先日、奈良の唐古・鍵遺跡の例の建造物がリニューアル発表されましてな。
どうしてこういう形状になったかってえと・・・、
この土器片が出たからですがね・・・。
およそ高松塚以前の古代人が描いた絵画は、ほとんどが、意識も意味も見た目もディフォルメされた概念・観念的画像だと思うのである。
言わば今の漫画やアニメを日本人は得意としているが、それは装飾古墳など見る限り、非常に幾何学的に描かれている。だから高松塚やキトラより前の形象ってやつは、ぼくらはまずあれはかなり心象的なディフォルメされていると思うべきなのだ。
なのに唐古・鍵では、土器に描かれたまんまの漫画チックな塔を再現しちゃったわけね。
あたしゃあ、そのアカデミズムの奇妙なまじめさが笑えるわけなんです。
あたしゃね、
ああいう建造物を、海を渡って見て来た奴がいたんだと思うのですよ。
それを頭に刻みこんで倭国に戻ってきて、こんな感じだったと描いたのよ。
ただし、いい加減に書いたかといえば、そうじゃない。
ディフォルメの持っているもの、抽象化する能力・・・それはね、ちゃんとその建造物の宗教的とか、哲学的とか?そういうものまでわかって持ち帰ってこそ描けるわけなんだな。
そうして考えたとき、この建造物はぼくには漫画に見えてきてしまうんだなあ。