できるだけ文系の自分がわかるように、のちに読み直しても理解しやすいように、三角縁神獣鏡が魏産銅を使わずに作られた、につながる新井宏の科学分析をメモっておこう。
新井説を非常にうまくまとめてあるサイトはここ。
「中国で発見された一枚の三角縁神獣鏡」http://www.bell.jp/pancho/k_diary-15/2015_03_05.htm (2015年3月記事)
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新井の原典である『理系の視点からみた「考古学」の論争点』(2007)を読んだ上で、ここを読むとかなり簡潔にまとめてあって銅鏡の鉛同位体分析が理解しやすい。
なお、新井の説、分析結果の断片はネットでも若干公開されている(PDF)ので参考にされたい。
arai-hist.jp/lecture/07.11.17.pdf
arai-hist.jp/thesis/archeaology/johokouko/sankaku.doc
「すべての元素の原子核は、陽子と中性子でできていることは誰でも知っている。しかし、陽子の数が同じでも、中性子の数が違う元素がある。そうした元素を、同位体(isotope、アイソトープ)という。同位体同士は、互いの化学的性質が非常に似通っている。
■ 古代の青銅鏡の成分は主に銅、錫、鉛の三種であり、すべて鉱石を精錬して得られる。ところが、鉛(Pb)には、質量数の異なる4種の安定同位体(204Pb、206Pb、207Pb、208Pb)があり、鉱床生成の年代によって207Pb /206Pb、208Pb /206Pbなどの同位体比が異なる 。したがって、鉛の安定同位体比を分析することで、青銅原料の産地を推定することが可能なのだ。
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SPring8(= Super Photon ring-8 GeV) |
■ 以前に、京都市の泉屋博古館は、所蔵する中国鏡69面と国産鏡18面、三角縁神獣鏡8面の計95面について、これらの青銅鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を、世界最大級の放射光分析施設(愛称SPring8、Super Photon ring-8 GeV)を使って分析した。そして、2004年5月15日に三角縁神獣鏡=中国製説に有利と思わせる分析結果を新聞各社に発表した。
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中国製が確実な鉛原料と三角縁神獣鏡の関係(**) |
■ この分析結果に疑問を抱かれた科学者がいる。金属工学が専門の新井宏氏である。新井氏は、鉛同位体比分析を活用して、泉屋博古館の三角縁神獣鏡のほとんどは、国産の鏡の鉛同位体比に極めて近く舶載鏡ではないことを突き止められた。このように化学分析によって鏡の材料の原産地が突き止めることが可能なのだ。 」
なお新井は東京工業大学物理卒、韓国国立慶尚大学招聘教授。工学博士。専門は金属考古学・古代計量史。
泉屋博古館(せんおく・はくこ・かん)はこのとき館長が故・樋口隆康。
財団法人泉屋博古館は、住友家の美術コレクション、特に中国古代青銅器を保存展示するための機関として昭和35年(1960)に設立された。名前の由来は、江戸時代の住友家の屋号「泉屋」と、中国の宋時代に皇帝の命により編集された青銅器図録「博古図録」からとっている。この名称がいつから使われたかは不明だが、旧銅器庫の正面上に西園寺公望揮毫の「泉屋博古」額が架けられており、少なくとも旧銅器庫が竣工した昭和初期には使われていたとわかる。平成14年(2002)には、別子銅山開坑300年記念事業の一環として、東京都港区六本木の泉ガーデン(泉ガーデンタワーなどからなる再開発地区)内に分館が開館した。以上Wiki
SPring8、Super Photon ring-8 GeVは、「 SPring-8とは、兵庫県作用町の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出すことができる大型放射光施設です。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと」。2004年館長樋口のときに三角縁神獣鏡の化学分析を発表し、魏鏡と近い鉛同位体元素であるとしたが、2006年の新井宏の分析によって、泉屋博古館分析が「微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたという(泉屋博古館の)前提条件そのものが(金属考古学や分析を知るものからみたらしたらとても容認しがたい)完全に間違っており、当然結論も間違い」(新井 2007)とわかった。
新井の資料
このように古い漢鏡の同位体と三角縁神獣鏡の同位体元素はあきらかに違うことがわかる。
神獣鏡の鉛同位体元素は、むしろ韓国南部や帯方郡のものに類似し、それが国産銅でもないこともわかる。
そしてこの同位体と同じ元素の銅を作り出すには、国産と帯方郡産銅の混合、あるいは中国の漢時代の銅と帯方郡の銅などの混成でも作り出せるが、いずれにせよ韓国の銅が必ず必要であることから、三角縁神獣鏡は舶載品も同笵品もすべて純魏鏡ではないと結論づけた。
さて、問題は、それでもなお、歴史学者たちは三角縁神獣鏡には魏鏡である可能性はないとは言えないといい続けていることかも知れない。
神獣鏡魏鏡説は、近畿における学者たちの「卑弥呼の鏡なんだから当然、神獣鏡は魏で作られた鏡」であるという疑いのない決め付けから始まっている。そしてそれは権威的学説として定着した。
富岡謙三の昔から、銘文に多い「銅出徐州」から当然洛陽~徐州産銅が使用されたのだという思い込み(大正年間)に発して、これを受けた小林行雄(またか!)が景初三年、正始元年を根拠にこれを卑弥呼がもらった鏡だとし(昭和32年)、京都大学文科系史学も考古学も、これを定説と疑わずにやってきた。
昭和37年、同志社の森浩一がはじめて反を唱え、松本清張、古田武彦、奥野正男らが同意見で神獣鏡非魏鏡説を唱えるも、邪馬台国畿内説論者はこれらを無視。
佐原真も田中琢も「中国本土から出土しないというだけで「これまでのわれわれの中国鏡研究を意図的に軽視した」論であると切り捨ててきた。
ところが昭和57年、中国の専門家である王仲珠が呉工人日本渡来製作説を発表したことで、畿内説論者は右往左往。京大史学内部でようやく論考が分派しはじめた。
つまり、畿内説に限らず、近畿の大学、アカデミズム内部にあった古い権威には反論しない研究態度が最大の科学・理系研究者の敵だったということになろうか。
小学生でもわかると思うのだが、「そんなの学問じゃねえ!」であるのに、延々と彼らは変われない古い世界にいたのだった。最初考え始めたパイオニアの疑いもしないでいた考え方が、戦後数十年間、ついこのあいだまでかたくなに守られてきたわけである。そんなことなので、いくら新説が出たとしても、それこそ政治世界よりも鈍重な反応のしかたしかしないできたのだ。
だいたい、過去の文系学者たちはそもそも理系的なひとつの答えなど信頼してしなかったふしがある。「研究を軽視」していたのはむしろ彼らのほうだったのではないか?
だから近畿のアマチュア愛好家も変われないままだったのは当然だろう。親方が変わらないのだから仕方がない。
そして、この結果が出てもなお、いまだに彼らは、魏鏡である可能性も考えながら分析する態度が必要である、という、どこかの政治家の答弁のごとくマスコミに語る。だからマスコミも変われるはずがないのだ。これでは研究者としの大前提が最初から欠落している。研究者とは呼べまい?
理系の論でももちろん欠点はある。それだけですべてが決まるわけではない。
人間が生きてきた歴史の時間の、その答えが、いつもひとつであるはずもない。
神獣鏡の銅が朝鮮半島のものと国産の混成であったとしてもそれらは日本で作った複製品だからオリジナルはきっと中国産銅だと言えないわけでもない。たった一枚でもあればコピーは作れる。その一枚が中国の銅で作られていたのかも知れない。しかしそれは仮定でしかない。仮定で論ずるなど科学にはありえない。それがありえるのは推理小説や文学研究でしかない。つまり日本の歴史研究が科学ではないところから始まったという歴史学史の話でしかない。話にならない。
陸軍と海軍や警察や行政じゃあるまいし、テリトリーで仲が悪いなんて大人気ない。
混乱させてるだけでしょう?
だから古代史に嫌気がさしたんである。
だから少し宇宙や銀河の話をしたい。
しかし
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