沖ノ島は、少なくとも8世紀初頭の天武天皇時代から、ムナカタ君徳善が娘である尼子女郎を、壬申の乱の勲功があって中央へ台頭し、天武の嫁にして以来、天武と持統のいわば戦争、クーデターによるヒエラルキー意識が必要とした太陽信仰のための祭祀をはじめたところからはじまった、というのが筆者の認識である。
そしてそのために、ムナカタ・安曇の海人族たちは、沖ノ島を久しく、人の立ち入ることを禁じてきた隠された祭祀の孤島である。
そこをなぜ世界遺産などという、どこの馬の骨とも知れない環境無頓着な観光客や、事情もへったくれもない海外観光客が大挙して押し寄せるかもしれぬ俗物、見世物にしてしまいのか、筆者にはさっぱり宗像市の気持ちが知れないのだが、諸氏はいかに?
宗像大社は、それらの烏合の集衆の、勝手な島への来訪、闖入をおしとどめるために、どれくらいの莫大な監視費用を考えておられるのだろう?ばっかじゃないの?