というよりも、政府はなぜその予知に最大の地震予知研究予算を割いてきたかだろうか。
ゲラー博士の説明では、そのきっかけは1880年(明治13年)に発生 した横浜地震(マグニチュード5.8)だった。地震の規模としては余り大きくない が、当時のお雇い外国人を大いに驚かせ、同年4月26日に日本地震学会が創立される。その後地震予知が国策にさったきっかけは中曽根運輸大臣と東大地震研究所の森本良平の既得権益による癒着からであるという。ようするに政府は東京都にあり、政府関係者にとってもやはり関東大震災以来、長期間動きがない東海地方の、特に駿河トラフ~熊野灘にある東南海トラフの動きはどうにも恐ろしいわけだ。また中曽根は地震予知による東海大地震への恐怖によって国民をコントロールできることを知った。おまけに怖がらせれば政府まで動かし、結果として大きな予算が降り、その余禄で自分も潤った。東大側でも、それまでの予知研究予算はわずかに100万程度で四苦八苦してきたから、これはもう生き残り戦略でしかなかった。その後、これに味をしめた他の研究機関が出始めることで、いよいよ東海地震は「来る!」という大錯覚が日本に蔓延。
ところが東海地方を中心に、日本経済は地震予知に翻弄され、大きく停滞期を迎えることとなってしまう。つまり今の地震予知研究はただのオオカミ少年状態で野放しとなった。
で結果的に、当たるはずもない地震予知研究に大きなお金をつぎ込むようになったのだが、中でも東海地震への予算が最大で、図抜けた金額になった。つまり特定の研究機関と学者だけがここ50年間以上、うはうは儲けてきたのである。
と、ゲラーはNHKで言ってしまったので、それ以来、NHKからの出演オファーは来なくなったのである。NHK、テレビとはそういうものである。
「これまで国は「地震予知計画」として多額の予算を投入してきた。文部科学省の資料を見ると1965~68年の「第1次計画」を皮切りに、1994~98年の「第7次」では5年間で786億5000万円に達した。この間、1995年には阪神・淡路大震災が発生している。
文科省地震調査研究推進本部によると、2011年度の地震調査研究予算は192億円で、このうち国立大学法人向けの「地震及び火山噴火予知のための観測研究」3億9000万円のほか、独立行政法人や気象庁、海上保安庁などで行われる研究や調査にも予算が配分された。
長年にわたる研究や調査でデータも蓄積されているはずだが、2011年3月11日に発生した東日本大震災は事前に予知できなかった。現状では、地震が予期される地域で科学的な観測が実施され、常時監視体制が整っているのは「東海地震」に対してのみ。それでも気象庁のウェブサイトでは「必ず予知できるのかとの問いには、『いいえ』となります」と、その不確実性を認めている。」
一方、「東海地震はいずれ来る」は全国民の認知するところとなってゆくのだが、一番最近の東海、駿河湾を震源地とする巨大地震は、安政大地震で1855年。それ以来、駿河湾はほとんど動いていない。
それほどに駿河湾を警戒するのなら、なぜ自民党政府は浜岡原発を許容したのかも矛盾してしまう。
これは日本経済新聞社が記事にした2011年における原発所在地での地震発生確率の予測一覧だが、これを見て、突出して浜岡がある静岡だけ確率が高いのはわかるはず。ではそれほど駿河湾は危険なのか?そう考える国民はよほどのお人よしである。
上記のような癒着構造で、駿河、東海トラフの危険性をあおり、多大な予算を出させるためのための嘘の数値でしかない。
あの福島第一が0%だと言っていたのだから、こんないい加減な資料もない。
まずもって今の地震予知研究は無駄な予算の大御所。
なにより重要なのは、予知ではなく防御予算だとゲラーは強調する。フクシマの大津波の例でも、なんでもかんでも想定外で済ませようとする結果、もう福島県の海岸線は今では陸地から見えなくなってしまった。巨大な防波堤が作られたからだ。なぜ事前にそういう工事に金をつぎ込まずに来たか?なのである。
そこが人間行動、経済の困ったところだ。来るかもしれないから予知は絶対必要と大金をつぎ込んだのに、肝心の防御工事や、住民への防災意識、非難場所の確保、連絡網などは置き去りにされてきた。これは地震だけではない、あらゆる災害で、予知よりも防災と防災教育が必要なのだ。つまり危機感をあおるなら、来てしまっても何事もなく最小限に被害を押さえ込む地道な努力を政府は怠ってきた。
予知などはまるで卑弥呼さまのご宣託である。予知予言のほとんどは、50:50で、あるかも知れないしないかも知れないが、あれば大預言者、なくてもああよかった。予言するほうも、灰色な言い方しかしないものだ。
と、ここまで書いて卑弥呼ってすごい巫女だったんだな!!と気がつく。なに?気がつかない?そりゃあなたは歴史研究家にはなれないね。
卑弥呼は少女のときに女王になって老婆になるまで巫女王だった。つまり狗奴国が攻めてくるぞい、こないぞい!!だけで60年以上酋長を続けた人である。それが本当に予知予言にすぐれていたからだ、なんか思わないで欲しい。そんな人間などいない。
時間の動きの遅かった時代だ。それがたまたま3世紀に三国時代で激動し始めた。彼女はその情報をつかむネットワークを持っていた。だからそれは「想定」できたのであり、予知ではない。「狗奴国王と和せず」と書かれたということは、それまでの王はそうでもなかったということだ。ということは狗奴国も以前は邪馬台国と同盟していた。だから既成の情報網があったわけだ。仲が悪くなったのは卑弥呼の予測する魏勝利と卑弥弓呼の予測する呉勝利が相克したということである。
つまり卑弥呼は狗奴国とは違い、中華南朝だけでなく、伽耶王や帯ほう郡や燕を通じての華北北朝からの情報もあったのである。
ということは伽耶がいかに重要だったかもわかるし、葛城氏の重要性にも気がつくはずなのである。
歴史は災害や予言からも見えてくる。
キリストも予言した?モーゼも?あれは預言。神の言葉を伝えるもの。卑弥呼も同じ。しかしキリストのことはずっとあとの時代に聖書が書いたもので、あとづけである。作り話だ。モーゼも同じ。ところが卑弥呼はほぼ同時代の外国人が書いたもの。そこに客観性と同時性がある以上、聖書などより魏志は信憑性がずいぶん上になる。
いずれにせよ地震予知はできまへ~~~ん。
でも安政から大きな動きがないということは、それだけ怖いのも東海大地震である。予知できるかどうかの努力は金じゃない世界で、科学的に真摯にやってゆくことも必要。そういう機器ができたらすごい。それは夢としてはOKだ。しかし最重要なのはやはり防災である。だって日本は島全体が火山島でトラフに囲まれている。トランプじゃないが列島全域を防御壁やシェルターで覆ったり、全建造物をドームで包んだり、土壌のボーリングで地固めしたり大改造するほうがいいのは間違いない。
ただし!
それでは世論に無駄がねだと言われ人気がない政府になってしまう。つまり不都合な事業になりかねないから、ゴアみたいに追いやられるから、どの政府もやらないだけ。
つまり一番大切なことをやろうとするものほど、人類は阻害してきたのである。
それが資本主義経済の最大の弱点である。
しんどいことをやろうとすると嫌われる。こんなバカな話があろうか?パイオニアとはだからすごい。それ以外はただの烏合の衆である。十把ひとからげである。小市民である。誰も書かないことを書こうとすることがしんどいのと同じである。
烏合の野次馬たちは無責任にそれを批判していればいい。tころがそういう奴に限って自分のオリジナル論を必ず持っていない。評論家とはそういう最低の生き物だということである。土人?それ以下。土人って言葉、当初の意味はただの現地人だったが、戦後、それが差別的に遅れた地域のヒトとして使われはじめたので使われなくなった。差別用語ではない。問題は使う人の意識にある。沖縄県民にそう言った機動隊員の心にはあきらかな差別があった。だからあれはNG。差別じゃないなら土人は消えて欲しくない日本語のひとつである。まるでマスコミは、自殺した女性が映っていたら受賞までとりあげた為政者のような言葉狩りをやってきた。ケースバイケースではその用語がなくなると表現に苦労することがある。
「めくらめっぽう」「つんぼさじき」などなど、これはうまい!という表現、慣用句は多い。そもそもそれは差別だ!とよく言う奴ほど日ごろ差別していることがある。
もちろん好んで土人を使う必要はない。使わないほうがいい。しかし中国少数民族とかボルネオ原住民、南洋の土人、ネイティブ・アメリカン、ネイティブ・オーストラリアンなどなど、言い回しを作るのが大変で、ながながしくくどくどしく、書くのも難儀してしまうのは確かだ。まったく人の世はメンドクサイ。
ああだこうだと日本人は細かい。細かすぎてかえって世界から阻害されてしまう。五輪問題なんかもそうだ。世界があきれている。マスコミがそもそもなんでもかんでも世界に配信してしまうのが一番悪い。ちょっとだまってろ。無用な情報はいい伏字にしておけ。いいのりべんになれ。おしゃべり過ぎる。デラックス幕の内に過ぎるのが日本のマスコミと教育ママである。あ、こんなこと書いたら筆者も女子高生に触られた~~~なんてどっかの議長みたいに虚偽申告されるかな?一番怖いのは女の仕返しだぜまったく。触らぬ女子に祟りナシ。現代も女は山の神である。たたるから怖い。津波より怖い。心臓えぐるようなことをされます。くわばらくわばら。家からでません。
出会わない 出会わないのに 祟られた
触らない 触ってないのに ちくられた
市議も県議も差別される時代になってしまったな。