考古学とはWikiによれば
「考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡、市場跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)や、戦時中の防空壕が発掘調査されることがある。
「考古学(こうこがく、英語:archaeology)は、人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものとして、またはモノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡、市場跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)や、戦時中の防空壕が発掘調査されることがある。
考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とし、横軸に同時代と推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6
と規定されており、あくまでも人間のなりわいに関連した事物、遺物から、あくまでも人類のその時代の生き方などを考える学問で、生物考古学は、同じ生物や化石を扱っていても生物学や進化学、地質学などとは若干その目的が人類との関係に限定される。
タイトルの静物考古学のような考古学的な学問は一般には「環境考古学」の一環とされ、対象は昆虫、動物、植物などに細かく細分される。環境考古学は、その時代時代の地質や地形、集落の状況をできうるかぎり完璧に近く復元しようとする意図がある。ここに書く「虫の考古学」とは環境考古学の中のひとつのとっかりとしての昆虫考古学であり、それを発掘、調べることで、当時のその地域の環境や人間の対応した痕跡を歴史的に見てゆく学問だ。
虫で何がわかるのか、と言えば、例えば、ある弥生時代の建築物の痕跡が発見され、その周囲に例えばコクゾウムシのばらばらになった遺体(生物遺骸あるいは遺存体と言う。昆虫の場合は主として糞や羽や触角、脚部などが多いが)が多数見つかるならば、そこが穀物の貯蔵所があった場所で、建造物は穀物倉庫だった可能性が高いことになる。
この研究の中には、水中の珪藻やプランクトン、あるいはバクテリアなども含むことになる。環境考古学者の森勇一による『ムシの考古学』『続ムシの考古学』は、現代から過去へさかのぼる洋式で、各時代で出てきた昆虫や珪藻の化石や遺存体に注目しながら、各時代の人間のなりわいを推測してゆく面白いアプローチの考古学本である。
古墳時代ならハンミョウやヤスデ、江戸時代はウンカ、コガネムシ、戦国時代はテントウムシ、弥生時代はフンコロガシ(スカラベ、カメムシ、縄文時代はイトトンボやカナブンというふうに、その時代の人間の最も好んだ事業に関連したムシがいたことを教えてくれる。
豚の飼育が始まった弥生時代に、全国にあるその遺跡を回り、その糞に集まるコガネムシ=糞虫の遺骸を捜し、何がわかるか?など興味深い研究であふれている。考古学ファンは、どうしても立派な古墳や環状集落、あるいは豪華な遺物に目を奪われがちだが、植物の花粉などと同様にムシたちの生態から昔の人間を行動様式を考えるのは視点が変ってまた興味深い。
タマムシが植物食の昆虫だったなんて、今はじめて知った。なんでも読んでおいて損はない。桶狭間の戦いで信長たちが食べた食材なんか誰も知らないだろう。またあの小さなウンカが中国から日本へ海を渡るなんてびっくりしてしまう。
近年、コンビニが増えて昆虫や動物の生態は大きく変化してきたという、夜中まで明るい店があるために、深い森にいるはずの虫や生物たちが人間世界に出張するようになった。するといろんな不都合もおきるし、思わぬ出会いで混血してしまう種も発生する。
面白い。
縄文時代の丸木舟