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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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江戸時代の西洋式火消しはさみと判明 160年不明だった道具

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江戸時代の医師・緒方洪庵も分からなかった謎の物体の正体が明らかになった
正体は、ろうそくの火を消すための「キャンドルスナッファー」だった
全長18.5cm×幅3cmの金属製で先端がはさみのように開閉できる仕組みという(大分県日田市発西日本新聞)

ちょっとコネタだが・・・。面白い道具なので。

 

「江戸時代の蘭学者で医師の緒方洪庵(1810~63)も何に使うか分からず、“謎の物体”とされてきた物の正体が160年後の現代、大分県日田市の咸宜園教育研究センターの職員の手で明らかになった。それはろうそくの火を消すための道具「キャンドルスナッファー」。センターで開催中の企画展「廣瀬旭荘・敬四郎文庫」で公開中だ。

イメージ 1

【画像】この“謎の物体”について記述した日記の一部と一緒に、スケッチも見つかった

 センターによると、物体は洪庵の友人で日田出身の漢詩人・儒学者、広瀬旭荘(きょくそう)(1807~63)の子孫宅から2012年に見つかった。金属製で全長18・5センチ、幅3センチ。先端は箱型で、はさみのように開閉できる仕組み。この物体について記述した旭荘の日記の一部と、スケッチも一緒に見つかった。日記は1842(天保13)年から53(嘉永6)年の間に書かれたとみられる。

  日記によると、物体は6月26日、旭荘が拠点にしていた大坂(大阪府)で、漁の網に掛かっているのを発見。「色は黒くてかすかに赤く漆で染めたような感じ」といい、「西洋のものではないか」と考えた旭荘は、友人に尋ねるが「戦に使う道具ではないか」という人や「元は金(きん)だろう」という人がいて答えは出ない。物体にはオランダ語に似た文字が彫られていたため旭荘は友人の洪庵にも見せるが回答は「不識」。結局正体は分からなかった。
  突き止めたのはセンターの学芸担当、溝田直己さん(35)。

門下生に関する情報提供など咸宜園教育研究センターに関するお問い合わせ先は、こちら
 
  日田市 教育庁 咸宜園教育研究センター
  〒877-0012 大分県日田市淡窓2-2-18(咸宜園教育研究センター内)
  電話番号・ファックス:0973-22-0268
 




イメージ 3
旭荘のスケッチ



形状ははさみに似ているので、現代でも売られている似たものでは・・・

イメージ 2

ヤフーで売られていたもの。



江戸時代には西欧でも日本でもろうそくや鯨油の行灯が明かりだった。今のろうそくよりも芯が太く、火事が多かった時代では、火は吹き消すものではなく、はさみなどで芯ごと切り取るという慎重な対応を余儀なくされたのだろう。ろうそくの溶けて固まったものを回収して再生する業者もいたようだ。それほど火は貴重品だったということだ。

日本では今もお寺や神社では火消しのはさみが使われている。海外でも教会で使われる。

イメージ 4日本製

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欧米製品




イメージ 7
こんなのもある










日本の仏教では、ろうそくの火は吹き消してはならないことになっている。吹き消すのは命が消えることにつながるり縁起も悪いからだろう。若い頃京都の種智院に学んだ死んだ父は、上手に素手で芯をつまんで消していた。

火をつけるときもマッチを吹き消したりしてはいけない。

そうしたわけでわざわざ火を消す(火芯を切る)ための道具が作られたのだ。しかし日本では、西洋の火消しは理解を超えた形状だったようで、長いことその用途が不明なままだったそうだ。きっと日本に来た西洋人が持ち込んだが、帰国の際に忘れていったものか、あるいは蘭学に深い学者が集った日田では、興味を持ってゆずってもらったものかわからない。蘭学者の家にあったものだからおそらく後者か?

ちょうど「ひいなの祭」の最中の日田市。ついでにここに寄ってみるのも一興か。


江戸時代の行灯をつける女性

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