
 かむやらい
 
 古代人の神の祭り方には主に三種類のやり方がある。
 
一 自然神(大地母神)を畏怖して巨石や大樹に神霊を祭り、祖霊のヨミガエリを希求する。
二 その地で偉大な業績を残したモノを讃えるメモリアルとして社を建てる。(人を神にする)
三 権力者や侵略者が力で追いやった先住者・先王朝などの霊を鎮撫するために社を建てる。(人を神にする)
 
 このうち一は原始的信仰形態で主に縄文時代などのシャーマニズム・トーテミズム・アニミズムに代表されるものであるが、その後の新しい信仰・宗教にも多大な影響を与えてきた。というよりも、原始信仰こそが、すべての信仰・宗教の基層に存在すると言って過言ではあるまい。例えばインドで生まれた仏教も、すでにバラモン教やヒンズー教などの原始宗教の影響下にあったところから生まれ、それがチベットを経て中国に渡り、ここでも道教や神仙思想、あるいは景教・拝火教・ゾロアスターなどの影響を受けて加工され、さらに朝鮮半島でも独自の各種信仰がミックスしたものがようやく百済から日本に届くのであるが、ここでまた日本人独自の信仰様式・宗教観により、当初の形態とは随分変形した仏教が生まれて行くことになる。宗教は常に地域に合わせて変容・発展を繰り返すものである。その意味で世界の果てにある日本と、大陸の中国とでは、同じ大乗仏教でもかなり違いがあることになる。西洋でもキリスト教各派は同根であるのに、微妙な食い違いと行き違いを持つのと同じことである、それ程、原始信仰の影響は莫大である。
 
 二は説明するまでもなく、ある特定の人物の偉業に対し神格を与えたもので、歴史的事実に基づく尊崇が中心になる。
 特異なのは三である。おそらく日本独特の宗教観ともいえる「神やらい」「鬼やらい」がこれになる。もっともここにも道教的な「モノ」の影響があるだろうが、左遷されてむなしく死んだ菅原道真の怨霊を天神として祭るというような祭祀感覚は、この国ならではと言ってよいのではなかろうか。少なくとも、殺害したり追いやった人間のたたりを畏れて首都を移したりする国はほかにない。大陸の即物的人生観からはこういう発想は生まれ得ないものだろう。追いやられるものは先住者であり、古い権力者であって、追いやるほうは新しい権力者である。だから実際には現実的な、生々しい迫害の歴史がちゃんとあって、祭るものはその事実を覆い隠そうとする意図がある。当然、祭られた神の性格は複雑化し、時が経つにつれて本来の意味は霞んでいく。これこそ追いやったものの思う壺なのである。
 
 靖国問題は特異である。同じ神やらいでもここには外国とのレイシ認識の違いが現れてくるからだ。われわれ日本人としては、戦争にやぶれた英霊と同じように、敗者責任者である軍部の戦犯を祭るのは神の祭り方の三にあたるのだから、何の違和感もない「怨霊封じ込め」であるから、しごく当たり前の行為であるのだが、諸外国から観ればそんな信仰はあり得ないことになる。侵略されたと思いこんでいる国には、そんな理屈は通用しないし、それは日本以外のすべての国家でそうなのである。島国の中で永く独自の宗教観を造り上げて来たわれわれにとって、参拝反対は内政干渉にほかならないが、外国はみな一と二の明快な神しか祭る風習がないのだ。これは久しく内にこもってきた戦後日本がようやく遭遇した宗教上の壁なのである。日本人としては二度と現れて欲しくない戦犯たちを祭るのは神やらい、払いの精神の現われであって何も矛盾はないのだが、残念ながらそれは日本人だけの発想であって、他者は絶対に理解できない。
 
 こうした日本人独特の神の祭り方が「かむやらい」なのである。これを大和言葉では「忌む」という。もう出てこないでくれ――それが「忌む」ということなのである。
 
 
 
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 歴史書の真実を知ろうとするとき、やっかいなのは、三を行うときにニが一緒に追いやられてしまうということだ。新興勢力に追いやられる人々はたいてい、その地域ですでに自分たちの神を祭っている。その神も当然追い出すわけであるが、面白いのは神の器である神社・寄り代はそのままにしておくのである。これにより話がややこしくなってしまう。追い出した元の神のあとがまとして新興勢力の神が置かれるのである。これを「神名の交換」という。
 
 なぜそうせねばならないか。簒奪され追いやられるのはそこにいた人すべてではないからだ。為政者は彼らの神とともに追い出されるのは当然としても、民衆や帰順者は残される。役に立つからだ。労働力として技術を持つものたちは利用されるのである。となると彼らの祭る社まで打ち壊すわけにはいかず、社はそのままに神霊だけを取り替えたり、前の神霊を新しい神が監視する様式が生み出されたのである。このとき、これまでのおまえたちの神は天神に格上げしてやったからこれまで以上に大事に祭れよ、と吹聴するだけで純真な民衆は納得・安心するばかりか、大喜びするというわけである。実際には神はせでに違う名前を押し付けられている。だから日本の神の名の多くが複雑怪奇である。しかも権力者の神が両脇にちゃっかり座っている。「神霊の監視」である。
 
 出雲大社に行かれたことがあるだろうか。ここの神は誰でも知っている大国主の神であるが、大社の祭殿にこの神は西向きに置かれている。祭殿は南向き(天子南面すに従っている)なのに、大国主は詣でる人々にそっぽを向いていることになる。sの脇でちゃっかり正面を向いているのは客座五神と呼ばれる『日本書紀』神話の最初に登場する国家神たちである。われわれは出雲の神に参拝しているつもりが、実は奈良の朝廷の神々を拝むことになる。これが権力者・新参者のやり方である。
 
 こうしてみると先ほどの靖国神社も、戦犯・英霊に参拝する今の為政者が、実は政府の祭る神――現代の国家神観念に頭を下げていることがわかるだろう。これなら海外の納得は得られるか?歴史認識の違いは日本人そのもののあり方をも問いかけている。
 
つづく
 
 
評価次第で取りやめ・継続を考えます。筆者。
 
 
 
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