古代日本と東アジア交流史 1 日朝・三韓以前
現代、東アジアと日本の関係は微妙になっている。現代の日本と東アジアの勢力関係、交流関係の大前提として、古代のそれを知っておくことは、人同士が円滑、平和に付き合うためにはかかせない歴史だろう。ところが、日本人のほとんどは、第二次大戦以来、あまりここを知りたがらず、おざなりにしてきたし、学校でも、ざっとしか教えていないのではなかろうか?今回は最も近い隣国である朝鮮半島と倭国のつきあいの歴史をメインに、3...
View Article小池百合子の役目はただひとつ 自民党の分断と正しい二大政党政治の実現
小池選挙に関するこれまでの独り言(過去記事へのコメント)想定どおり、ついに石破の名前が出てきましたね。2017/10/1(日) 午後 7:15 自分の国を自分たちで守ろうとする、そのための改憲は当然。...
View Article蘇我氏と葛城氏 大王の条件
日本史の継体天皇までと飛鳥時代を区切って考えると、前者は近畿地方の王権だったかどうかいくらかの疑問点が垣間見えるが、後者は、飛鳥に蘇我氏の墳墓や遺跡が出ることで、これは飛鳥は間違いなく大和の王権であると言うしかなくなる。神武から三輪王家までは、九州の伝承が大きな影響を見せており、三輪の前半、崇神・垂仁あたりまでは奈良の、小さな王家内部のエピソードになっており、後半が景行~神功皇后といった九州的な話に...
View Article近つ飛鳥の古墳分布図
http://ktmrj15.webcrow.jp/p27os/tpx13073itisuka18.htm南に古市古墳群、東に斑鳩。竹之内街道で斑鳩を経て遠つ飛鳥(奈良明日香村)をつなぐ場所にあって、蘇我・石川氏の方墳テーマパーク。
View Article古代日本と東アジア交流史 2 三韓時代
3世紀の世界史は気候によって大きく左右された。これは東アジアに限ったことでなく、世界中で共通している。1世紀あたりから、火山爆破も相次いで、地球全体は冷え込んでゆく。すると東西で、帝国がゆらぐ事態が連鎖していった。東アジアでは前漢が滅び、遼東に公孫氏が台頭。南の高句麗を圧迫しはじめる。高句麗はしかたなく南下政策をとって、半島南部の韓諸国を侵し始める。それが倭国にも影響するのがこの時代である。前記事で...
View Article古代日本と東アジア交流史 3 漢から魏へ 女王卑弥呼の登場 歴史本義
本論に入る前に、まず中国の1~2世紀、「光武帝」「桓霊時代」「中平」年について解説しておく。前置き、中国のここまでの流れ(光武帝時代)と韓地名の初出「新(8~23)代からの混乱は、王朝の把握人口を激減せしめた。実に漢末約6000万人の4割にも満たなくなってしまったのである。これは、現行の統治機構、防衛機構それ自体の維持にさえ支障の出る数字である。漢を号して再統一を目指した劉秀(後漢・光武帝)は、遼東...
View Article古代日本と東アジア交流史 4 4~5世紀 広開土王・金官新金氏・嘉悉王・大吉備王と葛城氏と火の葦北国造と伽耶・任那経営
265年 魏滅んで司馬氏西晋成立 280年 西晋、呉を完全に滅ぼす 291年 八王の乱起こり西晋の東方統治おろそかに。半島諸国活動活発化 311年 西晋滅亡 313年 高句麗美川王、楽浪・帯方両郡を滅ぼす。二郡の中国人高官らを接収し、反東北部を掌握 これにより、南部は中国の属国から解放された 337年 遼東の慕容皝、前燕建国...
View Article古代日本と東アジア交流史外伝 吉備・葛城・肥後・出雲・そして諏訪 直弧文は近畿鬼道支配のシンボルか?
前回、光州栄山江沿岸域の13基ばかり存在する前方後円墳の主について、筑紫つまり九州勢力の墳墓であろうと書いておいたが、章の最後に、それとなく吉備・葛城氏のことを書き添えてもおいた。そして熊本の葦北国造が吉備王由来氏族であることも付け加えた。つまり、倭五王時代の九州には、吉備・日本海由来の管理者が入っていたというわけだ。『日本書紀』では火葦北国造刑部靫負阿利斯登の子・日羅は大伴金村を「わが君」と呼んで...
View Article東アジア年表 4万年前~現代まで一気に
HPの比較年表に若干手を入れて書き加えております。 ■約4万年前長野県信濃町に動物の解体の痕跡=最古の列島原人存在■BC1,4000年頃、中国長江流域に文明開始(BC1000年くらいまで存 続。南朝の前身) ●約1,2000年前 ヤンガードリアス厳氷期が終了し急激に地球気温上昇■一万年前くらいまでに九州から東北に無紋土器・隆線紋土器が出現...
View Article文武・天智・聖徳太子 不比等の策謀
文武天皇は、持統女帝が継嗣に考えていた草壁皇子の夭折によって、仕方なく孫の文武を後継ぎにするしかなくなる。しかしこのとき文武はわずか15歳の少年のうえ、病弱であった。前例のない少年天皇の即位を、藤原不比等は正当化せねばならない。その第一が『日本書紀』天孫降臨神話に反映された、アマテラス=持統の孫・ニニギの命の降臨であることはよくご存知だろう。そして第二になされたことが、なぜかおくれていた天智天皇の諡...
View Article蘇我入鹿はなぜ鞍作大臣と呼ばれたか?物部大臣という弟はいたか?
蘇我入鹿の別名は宗我太郎、林太郎、鞍作大臣などといくつもある。林太郎は「はやしのたろう」で、林氏と深く関わる。林氏は蘇我氏と同族の武内宿禰枝族で直接の先祖は波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)である。つまり蘇我氏とは親戚になる。入鹿は蘇我を継ぐとともに林臣氏の惣領でもあったのかも知れない。複数同族のあとつぎというわけだ。そして鞍作は乳母の氏族名だと思われてきた。ところが、大阪府の八尾市渋川に、鞍作と...
View Articleどのような改憲かで選ばないと、安倍は
この選挙の最大のポイントは、政権選択などにはない。改憲の品質にある。安倍の改憲が戦争是認、こちらから行ってしまえる戦争ならば、小池や立憲の改憲は、あくまで防衛の範囲内での改憲。それはつまりは、向こうが攻撃しなかったらこちらからは行くことはない、というものであり、憲法は大きくは変わらない。向こうが攻撃したときに、現行の憲法では動けないことが多すぎる。そこを変えようというものである。しかし安倍は、違う。...
View Article厩坂と厩戸とベルベル人の馬と蘇我蝦夷と
『日本書紀』「応神天皇3年10月条に東の蝦夷(えみし)を使って厩坂道を造ったとみえる。同15年8月条によると,百済(くだら)王の遣わした阿直岐(あちき)に命じて軽坂上(かるのさかのうえ)の厩で良馬2匹を飼育させたといい,現大軽(おおがる)町付近と推定される。」...
View Article隠し田 なばため
「なばため」の語源は「なば」が「隠(なば)る」で「た」は「田」そして「め」は「間」のような意味で、隠田を意味するという。隠田(おんでん)は、農民が年貢の徴収を免れるために密かに耕作した水田のことである。隠田は「かくしだ」あるいは「いんでん」とも読み、現代仮名遣では「し」を補って、隠し田とも書く。忍田(しのびだ)とも言うが、同様に忍び田とも書く。他に隠地(おんち)、隠没田(おんぼつでん)もいうが、これ...
View Article乙巳の変・フィクサーは皇極女帝か? 舂米女王の大反駁・息長系譜は信用できない
「『日本書紀』皇極紀[1][2]によると、推古天皇が病死後にその後継問題が発生し、蘇我氏の庶流境部摩理勢らは山背大兄王を擁立する。その結果、蘇我蝦夷の擁立する田村皇子らと皇位を争うが、蝦夷から山背大兄王に対して自重を求める意見をされたこともあって皇位は田村皇子が継承することとなり、629年に即位(舒明天皇)する。...
View Article五条野(見瀬)丸山古墳被葬者は蘇我稲目か?170万アクセス感謝記事 怨念と祟りの蘇我・皇極
聖なる蘇我氏墳墓ラインと、丸山古墳の被葬者を決定すれば。謎が次々解けてゆく。五条野丸山古墳(大軽丸山古墳/見瀬丸山古墳)は、奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町にまたがる前方後円墳。奈良県最大規模。石室までの長さは日本最長(二位は福岡県の宮地嶽古墳【推定・宗像君徳善墓】)。...
View Article次の台風と大きな地震にご注意 Kアラート
Kawakatuの予測アラートとでもいいましょうか。台風21号、大きかったですね。まだ九州でも強風がときおり吹いています。しかしその強風のおかげで、先ほどから青空がぱあっと広がり始めました。洗濯日和です。まさに台風一過。天気予報は長期的上天気を予測していますね。しかしまだまだ安心できません。太平洋の南で、また熱帯低気圧が発生し、明日までに台風に発達する天気図が出されていますよ。...
View Article古代日本と東アジア交流史 3 漢から魏へ 女王卑弥呼の登場 歴史本義
本論に入る前に、まず中国の1~2世紀、「光武帝」「桓霊時代」「中平」年について解説しておく。前置き、中国のここまでの流れ(光武帝時代)と韓地名の初出「新(8~23)代からの混乱は、王朝の把握人口を激減せしめた。実に漢末約6000万人の4割にも満たなくなってしまったのである。これは、現行の統治機構、防衛機構それ自体の維持にさえ支障の出る数字である。漢を号して再統一を目指した劉秀(後漢・光武帝)は、遼東...
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