●太田地名と高句麗工人
さて紀ノ川河口部に太田黒田遺跡という遺跡がある。
ここに銅精錬工房があった可能性がある。ここの国主は紀氏である。
紀氏は葛城氏と同族で、武内宿禰の子孫である。
また同じ大阪湾沿線には陶器集団だった泉の多氏=おおたたねこの子孫(のちに大和に入って大三輪氏)がいた。その「おう」にも「の」がつけば「おおの」になり、大野・大田などの「おう」地名は技術者地名であることになる。大野さん、太田さんは、高麗由来の渡来系工人の子孫かも知れない。高句麗式積石塚古墳の多い長野県松本平あたりに太田さんという知り合いがいる。彼もそんなことを言っていた記憶がある。
だから「おうたたねこ」は「おうの・た・たねこ」?
●ナガスネヒコは那賀つ根彦?
先の紀ノ川の那賀地名は「なか」でここに「なかそねひこ」の別派がいたのかも知れぬ。中曽根氏姓は群馬の北関東と沖縄に多い名前であるが、上州は渡来系技術者=胡人の集散した土地である。多胡地名の由来はこれだ。
埼玉や栃木や群馬に中小工場が多い理由もここにある。古代からそういう工人の集ったところが関東の隅田川から以北である。「ながすねひこ」の一族は、出雲や大和にもいたらしく、ときおりそうした群集墳から体躯の大きな170センチくらいある遺骨が出てくる。ナガスネヒコの手足が長いという土ぐも的な特徴が見事に合致する。土蜘蛛にはどうも縄文的な小さな種族と、高麗的な背の高い種族があったようである。那賀を根拠地にした男こそがナガスネヒコ。
●阿多の井光
同じ紀ノ川から熊野の阿陀(あだ)で記紀で出てくる「井光 いひか」という穴から出てくる一族は、命綱らしき尻尾が生えていたという。神武はこれも味方にしている。そしていよいよ熊野の豪族だった尾張氏や隼人も登場する。紀ノ川を丹生川上まで遡上すると「荒坂」というところがあって、これも熊野にあると記紀は書いたが、こっちだった可能性がある。その一帯を「阿陀」と言う。あの南九州隼人の地名である。阿陀津比売神社がある。
●太田に多い工人系の古墳群
書き忘れたが大田地名も古墳のあるところが多い。
兵庫県姫路市太子町大田は瓢塚(ひさごづか)古墳があり、揖保郡飾磨になる。飾磨には綾部古墳群という群集墓がある。揖保そうめんで有名な揖保は、ところによっては疣になって疣とりの神様が神功皇后と安曇磯良などと合祀されている。その代表は大阪府茨木市摂津三島の大田にある疣水神社である。ここには東奈良遺跡という青銅器鋳造品が沢山出ている。摂津三島にはそのほかに日本海出雲からやってきた土師氏の須恵器埴輪工房もあり、これは今城塚古墳の埴輪製造集団である。その土師氏に関わる技法に淡輪技法があって、紀ノ川河口部の淡輪古墳群という巨大古墳の埴輪などを造った後、同じ技術の土器が京都の桂川沿線の物集古墳群傍からも出てくる。こちらは淀川で摂津の古墳群にも製品を送っていたと考えられる。東京都に大田区がある。渡来系工人地名であろう。今でも中小企業が多い。
●伊太祈曽神社と日前宮・国懸宮と五十(いそ)の謎と高師小僧
紀ノ川の太田黒田遺跡のそばには日前(ひのくま)宮・国懸(くにかかす)宮及び伊太祈曽(いたきそ)神社が鎮座。社伝では伊勢のヤタの鏡に先立って鋳造されたという鏡がある。ここを名草という。「呉のすぐりが来た」という伝説がある。また「いたきそ」については、「伊都から祖が来た」という意味合いが想定可能で、伊都国造の祖神は「イトデ」といい、文字は「五十亦手」と書く。熊野のスサノヲの子供である五十猛(イタケル・イソタケル)と同じ文字である。この「五十」で「いそ」「いと」と読ませる由来は福岡の青銅器集団で伊都国王にまでなった安曇族の王「いそら」由来ではあるまいか?伊都国なら新羅とも関係が深かったのは間違いないだろう。スサノヲが新羅経由で出雲から熊野へ行ったのもうなづめる。さらに・・・九州の壱岐島のクジラ獲りたちは熊野灘まで往古から漁に行ったという壱岐の伝承もある。筑紫の海人族は熊野を中継地にし、そこには阿多隼人などほかの海人族もあつまっていた。なぜなら紀ノ川河口部の湖沼地では高師小僧→たかしこぞうで検索が取れ、その奥地の吉野の阿陀には豊富な船の資材である樹木が繁茂していたからである。高師小僧とはバクテリアが集める鉄成分の丸い塊のことである。これは中国の高級漢方薬・禹余糧(うよりょう)の原料でもある。→このブログでうよりょう検索
その由来は百人一首にある
音に聞く 高師(たかし)の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
かけじや袖の ぬれもこそすれ
祐子内親王家紀伊(72番) 『金葉集』恋下・469
でわかるように、大阪の和泉国(現在の大阪府南部の堺市浜寺から高石市あたりの一帯の地名からである。同じ地名は愛知県の湖沼にもついていて、ここも高師小僧という褐鉄鉱が取れる。泉州から紀州はこのように往古から鉱物の山地であり、紀ノ川上流に丹生地名があり、高野山を空海が開いたのも水銀以外にも多かった鉄や鉱物を資金源にするためだったのである。そして和歌がいうように、大阪湾住之江から紀ノ川名草にかけて渋川などの鉱物地名と物部氏、多氏、紀氏たちが集合した理由ももちろん鉱物にある。武器と農具と船釘生産のためである。当然葛城氏も尾張氏も海部氏もそうである。そこでみな同族化したのである。これが最初の大和地域の王族を出す連合体であることは言うまでもない。その大元が九州の伊都郡にはあったのだ。また和歌山の対岸・四国の吉野川上流には忌部氏が開発したらしき水生水銀鉱山がある
泉北ニュータウンからでてきた陶邑工房窯跡は大三輪氏=多氏=おおたたねこ氏族の陶器工房であるが、ここの黒くて巨大な須恵器つぼは全国の「見せる古墳」からひんぱんに出土する。その堺市もまた渡来系鍛冶集団が集ったコスモポリタンの港で、彼らからは茶道の創始者である千利休が出ている。だから「千」という氏名はたぶん渡来系のウジナであろう。そういえば出雲国造家も千氏である。
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
Kawakatuワールドなんでも拾い上げ雑記帳http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
Kawakatuワールドなんでも拾い上げ雑記帳http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html/