はるかなる宇宙の始まりを語る前に、正月をうっちゃる面白い話題をいくつか提供しましょう。
今日は冬至。すぐにクリスマス。そして大晦日で新年正月。
年末は行事が多い。
現代日本人は、冬至、Xマス、大晦日、正月をそれぞれ別々のものとして祝うようだ。しかし、もともと古代世界では、秋の収穫終了から節分まで含めて、これらは全部セットで過ごす祭期間だった。それを追難(ついな)とか冬越とか、難越(なごし)とか言った。
こうした一年の半分、秋・冬を静かに過ごす風習は世界中で共通したもので、多くは祖霊・精霊の祭であり、太陽神崇拝が全世界に共有されていたことを語る。一言で言えば宗教が生まれる前の原始信仰が多神教崇拝で、冬至に関わる太陽崇拝という農耕信仰であったことを語るのである。
さて、まずはいささか尾篭な話から始めよう。
トイレの話である。
洋式トイレと排便の因果関係でいろいろ検索していたら、以下の記事に当たった。
「世界の二大トイレ方式の謎?
あなたは、洋式派ですか?それとも和式派ですか?
世界のトイレ事情は、洋式派(腰掛け式)と和式派(しゃがみ式)に分けられ、この二大方式には宗教が影響しているのだそうです。キリスト教文化圏は、腰掛け式便器が中心であり、腰掛け式としゃがみ式との境界線は地中海だと言う説があります。ヨーロッパは腰掛け式であるのに、地中海より南、アフリカやアラブ諸国はしゃがみ式と言うことが裏付けになっているのです。結論として、腰掛け式としゃがみ式との違いは、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の違いから発生したものとなります。」
http://www.satou-setubi.com/toile.html
あなたは、洋式派ですか?それとも和式派ですか?
世界のトイレ事情は、洋式派(腰掛け式)と和式派(しゃがみ式)に分けられ、この二大方式には宗教が影響しているのだそうです。キリスト教文化圏は、腰掛け式便器が中心であり、腰掛け式としゃがみ式との境界線は地中海だと言う説があります。ヨーロッパは腰掛け式であるのに、地中海より南、アフリカやアラブ諸国はしゃがみ式と言うことが裏付けになっているのです。結論として、腰掛け式としゃがみ式との違いは、キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の違いから発生したものとなります。」
http://www.satou-setubi.com/toile.html
実はこの記事にはひとつの大きな誤解がある。
腰掛式トイレは欧米型だという誤解である。
なぜならば、世界最古の腰掛式便座遺構が出たのはメソポタミアやインダス地域だからだ。あれは洋式トイレではないのである。
Wiki「トイレ遺構」の古代オリエント文明項目によれば、
「テル・アスマルはイラク東部、バグダードの北東約60kmの位置にあるシュメールの都市エシュヌンナの遺跡である。ここで発掘されたアッカド王朝時代(前2200年頃)の宮殿から、いま我々が知ることのできる世界最古のトイレが発見されている。この宮殿は、トイレと浴室の数が多く、質的にもきわめて充実している。少なくとも6ヶ所のトイレ、5ヶ所の浴室があり、トイレは煉瓦を「コ」の字状の椅子形に積み上げた便器が設けられた腰掛け式の水洗式トイレであった。その廃水は宮殿東壁に沿ってつくられた管に流れ込む仕組みになっている。管は地下に埋められ、アーチ状の覆いが掛けられており、その中は上部に通路があって掃除のために歩けるようになっていた。」
テル・アスマルのトイレ遺構
「テル・エル・アマルナは、中エジプトのナイル川東岸に所在する、エジプト第18王朝末のアメンヘテプ4世の都市遺跡である。テーベから遷都されてからツタンカーメン王による放棄までわずか15年間の首都であった。この頃の新王国エジプトでは、家の前や路上でゴミを廃棄したり用便を済ましたりすることが一般的だったため、王は住居にトイレと炉を設置するよう触れを出した。そこで一般住宅にもトイレが設けられることとなった。前1350年頃の住宅から発見されたトイレは、鍵穴状の切り込みがある石灰岩製の便座が煉瓦の支えの上に載っていた。切り込みの下には壺が置かれ、排泄物はこの中に溜められ、肥料として用いられたものと考えられる(壺形汲取式トイレ)。」
またパキスタンのモヘンジョダロ項目にはこうある。
「モヘンジョダロはパキスタンシンド地方にあるインダス文明(紀元前20世紀~紀元前17世紀)を代表する都市遺跡である。南北を走る大通りを中心に区画整理された計画都市で、建築には焼煉瓦が用いられている。ここでは腰掛け式のトイレと汚物の沈殿槽が見つかっている。沐浴場や排水溝が整備されている都市遺跡であることから「水洗式トイレ」と推察される。」
このようにわれわれが和式と対比させて「洋式」と呼んでいる便座式トイレの始まりはオリエント~インダス文明に求められ、決してそれが西欧型ではなかったことを物語る。
では欧米で腰掛式便座が始まったのはいつかというと、これがつい最近である。せいぜい18世紀をさかのぼらない。
上記と同じWikiトイレ遺構のギリシア・ローマ項目は、共通して彼らがトイレに興味がなかったことを書いており、水洗でもなく、ただの地面に穴、中二階にしゃがみ型の穴、程度のものだった。フランスの王朝時代でさえほぼ「野糞」「川流し」である。貴族の華やかなポンパドール時代のドレスが、実は野糞・放尿しているのを他者から隠すために役立ったことはご存知か?西欧人は食卓マナーに厳しく、ナイフとフォークを大昔から使っていたという大誤解もある。ああしたマナーのすべては帝政ロシアで先に発達し、それをまず遠征によってローマが取り入れ、それをブルボン王朝が取り入れる。そのようにつまり「洋式」という概念は日本人が明治以降に勝手に欧米のものとして手本にしたかったために生まれた誤解なのだ。
帝政ロシアというとローマ帝国から分かれて分派した東方正教会=東ローマ帝国に発する国だが、実は欧米文化であるクリスマスという祭りに関して彼らは大いに関わる。クリスマスはもちろんローマ~北欧に広がっていた古代からの冬至祭を起源とし、北欧ではユール、南欧ではノエルが古い。そこにキリスト教がかぶさってクリスマスになった。もともとはミトラ教の太陽崇拝が基盤にあって一神教のゴッドとは違う精霊・祖霊の祭りだった。
ローマ帝国が滅びる最大の要因はイスラム教徒の侵攻と、フン族に追われた北方異民族の大量侵入(ゲルマン民族やケルト民族の大移動と)によるキリスト教の壊滅的打撃(今のアメリカの移民問題によく似ている。トランプ登場の背景に移民によるキリスト教祭事への白人の遠慮がつのっていたことがある)からであるが、ロシアはローマを出てさまよい、当時イスラムの居住地だった今のモスクワあたりに入って、イスラム教徒(ムスリム)やスキタイ遊牧民を追い出して定住。東方正教会の名の元に北欧に攻め込むことでユールと太陽信仰に出会う。そこで持ち帰って冬至祭の精霊たちを、シリアが発祥の聖ニコラウス=サンタクロースにないまぜにすることで、遊牧民や北欧や残存イスラム勢力地域の小国家を懐柔する政策をとったのだった。ローマもキリスト教と北欧精霊信仰をまぜあわせようとした。これがクリスマスとサンタクロースのはじまり。それを西欧も取り入れたのが今のクリスマスである。西欧宗教はこのように極めて政治的発生の歴史を持っている。
さて、トイレにまつわる日本人の過ちがここにひとつある。
洋式トイレが日本人の大腸・肛門括約筋の能動的動きにまったく不具合な道具だという真実である。
http://karasuma-chiro.com/blog/post-3796
肛門括約筋には二種類あり、内肛門括約筋と外肛門括約筋があって、前者は勝手に収縮して肛門の弁をしめたりゆるめたりしてくれている。後者は自分が意識してひきしめることができる。こやつが和式トイレで日本人がしゃがんだ場合は日本人の繊維の多い大量の便をスムーズに吐き出せてくれるが、洋式の腰掛型トイレでは、かえって大腸を挟み込み、直角に締めてしまう。だから残余感がいつもある排便になってしまうというのだ。
先日、テレビのちら見で知ったことである。
調べてみたら最初はドイツ人研究者が言い始め、今では日本の糞尿研究者や医者の間でも定着している説らしい。ならばと実際に我が家のトイレに台を持ち込んでふんばってみたら、あれよとばかりにスムーズな排便が!しかもその後の残余感なし。これには感心した。要するに戦後われわれが排除してきた和式トイレは実に日本人の食生活になるほど!な方式だったことがわかった。
すると気になり始めたのは、では腰掛式があっているインドからむこうの民族の大腸の括約筋と、われわれ東アジア人・日本人の括約筋が、なぜそのように違ってしまったのかであった。それは食生活のせいなのか?あるいは?
西欧人もロシアや中東から腰掛式を取り込む以前はしゃがむスタイルで用を足していた。だからその歴史は浅いことになる。わずか300年ほどでしかない。まさかその間に大腸括約筋が変化したはずはあるまい。すると彼らも日本人同様、便秘や残余感に悩まされているはずだと検索したら、やはりそのようだった。ならば西欧人の骨格や食生活や筋肉発達とトイレの洋式には直接の因果関係はないことがわかる。
では中東やパキスタンの食や筋骨とは?
正月の楽しみがひとつ増えてしまったのであった。
次、三角縁神獣鏡銅の鉛同位体科学的分析結果でノット魏鏡、ノット国産鏡、バット半島産銅が確定しているのに?どうして歴史学者は認めたがらないか???
そのあと宇宙のことに参ります。