昨今騒がれる大気汚染問題。
さて、それが始まったのはいつなのか、あなたはどう考えているだろう?
筆者などは、気候の歴史本を読むまでは、それはおおよそは19世紀の産業革命からであろうぐらいの認識でいた。しかし、吉野正敏『歴史に気候を読む』を読んで、目からうろこが落とされた思いになった。
それは人類が火を発見してすぐに始まったのだ、とこの本には書いてある。
特に、地球が乾燥期に入った5000年前から、それは人類が河川に集まって都市ができるようになると、ひどくなる。つまり四大文明が生まれた頃から、本格的大気汚染はもう始まったのである。
その四大文明の発生要因を、ブッツァーや鈴木秀夫、安田善憲ら気候歴史学の学者たちはこう分析している。
1 氷期から後氷期にかけての環境変化、とりわけ気候の乾湿の変動が大きい
2 ヒプシサーマル(気候最良期)が終わった約5000年前、地球は湿潤から乾燥期へ
3 このために人々は大河のほとりに集中するようになった
いわゆる湿地帯であったがために、そこで農業が安定的になって、ますます人が集まり都市化。文明がめばえる。これが四大文明である。(講座『文明と環境』第四巻「都市と文明」1996 安田)
都市ではさらに政治・経済・軍事・文化活動を容易に行えるセンターができてゆく。文明とは必ず都市に付随するものだと吉野は明言する。とすると例えば日本の縄文時代なら、後期に出現した三内丸山遺跡などはさて、都市だったのだろうか?
エジプトの古代王国は、最初にエレファンティン島というナイルの中洲島に生まれ、170mx100mの狭い範囲を囲んだ歪んだ卵型の外壁に囲まれ、内部には神殿、外部に一般住居があったという。
上エジプト期になるとプトレマイオス朝のときにエドゥフという都市では、最大時450mx350mの規模に。中王国時代のカフンでは384mx335mの規模で、幅が8~9mもの直線道路を備え、階級の高い人たちの大型住居地区と、低位の人々の小型住宅地が分かれて存在し、下水道すら整備され、路面はタイルで舗装されるほどになっている。収容人口は8000人に達した。これほどの都市から、炊飯、暖房その他に使うかまどの火その他から、かなりのco,2がすでに出ただろうし、大気も汚染されたことだろう。
広い道路は中国の13世紀にもマルコ・ポーロが舗装道路が都市中央を走っていたことが書かれている。広い道路は、都市の風通しをよくする最大の発明であった。
欧州では、ロンドンでもパリでも、なんと17世紀になってもまだトイレもなく、糞尿や生ごみは窓から投げ捨てられ、都市の衛生環境は最悪だった。貴族の長いスカートは野外で用を足すのを隠すために出現し、世界はコレラなどの伝染病やつつがむし病などの疫病が定期的に流行した。
近代になると、例えばロンドンでは、産業汚染で田畑は硫黄まみれ、太陽光もろくに届かない・・・とイブリンが書いている。あのロンドン名物のどんよりとした霧は、産業革命で真っ黒な空気が作り出したものであるが、すでにギリシア、ローマ時代には建物の大理石がすすで黒ずんでいくのが問題視されていた。現代のロンドンではもう傘を持ち歩く紳士がいないほど環境が改善された。「霧のロンドン」はもう死語になりつつある。
当時から、工業都市は大都市から隔離された場所に移される。あのビートルズが生まれたマンチェスターやリバプールは有名である。つまりビートルズの青年たちは、イギリスでも労働者階級の出身であることがわかるわけだ。顔色が悪く、背骨がやや曲がった低所得層の育ちのあまりよろしくない青年たちと、当時の雑誌で評論家が書いていたのを覚えている。そういうところから新しいパワーは実は登場するものである。
1638年のパリはアンシャン・レジームの最中だったが、政府は、郊外での新しい建造物を作るのを禁止している。パリ市内は無計画な建造物や場末の飲食街が増幅して、まったく無秩序状態で、空気の汚染は最悪だった。それでルイ15世は、再び場末の建築を禁止したほどだ。
つい戦後まもなくでも、パリといえば「犬のフンのにおいが」名物だったと開高健も書いているほど、欧州の大都市ですら不潔そのものだったのだ。18世紀まで食べ物は手づかみ。ナイフ・フォークはロシアから入る。テーブルマナーやコースそのシステムもロシア王朝の物まねだった。フレンチのすべてがイタリア・オーストリアなどから嫁入りしてくる王妃たちによって持ち込まれて定着する。
野蛮なパリ・ロンドン・・・。ちょっと考えられまい。
路を歩くのに、人々は犬フンばかりか人糞までよけながら歩かねばならなかったのだ。あのシャーロック・ホームズもそうだっただろう。鼻の曲がりそうな悪臭と、かまどの煤で真っ黒な空気。チムチムニーの歌を思い出せばいい。映画メリー・ポピンズの煙突掃除の歌だ。
1830年代、そこに蒸気機関車と自動車が登場する。この出現が、ついに為政者を環境整備の道へと立ち上がらせてゆくわけだが、それが実現したのはつい20世紀後半になってからなのであった。
われわれは今、中国のpm汚染について揶揄するが、なんのことはない、昭和の日本の東京も大阪も、大気汚染と光化学スモッグ、河川水銀汚染で最悪な環境の高度成長期だったのだ。高校生のとき、大阪の大学に行った兄が帰省して、大阪の夕日は紫色なのだと語ったのを覚えている。あの色はつまり大気汚染によって夕日がそう見えるほど空気が汚かったということなのにあとから気がついたものだった。
つまり環境汚染はすでに人類が作り出してきた環境なのだと言ってかまうまい。ということは今の温暖化も当然そういうことだ。人類が発生したときから火を見つけたときから、もう地球は人工的な環境破壊を受け始めているのだ。19世紀は、それが一気にすさまじい勢いで広がったということである。そのつけは、当時のco2の成層圏残存という形でいまだに終わっていない。ばかりか、さらに蓄積されて、どんどん地球の空気は暖かくなっている。本来なら、そろそろ氷期に戻っていくはずなのにである。その矛盾が、昨今のわれわれの生活する季節の崩壊を招いている。
仁徳天皇は山背の盆地に立ち上るかまどの煙をながめて、平和で、豊かな場所であると満足したが、それこそは実は京都の環境悪化の初出記事だったとも言えるわけである。人類は、よい暮らし、豊かな暮らしのために火を燃やし、よい酸素を供給してくれる森林を丸裸にしていった。ばかりか銅や鉄を溶かして、大気を汚染し、水銀やニッケルやあらゆる鉱物でも大気と河川を汚染させてきた。仏像のために大量の水銀も使った。墓に塗る赤い魔よけの色を水銀からとった。それらは粒子となり、今も地球を、偏西風とともに経巡り続けていることだろう。聖武天皇が祈った大仏の金がまじる水銀も。そしてぼくが吐き出したタバコの煙も。すべて同じ。大気を汚し続ける人為的汚染物質である。
現代、電気はクリーンだとか、原発はクリーンだとわれわれはうそぶくけれど、実のところその電気を産むための燃焼させるエネルギーもまた大気を汚染する。原発はまかり間違えば、爆発的な大気汚染を引き起こす危険なおもちゃだ。戦争もまた大量のエルギー消費で汚染する。山火事の比ではない。工場の爆発、うちあげる花火、大陸間弾道弾、毎日の家事、車の排出ガス・・・。言い出したらきりがなくなる。それを人類全員が出していない日はない。ただ人類の発展のためにのみ、汚染は造られる。
人類以外のあらゆる動物は汚さない。彼らは地球の役に立っている。しかし人類は破壊してばかりいる。生まれたときからわれわれは破壊者なのだ。の世界にいらない存在だと知るべきだろう。そこからはじめねばならないらしい。
竹田恒泰では死ぬまで理解できまいな。なにしろ仁徳の子孫ではな。