ナスカの新たな地上絵?どう見てもゆるキャラ、大丈夫か?山形大
◆新たに二つの地上絵=ナスカ、人物か―山形大 時事通信 4月12日(金)16時23分配信 ペルー南部の世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるナスカ台地で、新たに人物とみられる二つの地上絵を発見したと山形大人文学部の坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループが12日、発表した。ペルー文化庁に報告し、米ハワイで6日に行われた米考古学会で公表したという。...
View Articlekawakatuの聖地巡礼体験記1 稲荷山「お塚」「お山」 秦氏信仰の後戸
お断りしておかねばならないのは、筆者が言っている聖地というのは伏見稲荷大社のことではない。 伏見稲荷大社を核として、背後に巡っている「お山」と「お塚」のことである。 知らない・・・・?それではお稲荷さんに行ってきたとは言えない。これからしばらく、筆者がこれまで「巡礼」してきたカルトな後戸(うらど・うしろど)体験記を。 ◆稲荷山「伏見稲荷はもうひとつ別の顔を持っている。...
View ArticleかわかつワールドブログFC2で復活
民族学伝承ひろいあげ辞典の客観的な古代史辞書ブログとしての機能性を取り戻すために、推理推測するブログかわかつワールドを復活させます。 かわかつワールド再び!!古代史推理推測ブログ、言いたい放題 再復活版かわかつワールドhttp://kawakatufcworld.blog.fc2.com/ Kawakatu’s HP...
View Article日本列島人の来訪
「人骨の研究に関しては、一九二四年に京都大学教授の清野謙次が、サハリンにある鈴谷貝塚を調査し、出土した人骨について『日本原人の研究」に記しているのが最初である(清野、一九二五)。...
View Article神武天皇卑弥弓呼説・応神天皇卑弥弓呼説その1
「次に筑紫島を生みき。此の島も亦、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫国は白日別(しらひわけ)と謂ひ、豊国(とよくに)は豊日別(とよひわけ)と謂ひ、肥国(ひのくに)は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂ひ、熊曽国(くまそのくに)は建日別(たけひわけ)と謂ふ。」『古事記』国生・神生(くにうみ・かみうみ)段...
View Article神武天皇陵決定の裏話
そもそも神武天皇陵はどこにあるか、諸氏はご存知であろうか?実は筆者はそんなものなど存在しないとずっと思っていた。なぜなら想像の人物に墓などあるはずがないからだが、考えてみたら神功皇后でさえちゃんと古墳がある(五社神古墳)。ならば無内相・・・じゃなくって宮内省が明治時代に比定した古墳もあるのだろうと調べたら、ちゃんとあった。 ◆「今の」神武天皇 畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのみささぎ)...
View Article古代史がひっくり返る大どんでん返し息長天皇系図
驚天動地の解説継体天皇 諱はヲホド。『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)、『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記される。また、『筑後国風土記』逸文に「雄大迹天皇(をほどのすめらみこと)」、『上宮記』逸文に乎富等大公王(をほどのおおきみ)とある。...
View Article前言撤回
「やめる」と書いたが、援助が来たので仕方なくまた続けることにした。 おれも北鮮みたいなものだな。 やめると言うのに、やめるなと言う奇特な人もいる。 そしておまえらはまたぞろここを只見できることになりやがったな。ちぇ。 一番損するのはいつもおれ。ストレス、眼精疲労、網膜はく離、肩こり、腰痛・・・ こんなおれが嫌ならもう来なくていいんだぜ。ああ、二度と見に来るな、てめえら。...
View Article驚天動地の天皇系図その2
ええか、おぬしら、天皇系図は歴史上の断裂を無理やりつないであるのだぞ。 前回は大きく三段階に切り分けて、初代から貫通する大和での二大家系・・・葛城系譜と息長系譜の合体による大王家持ち上げ系図の構造を見てもらった。しかし記紀に書いている大王の系譜とは、 あくまでも 大和という地方国家が始まって、いつどこでそれが全国区の大王家、そして皇室と認められて行ったかの記録...
View Articleグラン・トリノっちゅうのんはやな・・・映画やで
下の下の記事でかっこいいおやじを演じているのはクリント・イーストウッドや。もうずいぶん前の映画やけどな。この映画のイーストウッドがまあ、ほんまに渋いのや。 グラントリノ オフィシャルサイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/#/top http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/mainsite/index.html...
View Article前方後円墳の源流はスキタイ・匈奴・高句麗の積石塚にあり ノイン・ウラ古墳群
◆四隅突出型墳丘墓と高句麗積石塚内モンゴルウランバートル オラーン・オーシング遺跡に見られる「1号ヘレクスルKh-1」 「日本海沿岸の出雲や越を中心に、弥生時代から古墳時代にかけて見られる四隅突出(しぐうとっしゅつ)墳も、朝鮮半島をはじめとして、東アジア古墳文化の流れの中でとらえねばならない。このことは四隅突出墳が発見された当初から言われいたことでもあった。...
View Article息長氏異聞その1オシサカ
伝承地の息長氏サイトから転載 ●忍坂の息長伝承 奈良縣櫻井市忍坂の初見記事は「記紀」の神武東征神話の舞台として語られ、神武天皇が九州より東征のおり生駒越を那賀須泥毗古(ながすねひこ)に阻まれ、熊野からの迂回路を取ったとき宇陀から、現在の忍坂街道(伊勢街道)を通り奈良盆地へ進出したといわれ、古代の忍坂の地は、ヤマト王権成立の時期から倭の五王の時代にかけて、王権を支える重要拠点であったと思われます。...
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