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平原遺跡の国宝内行花文鏡(国産鏡)とふたつの伊都国 その1

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「平原弥生墓は年代的に3世紀初の築造とされ、下池山古墳(4世紀初)より遡るものですから、これらの大型内行花文鏡の製作年代も平原のほうが先行するものでしょう。前表のその他各古墳も平原よりも年代が下るものですから、現在判明しているところからすれば、これらの古墳から出土した大型鏡は平原出土のものが最古ということになります。

平成12年3月、平原遺跡に関する前原市教育委員会の文化財調査報告書、第70集が刊行され、同遺跡にたいする統括的な調査報告と現時点における研究成果が発表されました。とくにこの報告書では、出土した鏡40面についての報告「平原王墓出土銅鏡の観察総括」が注目されます。

柳田康雄氏は「1.超大型内行花文鏡の検討」のなかで、次のように中国鏡にない特徴をあげています。
1.直径46.5cmは、中国鏡にない超大型鏡である。
2.鈕座の八葉紋や九重の同心円紋は、中国鏡に類例がない。
3.湯口位置が鈕孔方向に直交しており、中国鏡製作技術と異なっている。
そして、さらに次のように指摘しています。
13.同型鏡が5面と多いことは、大量生産技術や政治体制を備えていることを示している。

上記1.2.3.は、同遺跡出土の大型内行花文鏡が倣製鏡(注:中国鏡を模倣してつくられた鏡)である可能性を示唆しており、さらに同時に出土した多くの方格規矩四神鏡についても、様々な事例をあげてこれらが倣製鏡と見られるとしています。


6. 鏡作り工人は、当然のことながら中国の鏡作り工人が渡来したものであるが、製作技術が稚拙であることから、渡来二世や倭人への技術伝授が考えられる。

18.鏡工人の渡来は、永初元(107)年に「倭国王帥升」が「生口百六十人を献じ」た以後と考えられ、その主体者が倭国王と認められている伊都国王である。

これら平原遺跡出土の内行花文鏡や方格規矩四神鏡は、かねて国産鏡であると言われてきましたが、鏡の分析を通じてそれが明確に指摘されたわけです
 



「平成18年6月9日付の官報(号外 第132号)で魏志倭人伝・伊都国の王墓「平原方形周溝墓」の出土品一式が国宝に指定された。指定された出土品は「銅鏡40面」「玉類一括」「鉄素環頭太刀一口」などである。皇位のしるしとして歴代の天皇が受け継ぐ三種の神器「鏡」「勾玉」「剣」が揃っている。もちろんその鏡の中には、世界最大直径46.5cmの「内行花文鏡」が含まれている。この鏡は、その大きさなどから「八咫(やた)の鏡」と同じと思われている。魏志倭人伝の
 
「世有王皆統属女王國郡使往来常所駐」
「自女王國以北特置一大率検察諸国・・・常治伊都國・・・」
 
からも邪馬台国の時代「伊都國」が重要なクニであったことがわかる。
 
 
 


 
 
 
 
伊都国王の精銅工房遺跡・平原
平原(ひらばる)遺跡は伊都国王・・・女王国一大率の管理者であろう・・・の王墓であるとどの考古学者も認めている。
伊都国があっただろう糸島半島は、福岡県の玄界灘沿岸のやや西よりに位置し、上記記事にもあるようにここで国産銅鏡が呉などの南朝系工人などによって作成されただろうと推定されている。つまり平原のある伊都国には鍛冶鋳造工房があったことがほぼ確実視されてきたのである。
 
 
中国の考古学者王士倫は森浩一の招聘で来日し、森らとともに平原の内行花文鏡などを視察し、一目してこう発言したという。(森浩一『三輪山と日本古代史』「鏡の考古学」学生社 2008)
 
「日本ではこういうものを中国鏡だと考えているのですか?」
 
デザインが違うと彼は言ったのである。
大きさの違いとかには言及せず、デザインの違いからそう言ったわけだ。
彼は中国鏡研究の権威で、現地で大量の鏡を仕分けしたエキスパートである。その彼が一目見てそう言ったのだ。
 
この鏡を九州国立博物館杮落としの日に、素人のKawakatuが見てまず思ったのは、これほどの大きな鏡は中国の正統な鏡である白銅鏡では途中で壊れてしまうだろう。同じ国産鏡である三角縁神獣鏡も、平原の鏡ほどではないが常識から見て中国鏡よりかなり大きめで、やはり作成途中にひいずみがでるために三角縁という特殊な形に補強せねばならなかった、と考えている。
 
 
●青銅鏡は割れにくい
青銅鏡は白銅鏡よりもわれにくい。ということは柔軟性があるということで、巨大な鏡を作るにはこの方法しかなかったのだと思う。呉鏡工人にはそういう柔軟なノウハウがあったのだろう。そしてその技術が倭人に教え込まれた上で、その後の国産鏡は倭の工人によって続々と作られたと見る。そのために紀年銘文の文字があまり洗練されていないとか、模様が本場とは違ってしまったりとか、微妙なオリジナリティの結果、日本独自のデザインに変化したのであろう。王氏はそれを一目で看破したのである。
 
そもそも倭人はオリジナル加工、独自のデフォルメに関しては世界に冠たるものがある。それは悪く言えば忠実性に欠く、適当な?おおざっぱなとらまえかたの名人という言い方になるかもしれぬ。デフォルメの天才であるために、オリジナルへの忠義心に薄いとも言えるか。
 
 
九州の装飾古墳の、それも直弧文を貼られた様な中央派遣の管理職たちの墳墓は石棺も石室も比較的正確な造り方をしてあるが、装飾を描かれた古墳は、どうもやや雑なつくりになっているように見える。もちろん素材と道具のあらましさもあることだろうが、それでも縄文人の建造物などには古いのにそれなりの正確さが見えるわけで、決して弥生古墳時代の日本人がいい加減だったとも思われないのに、わざわざそういう構造になっている。どうも工人そのものの違いがあるかと見える。
 
Kawakatuはそれらの工人は海人族だったのではないか、と見ている。
 
 
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●ふたつの「いと」
さて伊都国という地名である。
今、糸島半島というけれど、これはイト郡と志摩郡が合併した地名である。
「いと」という地名が海人地名だと感じるのは、和歌山県の紀ノ川南部域の海草郡名草にも伊都地名があって、そこが海人族と渡来系銅精錬工人の同居する場所だったからである。もっとも、紀州の伊都地名はいつから存在したかはやや疑問もある。少なくとも明治時代の市町村制度の前から存在していたことは間違いないのだが、それ以前のことはわからない。しかし、この地名のほかに「那賀」という地域名は、九州博多の古い名前である「那珂川」で音が共通するのである。まずもって「なか」地名の分布図をここで作成したときから、なかとは海人族安曇地名、それも「なかそね族」のいた地名である。
 
上垣外憲一は神武東征が熊野を南部の端までおりたという『日本書紀』の記述を疑い、神武は実は紀ノ川を遡ったのではないか?と推察している。その最大の理由は紀ノ川沿線に点在する丹生地名である。丹生は「にゅふ」で、主に水銀を求めて入り込んだのではないかと、かの水銀と古代史の研究で有名な松田壽男の言葉から推察するのである。
 
松田の本は読んだが、丹生の使用方法には水銀に限っていないと筆者は思う。古代の「にう」という言葉には褐鉄鉱やベンガラなど、あらゆる赤い鉱物・土に対して混同して使われており、むしろ水銀地名ではないケースのほうが多いのである。
 
 
●泉佐野と丹敷戸畔・にしきはにうが正しい?
大阪府の泉佐野丹敷戸畔(にしき・とべ)と記紀が読ませる女酋長がいたと記紀は書いており、これを神武が帰順させる。泉佐野の「佐野」地名自体、どうも神武の「さののみこと」から来た可能性はないかとも思うが、神武の本拠地である宮崎県よりも、実は大阪府~吉野にいたる紀ノ川沿いのほうが佐野神社が多いのである。神武への愛着はどうも本家日向以上にこちらが大きい。その丹敷であるが、これを記紀は「にしき」と読むのだとするけれど、「敷」の音読みは「ふ」であり、丹敷で「にふ」と読むのが正しいのではないかと上垣外は言うのである。
(日向の佐野神社は宮崎県高鍋町にある。たかなべはもと「鷹の目」である。神武に関わる集団は鷹をステータスとしたようだ。そのことは熊野で出てくる金の鷹で見ての通り)
これを個人的に考えると、
福井県のお水送りで有名な遠敷郡は「おにゅう」と読む。
ここで「敷」の文字は確かに音読みで「ふ」となっている例があるわけである。
 
そもそも「敷き」とは何かと調査すると、鉱山の間歩穴のことなのである。
これは今でも鉱山師の間では隠語として通用すると祖母山の鉱山師から直接聞いた。
だから「丹敷」とは「丹生鉱山」という地名なのだ。。
 
さらに「戸畔 とべ」の読みは「とめ」である。とめとは「と」は「つ」で「め」は「女」である。助詞の「の」が「つ」であるから、「~の巫女王」である。これが水銀鉱山なら水銀鉱山現場のおんな主任のことになる。なにか「もののけ姫」に出てきた鉄砲鍛冶版場の女あるじのイメージが湧いてくる。
 
ついでだから熊野という地名だが、「くまの」は「こまの」で、高麗のいる土地であるかも知れない。すると熊本も高麗だろうか?この高麗は中世のこうらいのことではく、呉などと同様、朝鮮半島全域を指す。もちろん高句麗も高麗である。
 
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その2に続く
 
 
 
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