3世紀の地球環境は劇的に変わっている。
大陸では民族大移動と帝国の突如とした崩壊、中国の三国紛争、東アジア大陸人の南への逃避行、フン族の北欧大侵略、匈奴の南下、農作物、牧草の枯渇、倭国大乱、渡来人の急増・・・
邪馬台国時代を考えるときに意外に忘れがちなことだ。
そのとき世界で「神も変わった」はずである。
日本でなら、弥生の銅剣銅鐸・銅矛を依り代にする祭祀が、一転して銅鏡を使う祭祀へ変化し、コンパクトなヘテラルキー思想の「よりそう円の文化」と小さな墳墓は、一気に巨大なヒエラルキー表現のものへ変わった。
このふたつこそは、記録・文献が、渡来を秦氏や東倭氏だけにとりまとめてしまっても、環境考古学の証拠品は、あきらかに一大変化があったことを語るのである。記録よりも、彼らは「てんでんこ」に南下し、日本列島にやってきたのだ。ゆえに貴重な考古資料が九州や近畿にだけ集中せず、日本海側に集まる。出雲では大量の銅剣が地中に、近畿では銅鐸が地中に埋められる。昨日の紀年鏡がなぜ日本海側に多いか、北関東にまで広がって出るかの答えは、彼ら自身が、それぞれ別々の生き残りを考えた証拠である。
しかし日本の人々は、それ以上南下できないところにいた。三内丸山の縄文人たちは、その中で、一大決心をして海へ乗り出したはずである。
乾燥と寒冷、寒波の渦の中で、倭人たちはいかにして生き残ろうとしたか。それをちゃんと見れば、三世紀・・・弥生~古墳へのめくるめく大変化は感じ取れねばならないだろう。
すべての価値観がそこで変わった。それまでの神では、それを防げなかった。当然、信じる神も大変化したはずだ。
太陽神・・・農耕の女神・・・それを象徴する鏡こそが、彼らの新しいよりしろとなったのだ。エジプトのラムセス王~ツタンカーメンの時代とまったく同じである。
そして壬申の乱、持統天皇の時代にもやはり環境が悪化した。こうしてアマテラスは天皇の祖先神となるべくして登場する。
近畿と九州だけでものを考えては、ヤマタイコクにはたどり着かない。