縄文人も弥生人もザコネしなかった。
九州の住居遺跡には室内に区切りがあって、ちゃんと土の高い床があり、別々に寝ていたことがわかっている。その土の床がそのまま墓にも造られたのが九州の墳墓様式である死床(ししょう)なのである。いわば今の床の間である。
トランクルームだったか寝室だったかはまだわかってない。
しかし円形に区分けしてあるのは縄文の円の思想にも、中国南部の集合家屋にも等しい思想か?
魏志倭人伝にも「屋室あり、父母兄弟臥息ところを異にす」と確かにある。
九州の倭人はおしなべてプライベートがあったようだ。
ところが奈良時代の『貧窮問答歌』には、平民たちがみんな掘っ立て家屋の中の土間にザコネしていたとなっている。これではどっちが古代人だかわからない。
伏蘆の曲蘆の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は枕のほうに 妻子どもは足のほうに 囲み居て・・・
川と言う字にも寝ていない奈良時代平民。
この親父の気の利かぬわがままな寝方ってどうよ。
帰ってきていきなりど真ん中で寝てやがる。
ああ、これが近畿の民間人の常だったか・・・。
石野博信『楽しい考古学』より