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縄文後期の土器が沖縄で出土

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考古学で久しぶりに重要な発見である。
沖縄新報

 縄文時代晩期(3千~二千数百年前)の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が、沖縄県北谷町(ちゃたんちょう)の米軍返還地にある平安山原(はんざんばる)B遺跡で出土したと24日、同町教育委員会が明らかにした。沖縄県内から亀ケ岡式土器の破片が出土したことについて、青森県の考古学関係者は24日、東奥日報紙の取材に「驚くべき発見」「あらためて青森県はじめ北東北の縄文文化の広範な影響力を示すもの」と評価した。亀ケ岡遺跡があるつがる市の専門家や考古学ファンからも驚きの声が上がった。

  弘前大学人文社会科学部北日本考古学研究センター長の関根達人教授によると、亀ケ岡式土器はこれまで、北は北海道、南は福岡県や大分県、高知県までの範囲で、東北から運ばれたものや模造品が出土しているが、今回の発見はその範囲を一気に広げたことになる。使われた土や器の仕上げ方などが東北のものと異なるため、東北以外の本州や九州などで模造されたものが運ばれた可能性が高いという。ただ完成度は高く、製作した人物は、本場の亀ケ岡式土器について熟知していたとみられる。

  関根教授は「ワンクッション、ツークッションあるとはいえ、亀ケ岡の縄文文化がまさに全国区だったことを示すもの。当時、それだけ広範囲な文化的交流があったことが分かる」と説明。「今後、土器片に塗られていた赤い塗料の産地などを調べれば、さらに詳しい評価ができると思う」と語った。

  縄文時代の文化交流に詳しい福田友之さん(県史編さん考古部会長)は「東北の縄文人が舟で沖縄までダイレクトに持って行ったとは考えづらい。亀ケ岡式をまねた土器は九州や四国からも出土しており、今回の土器はそうした西日本の亀ケ岡式土器の影響ではないか」と、関根教授の「模造説」を支持した上で、縄文晩期という時代に注目するべき-と指摘。

  「続く弥生時代の初めには、九州の土器形式がイネの伝播(でんぱ)とともに本州最北端の青森県にまで伝わるなど、列島南北の交流・交易が活発化し、その範囲が一気に拡大する。沖縄で見つかった亀ケ岡式土器もそうした交流・交易のダイナミズム化のさきがけと捉えられるのではないか」と話す。 県世界文化遺産登録推進室の岡田康博室長は「(当時の)沖縄(文化)は本州でみられる縄文的要素が非常に少ない地域とされており、驚くべき出土品と言える。(沖縄の)縄文人にとっても魅力なものとして珍重されたのか」と推測。「著しく遠い場所での発見で、海を使った広域的な交流、物資の交換を物語るという点で、非常に興味深い。縄文文化圏の範囲を議論する上でもよい材料になる」と話している。」



何がすごいことかと言えば、琉球諸島と奄美諸島との間に、「渡れないはずの海」があるからだ。

潮がきつく波が高すぎて、今のフェリーでもおおじょうするほどの荒海の海峡を、古代の舟が渡るにはかなりの大きさと構造が必要なはずで、これまで小舟の往来は無理とされてきた。

だが、縄文後期~弥生時代にはここに「貝の道」があって、西九州の倭人たちは南海の貝殻を求めて往来した痕跡はあった。九州と琉球には交流があったことは間違いない。しかし青森の縄文土器となれば、未発見だった。

問題は、それが東北からダイレクトで運ばれたのか、九州を経由したかということだし、どうやって海峡を渡れたのか、またサンプルがまだ一個であること、ほかの縄文の遺物も搬出しないかという期待である。



まず北部九州を経由したとは思うが、縄文の舟の技術をこれからますます見直すきっかけになればよいと思う。





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