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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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東アジア年表 4万年前~現代まで一気に

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HPの比較年表に若干手を入れて書き加えております。



■約4万年前長野県信濃町に動物の解体の痕跡=最古の列島原人存在

■BC1,4000年頃、中国長江流域に文明開始(BC1000年くらいまで存
 続。南朝の前身)
●約1,2000年前 ヤンガードリアス厳氷期が終了し急激に地球気温上昇

■一万年前くらいまでに九州から東北に無紋土器・隆線紋土器が出現
 =半島人あるいは江南人の去来(父方Y染色体北方系Q、C3遺伝子、
 北方系狩猟採集民)

■約7000年前(縄文時代前期)頃、中国長江流域で稲作開始。
●縄文海進始まる。
  黄河流域で栗栽培。黄河流域に文明開始(北朝の前身)。
●地球高温の時代
  東日本の人口急増。三内丸山遺跡出現
  九州有明海内陸部の龍宮洞穴に半島様式の櫛目紋土器出現。 
 =半島南沿岸部人との確実な交流を証明(北方系D2遺伝子漁労民)。 
  九州有明海側で櫛目紋土器を発展させた曽畑式土器の製作開始。
  同時にオサンリ式擬餌針牡蠣殻仮面などが半島南岸と有明海に出現。
  曽畑式土器、海を渡り南西諸島から沖縄本島に出現=西九州と沖縄の
交流を証明。沖縄からひょうたん栽培が有明海へ(南方系C1貝文文化人)
  ※ ゆえに縄文前期の確実な海上交流の存在が確定した。
  長崎県伊木力遺跡から縄文の丸木舟一部が出土。=「縄文人の海上
 交流は丸木舟交易」

■6000年前の岡山県に陸稲米出現(稲作はまだで、米だけが持ち込まれた) 

■BC2500年頃、地球は再び寒冷期に=東北縄文人の南下
→近畿地方にまで南下(落葉樹の南限)
●地球寒冷化の時代

■長江文明、黄河文明(青銅器文明)の寒冷化による南下によって圧迫さる

■BC1050年中国、殷滅んで周興る
■BC800年頃 中国春秋戦国の動乱へ 
■BC450~330華北の黄河文明が寒冷化で本格的に南下し長江文明滅亡へ
■BC473長江河口域の南朝・呉滅亡、BC334越滅亡。
 ●長江文明人の南北への四散開始。南朝から北朝時代へ。
 長江人(Y染色体遺伝子O2)は四川雲南からベトナム北部(Y染色体遺伝子O2a)
へ、チベットへ(O2a)、中国河口部から北東部を経由して半島へ(O2b)、そして
少数のあるものは早くも直接船で日本列島(O2b)へ(蓬莱伝説が影響?)
→ 九州で弥生時代早期が始まる。佐賀県唐津菜畑で水田稲作開始・水田は長江
 様式の最新型が到来。=長江流域人(Y遺伝子系列O2b)の到来→弥生人へ
 これ以降、弥生人と先住縄文人の混血が始まり、北西部九州沿岸域「倭人」へ。
 現代日本人の祖先となってゆく。


■BC400年頃から遠賀川式土器の北上=九州人の北上→東北で稲作開始
 福岡県に前漢鏡を副葬した大首長墓出現(須玖岡本・三雲南小路)
 島根県意宇地方に田和山遺跡


■BC221 始皇帝中国統一、秦建つもすぐに内乱
■BC202 劉邦前漢起こす
■BC194年 燕の衛氏朝鮮建つ
九州に実用青銅器
 近畿に銅鐸。出雲に大量の銅剣・銅鐸集中
 九州の古墳に副葬用非実用鉄器(威信財)登場(黄河文明の後裔である北朝文化へ
 の切り替え時期)
 九州に環濠集落出現(吉野ヶ里)
 瀬戸内海に高地性集落
 南島の貝殻北海道に出現=「貝の道」完成(南方系父方遺伝子の混入)
 倭人、百余国に別れ、一部が楽浪郡に朝貢
■BC108年前漢、衛氏朝鮮滅ぼす
■BC100頃半島に高句麗建つ
 前漢匈奴対策に躍起


■AD8 王莽(おうもう)前漢を滅ぼす
■25年 光武帝後漢興す
■AD57年 奴国の首長後漢の光武帝に朝貢、金印授受さる
■107年 倭国王帥升、後漢に生口献上
この頃以後、各地に独自の大型墳墓出現
■111年 高句麗後漢に朝貢。
■184年 黄巾の乱。
■189年 公孫度、後漢により遼東太守に任命、そのまま後漢から自立
→後漢滅亡、曹操立つ
■208年 赤壁の戦いで曹操敗れる

三国時代へ
半島に辰韓十六国が存在
■204年 公孫度、帯方郡を楽浪郡を支配下にし、その南に設置 
■233年 魏、青龍元年
■237年 魏、景初元年
■238~9年 公孫氏滅亡 
邪馬台国を首都とする倭人連合国の女王卑弥呼魏に朝貢し曹操の孫・明帝に奉献を願う。
■246  魏、高句麗首都陥落させ、高句麗東川王東へ退避し、
       魏撤退のあと立ち返って首都平壌城(現在のピョンヤンと
        は別の場所)再興。
■248年頃 女王卑弥呼死す
■263年 魏、蜀を滅ぼす

■265年 司馬氏、西晋起こす(武帝)
■280年 呉、西晋に滅ぼされ、西晋中国統一。呉の民衆、長江南北地域へ移動。
■281年 八王の乱で、西晋乱れる。
■304年 匈奴、漢を興し五胡十六国時代に

■313  高句麗、楽浪・帯方(テバン)郡を滅ぼし、大同江流域にまで領土拡大
  この頃馬韓の伯済国(パクチェ・グク)が漢江(ハンガン)流域小国家を統合し百済(ペクチェ)成立。
  その後、四世紀後半、辰韓の斯盧国(サロ・グク)、慶州周辺の小国をまとめ新羅(シルラ)成立。
   半島最南部に伽?(カヤ)同盟(連合国家)誕生→6世紀くらいまでに大伽?へ発展→ 四国時代へ

■317年 東晋興る
 この頃半島に百済興る 
この間の倭国の外国での情報無し。記紀は三輪王朝の存在を記述するが不明。
 謎の四世紀
 理由は中国の動乱で史書作成されず。
■342 中国本土の動乱に乗じて高句麗の西側にある鮮卑前燕(慕容?・慕容燕国)、高句麗を攻略
■355 前燕、高句麗を柵封 
     高句麗北方を前燕に奪われ南下政策をとる。
■360年前後、中国本土の動乱期に乗じて高句麗の西側にある前燕、高句麗の領土をうかがう。
      高句麗北方を後燕に奪われ南下政策をとる
 高句麗の南下によって百済・新羅は加耶方面へ押し出される。
■371 百済、高句麗の平壌城攻める。高句麗故国原王戦死。
■372 高句麗に仏教伝来
■375年 高句麗南下で危機感を持った百済の近肖古王、倭国に七支刀を贈り
援軍を望む。
■382年 加耶、新羅によって滅亡。葛城襲津彦阻止でんとするも失敗。加耶人民の列島渡来へ。
 (事実上の渡来開始・葛城襲津彦、秦氏工人を連れ帰るも、妨げられなかなか戻れず。
 支配者だけ葛城へ連れ帰る?部民・工人らは別途筑紫へ?)
■384  百済に東晋から仏教伝来
■390年 新羅が倭に太子を人質に出し、高句麗の侵入へ援軍を依頼。 
■391~2年 高句麗広開土王即位。
■392年秋八月 高句麗が南辺をこえて百済を侵す。平壤に九寺を創建。
■393年秋七月 百済が高句麗へ侵入・・・これは高句麗側の言い分なので
実際は百済の北辺に高句麗が侵入したのが正しい。
■394年秋八月 広開土王、百済と海戦、これを大いに破り、捕虜八千余を
獲得した。
■396年 領地拡大に高句麗が半島南部に攻め込んだので、百済と新羅が
 ともに倭に人質などを贈って援軍を依頼し、倭はそれに応えて援助した
■397年 『日本書紀』百済が太子・腆支(直支)を質にし、救援を求めてきた。
■398  慕容徳、滑台(河南省滑台)に自立して燕王を称す(南燕)。
■399年 百済は先年の誓いを破って倭と和通した(高句麗側の言い分)。
 先に攻めたのは高句麗。そこで広開土王は百済を討つため平譲に出向いた(攻め込むための大義名分)。
■400年 後燕の 慕容盛、高句麗を攻撃して、遼東を奪回高句麗は5万の大軍を派遣して新羅にも攻め込んだ。
 新羅王都を守っていた山ほどの倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。
ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
■403年 百済から倭へ機織女貢上
■404年 阿直支、倭へ良馬二頭献上
■404年 百済、王仁博士を倭に贈る。すべて援軍要請のためである
倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に(百済のために)援軍を送ってきたので、
 広開土王は立ち向かった。


■425年 倭王讃、宋に朝貢。近畿古墳に鉄器副葬始まる。倭五王時代始まり
■427  高句麗、平壌城遷都
■433  新羅・百済同盟
■438年 倭王珍、宋に朝貢 羽曳野丘陵に巨大古墳登場
■443年 珍死して倭王済、宋に朝貢(ここで倭王の系譜が弟一族に切り替わる)安東将軍爵位。
■475  高句麗、百済の漢山城攻略。百済首都を熊津(ユウジン・くまなり)へ遷す
■477年 倭王武即位、上表文を宋に送る。百済救援。
       吉備・葛城王家滅亡し、代わって大伴・物部・尾張氏台頭

このあたりで光州栄山江沿岸に九州式の前方後円墳造営開始?一世代だけの墓13基
肥後の火葦北国造一族の墓か?近畿の吉備・葛城系氏族が筑紫を中継地にして狗邪韓を開発したか?

■503  新羅、国号・王号定める

このあたりで武寧王、オオドに鏡を贈ったか?
■507年 男大迹王が河内国樟葉宮にて治天下大王に即位(継体大王)
■512  倭国任那四県百済割譲、百済記述は奪取。
     (『日本書紀』は下さいと言ってきた、百済側は奪い取ったと記録。)   『日本書紀』代わりとして五経博士来日?漢字その他の伝来?もっと早いだろう。卑弥呼は文字を知っている。
立場の違いで記述も正反対になる。大伴金村これによって権威失墜。大伴氏衰退。

■520  新羅、律令頒布、官の衣服を制定(日本の冠位十二階に当たる)
■522  司馬達止、来朝し、草堂に本尊を安置?(『扶桑略記』)

仏教も文化も、豪族・商人らはとっくに持ち込むが、渡来人も自前で持って来る。しかし宮中全体的な公伝にはならない。秦氏は新羅系の弥勒信仰や「後戸の神」を持ち込んでいる。

■525  百済武寧王陵築造
■527  新羅、仏教公認 
      筑紫国造磐井の乱
■531  『百済本記』に日本の天皇及び皇太子・皇子ともに死すと記録される
■532  新羅、金官国(南伽?)併合
■534  武蔵国造乱を起こす
■536  蘇我稲目宣化大王?の大臣となる 
■538  百済、泗沘(しび)城遷都(国際関係の巻き返しねらう)
      ※この頃、新羅、真興王(チヌン・ワン)によって花郎(ファラン)制度始まる(弥勒信仰が深く関わる)。
      のちに王族花郎の金春秋台頭
      (このあたりで百済から畿内倭国へ対新羅対策として仏教公伝か?ここでなら弥勒信仰も付随できる)

■539  欽明大王即位? 飛鳥時代へ
■552  蘇我稲目、百済から仏像下賜され、小墾田の自宅(のちに推古女帝小墾田宮に)に安置。
      新羅、漢山城を百済から奪取(百済挽回策で倭国へ仏教を?)
■562  新羅、大伽耶(高霊伽耶)を滅ぼす。
      蘇我稲目へ高句麗から美女、妻にする。
■586  高句麗、長安城に遷都
■587  蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)
■588  百済から寺工人・鑢盤(ろばん/仏塔の相輪の部分)博士・瓦博士・画工ら貸与さる。
      皇極女帝、これらと飛騨の工人たちを饗応す
      蘇我氏飛鳥寺造営開始。百済昌王、自筆署名の仏舎利容器贈呈。飛鳥寺仏塔地下に埋納さる
■612  煬帝、高句麗攻撃(薩水の戦い)
■642  新羅に淵蓋蘇文(えんがい・そぶん)台頭 
      ※この頃 王族花郎の金春秋台頭
■644  唐、高句麗に開戦宣布
■645  安市城の戦い 高句麗、唐に勝利
      乙巳(いっし)の変で蘇我氏本家滅亡。
      翌年大化の改新?孝徳大王難波へ遷都
■654  新羅、金春秋即位(武烈王、太宗)                 
■655  金春秋、将軍・金庾信とともに巧みな外交(花郎大活躍)
■660  新羅、唐と連合し百済滅ぼす
■663  新羅・唐連合軍、白村江に百済・倭連合艦隊を大破し百済再興は消滅。
      百済王族大挙して倭の近江(蒲生郡など)などへ
      中大兄、天智天皇に。母斉明天皇の死を悼み各地に寺院。近江に遷都 
■668  新羅・唐連合、高句麗を滅ぼす
■672  壬申の乱・天武天皇即位
■676  新羅、三国統一
■683? 天武、飛鳥浄御原宮から藤原京遷都
■685  藤原不比等初出、判事に。草壁皇子に出仕。母・鸕野讚良にまみえる。
■686  鸕野讚良、はじめての「天皇」称し即位
■687  新羅、郡県制
■698  渤海国興る

■710  元明女帝、平城遷都 奈良時代へ
■712  『古事記』成立
■720  『日本書紀』成立

■794  桓武天皇、平安遷都・平安時代へ
■892  後百済興る

■901  後高句麗興る
■926  契丹、渤海を滅ぼす
■935  新羅・敬順王、高麗に降り新羅滅亡
■936  高麗、後百済を滅ぼし半島再統一

      平家台頭。武士の時代(中世)へ


■1180 源平合戦開始
■1185? 源頼朝、鎌倉幕府
■1231 モンゴルが高麗に侵攻→元国
■1259 高麗王朝、モンゴル帝国に降伏→モンゴル・高麗軍、日本へ=元寇
       反元運動高まる

      文永・弘安の元寇
      室町幕府

■1392 李成桂、王位に。高麗王国滅亡→翌年国号を朝鮮に   
■1418 世宗即位
■1443 世宗、ハングルを創製
■1467 応仁の乱発生~1477
      戦国時代へ
■1590 豊臣秀吉朝鮮侵攻
   ※天下統一後、秀吉はそれまで使ってきた家臣やその下にいた草、非人たち(これが秀吉の躍進の影の功労者である)のいくさ中毒状態を抑えきれなかった。それでそのはけ口として海外に矛先を向けざるを得なくなった。このとき、浜松殿(徳川)を敵に想定する想像力があれば、この朝鮮への迷惑な派兵はなかっただろうし、豊臣の天下は続き、歴史は随分変わっただろう。

■1607 日本と国交回復(・徳川家康の江戸幕府との通信使交流)
■1636 清国、朝貢を要求、清の支配的時代続く     
■1832 イギリス、アーマスト号寄港し通商を要求            
■1897 国号を大韓帝国に改元 
■1925 朝鮮共産党結成
■1905 第二次日韓協約調停
■1906 日本、朝鮮総督府を置く
■1941 太平洋戦争勃発
■1945 日本帝国主義の植民地支配から解放
■1948 チェジュ島人民蜂起、大韓民国樹立・朝鮮民主主義共和国樹立
■1950 朝鮮戦争勃発
■1963 朴政権
■1965 日韓基本条約調印
■1973 金大中事件
■1994 金日成死去
■2002 日韓ワールドカップ開催 




データベース 水野俊平著・李景監修『韓国の歴史』河出書房新社 2007 
       関周一『日朝関係史』吉川弘文館 2017
       遠山美都男 敗者の日本史1『大化改新と蘇我氏』吉川弘文館2013
        Wiki6世紀






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