今日の「ヤフーネタりか」に、現在のストーンヘンジは1900年代に行われた考古学者たちの調査と整備作業で、もとの形が大幅に変えられていた(ゆえにがっかりだ)という捏造説が出てきたと報道されている。
ショック!ストーンヘンジ捏造説急浮上・・・
しかし、こうした復元作業はあらゆる考古遺跡に、そもそもあったはずの作業で、即すべてが捏造であるというのは、少し考え物で、ファンを風評によって遠ざけることになりかねない。
記事では、英国考古学者たちは20世紀初頭からそうした捏造を繰り返したと言っているけれど、筆者の過去調査したケルト遺跡知識では、メイリックとスミスが1815年に著した『ブリテン諸島土着民とその習俗』には、現在のストーンヘンジとほぼ同じ、いやもっと完全な姿の挿絵がある。
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考え方次第だが、19世紀、すでに現地人学者たちが、こういう姿を想定していたと言ってしまえば、確かにそれは20世紀の考古学の「過去からの推定に基づいた思い込み」が今のストーンヘンジの姿を創り出した・・・」としてしまう説もありうるかもしれない。
しかし、ストーンヘンジは周辺の墓域を含め、数万年前から徐々に姿を変遷していった。http://darihige.shop-pro.jp/?mode=f1
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中央にサークルができはじめたのは紀元前3000年ごろであるが、当初は木製のセンターポールで造られ、それは今の北欧に広く残るメイ・ポール祭祀や円になって踊るフォークダンスの起源であるとされる。
その後、さまざまな変遷を繰り返しながら、中世にはケルト独特のドルイド祭祀がはじまっている。その当時の姿を、上記挿絵は18世紀に復元したものである。
つまり、考古遺跡である限り、学者たちによる、伝承や資料に基づいた復元、改修作業は宿命であり、ストーンヘンジも20世紀初頭には、倒壊していたりしたであろう。その位置を発掘のために少し動かしたりもあっただろう。当時は、現在のような厳しい改変規制がなかったのだから当たり前である。そういうことを言い出したらピラミッドや多くの古代遺跡も、ナチスドイツによって調査がされたときに、改変されたのだと言い出すこともいくらでもできることになり、そもそもファンの考古学や歴史への興味を足元から崩してしまい、ファンタジーや謎解きの夢をぶちこわすことになるだろう。
ストーンヘンジの姿が、古代とさほど変えられたとは思わぬほうがよいだろう。
マスコミの騒ぎたて、考古学反抗勢力のショッキング捏造には「無視」も必要なのである。それが本当の考古ファンではあるまいか?
いずれにせよこの捏造説は今後も出てくるだろう。あらゆる歴史資料の、それは宿命でもある。われわれは騒ぐことなく、静観するのがいいだろう。