息長氏異聞その2 筑紫と日本海と神功皇后
●九州の伝承地と伝承 ・ 豊前国鹿春郷(とよくにの・みちのくち・かはら(かわら)のさと)(『豊前国風土記』逸文) ・ 豊前国鏡山(豊前国風土記逸文) 上に同じ ・ 穴門ノ豊浦ノ津(あなとの・とゆらの・つ) 山口県下関市長府宮の内町1-18 式内忌宮(いみのみや)神社伝豊浦宮跡 熊襲征討のため、紀伊国から出陣した仲哀天皇と敦賀から出陣した皇后が合流した所。 ・ 筑紫訶志比宮(橿日ノ宮)...
View Article息長氏異聞その3南山城・播磨・科長
http://music.geocities.jp/mtaketoshijp/newpage9.htm◆南山代(みなみやましろ)の息長伝承 古代の南山代(みなみやましろ/山背)の息長伝承について京田辺市の普賢寺に(1441)嘉吉元年の普賢寺補略録から、その息長関連要旨のみを抽出してみました。 普賢寺 在ニ同州綴喜郡筒城郷朱智長岡荘一。 普賢寺補略録曰...
View Article来訪神・まれびとの祭り一覧・改訂版・パーントゥ・シロマタ・シラヤマなど
南島的来訪神(精霊信仰)の祭り 琉球諸島 ●マユンガナシ(川平島・石垣島群星御嶽)http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-97.html 動画http://www.youtube.com/watch?v=LZqaEnV66WM...
View Article『秦氏が祭る神の国・その謎』全文スキャナー版
PDFでは重くなる、誰でもすぐに読めるようにしたい。しかし著作を無料で解放するのも自殺行為。そこで最初の二章のみ全公開し、残りはファン登録した人にみに公開することにする。 著者そうだじゅん 『秦氏が祭る神の国・その謎』 第一章 かむやらい...
View Article海の道・貝の道追加記事/北海にしかいない貝の九州出土 ・有珠モシリ遺跡
●北海道有珠10遺跡【うすじゅういせき】(今は有珠モシリ遺跡※で統一)の南海産貝殻 「北海道伊達市噴火湾の小島(通称モシリ)にある縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡。島の中心は墓域になっており,それを取り囲むように貝塚が形成されている。西日本に多いとされる改葬墓や,南海産イモガイ※の腕輪やゴホウラの垂飾(すいしょく)※が出土していることから,続縄文文化と弥生文化とのかかわりが注目された。」...
View Article信仰と宗教
信仰(しんこう、英語 faith)とは、神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。 人やものごとを信用・信頼すること。 証拠抜きで確信を持つこと[3]。またそれらを信じることを正当化する要因。...
View Article神獣鏡とその配置/古代疑義 その1
古代史には多くの解けない疑問がある。その中で1 石槨内での銅鏡の置かれ方の疑問2 銅鏡祭祀の始まりと大和への移動の歴史が畿内銅鏡配布説と矛盾3 ついでに狗奴国はどこにあったか の、3点をメモしておきたい。 まず1銅鏡の配置の仕方、置き方 これは今のところ筆者も古墳時代、大和の黒塚古墳の画像しか見ていないので、専門家に聞いてみたいことがらになる。...
View Article古代疑義/混一疆理歴代国都之図の地理感などあり得ない
これがまたまた大和説の言い出した奇想天外な意見である。 15世紀の李氏朝鮮が作った地図である「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうり・れきだいこくと・のず)」を持ち出したがる大和説学者が山ほどいる。頭の中身はいったい何がつまっているのかと聞きたい。 いいでしょうか?あなたは歴史学者ですか? 『後漢書』にはこういう一文がある・・・。 『後漢書』巻八五 列伝巻七五...
View Article初心者必読・おすすめします、古庄浩明『考古学が解き明かす古代史』
めったに絶賛しないKawakatuですが、この本は古代史初心者からベテランまでお勧めしたいよい本。なによりも読みやすく、簡潔。専門的なこむづかしさは皆無。読み進むほどにすっきりしてゆく。ベテランは初心に戻り、初心者はどんどん古代が見えてくる、そんなよい本。いわゆる古代史入門書として秀逸。 古庄浩明(考古学) 『考古学が解き明かす古代史 日本の始まりに迫る』 朝日新聞出版...
View Article松菊里~検丹里そして江辻・板付へ/朝鮮型水田と環濠の移動/魏志倭人とは別の弥生人
「弥生時代における環濠集落の出現の背景には朝鮮半島南部からの一系列だけのものではなく、より古い縄文時代以来の北方ルートと長江流域との関係が存在した公算が強い、という見解もあるが[寺沢1999]、石器や土器など総合的な文化的所産から考えて、直接的な祖形としては韓国南部地域を源流とするのが妥当であろう。原三国時代の環濠も含めると韓国では20 ∼...
View Article広開土王碑文/倭と高句麗は新羅・百済を手にせんとす
あくまでも読み方の一例である。この碑文には歴史観が関わるために、読み方はさまざまあることだけは先に申しておく。 391年 倭、海を渡り百済・新羅を破り臣下とす。396年 広開土王(好太王)軍を率い百済を攻める。平壌(ピョンヤン)に至る。399年...
View Article挟撃/四つの邪馬台国
●弥生時代 歴代挟撃構想 三世紀前後、極東地域には群雄が割拠していた。公孫氏燕国高句麗ワイ新羅(辰韓)百済(馬韓)伽耶連合(安羅・加羅(弁韓)・倭など)である。...
View Article卑弥呼・男弟・壹與の墳墓はここ
考古学的発掘結果に準じるならば魏志邪馬台国時代にジャストフィットする遺物が出ているのは大和(おおやまと)古墳群の古いプレ前方後円墳(纒向型弥生墳墓)しか「まだ」ない。今のところ推定充分な墓は、、、...
View Article和歌の名人氏族と敗北の構図
和歌・短歌と言えば古代史の花。その中で特に心に残る達人たちがいるが・・・。 柿本人麻呂大伴家持紀貫之・友則菅原道真公小野小町一家 などなど。 よく考えてみれば彼らの先祖がことごとく「やられた氏族」である。 小野氏と柿本氏はともに1~3世紀のヤマトの豪族和邇氏から出ているが、和邇氏は邪馬台国の中心事物でありながら、やがて歴史の影から消え、主体部は近江湖西へ移動した。...
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