日本霊異記全タイトル一覧
(原文は説話ナンバーが、第一、第二となっていてタイトルのあとにつけられているが、便宜上通し番号としてアラビア数字を頭に付した 筆者Kawakatu)
■日本国現報善悪霊異記 上巻
序・諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す
1・電を捉へし縁
2・狐を妻として子を生ましめし縁
3・電の憙を得て、生ましめし子の強力在りし縁
4・聖徳皇太子の異しき表を示したまひし縁
5・三宝を信敬しまつりて現報を得し縁
6・観音菩薩を憑み念ぜしによりて、現報を得し縁
7・亀の命を贖ヒテ放生し、現報を得て亀に助けらえし縁
8・聾ヒタル者の方広経典に帰敬しまつり、報を得て両つの耳ながら聞えし縁
7・亀の命を贖ヒテ放生し、現報を得て亀に助けらえし縁
8・聾ヒタル者の方広経典に帰敬しまつり、報を得て両つの耳ながら聞えし縁
9・嬰児の鷲に擒はれて他の国にして父に逢ふこと得し縁
10・子の物を偸み用ゐ、牛と作りて役はれて異しき表を示しし縁
11・幼き時より網を用ちて魚を捕りて、現に悪報を得し縁
12・人・畜ニ履まれし髑髏の、救ひ収めらえて霊しき表を示して、現に報いし縁
13・女人の風声なる行を好みて仙草を食ひ、現身を以て天を飛びし縁
14・僧の心経を憶持し、現報を得て奇しき事を示しし縁
10・子の物を偸み用ゐ、牛と作りて役はれて異しき表を示しし縁
11・幼き時より網を用ちて魚を捕りて、現に悪報を得し縁
12・人・畜ニ履まれし髑髏の、救ひ収めらえて霊しき表を示して、現に報いし縁
13・女人の風声なる行を好みて仙草を食ひ、現身を以て天を飛びし縁
14・僧の心経を憶持し、現報を得て奇しき事を示しし縁
15・悪人の乞食の僧を逼シテ、現に悪報を得し縁
16・慈の心无くして、生ける兎の皮を剥リテ、現に悪報を得し縁
17・兵災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬しまつり、現報を得し縁
18・法花経を憶持し、現報もて奇しき表を示しし縁
19・法花経品を読む人を呰りて、現に口ゆ斜みて悪報を得し縁
20・僧の湯を涌す薪を用ちて他に与へ、牛と作りて役はれ、奇しき表を示しし縁
21・慈の心无くして、馬に重き駄を負せ、以て現に悪報を得し縁
22・勤に仏教を求学し、法を弘め物に利あらしめ、命終の時に臨みて異しき表を示しし縁
23・凶人のち房の母を敬養せずして、以て現に悪死の報を得し縁
24・凶女の生める母に孝養せずして、以て現に悪死の報を得し縁
25・忠臣の欲小なく、足るを知り、諸天に感ぜられて報を得、奇しき事を示しし縁
26・持戒の比丘の浄行を修めて、現に奇しき験力を得し縁
27・邪見ある仮名の沙弥の塔の木を斫キて、悪報を得し縁
28・孔雀王の咒法を修持して異しき験力を得、以て現に仙と作りて天を飛びし縁
29・邪見に乞食の沙弥の鉢を打ち破りて、以て現に悪死の報を得し縁
30・非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けて奇しき事を示しし縁
31・慇懃に観音に帰信し、福分を願ひて、以て現に大福徳を得し縁
32・三宝に帰信して衆僧を欽仰し、誦経せしめて、現報を得し縁
33・妻の、死にし夫の為に願を建て、み像を図絵きしに、験有りて火に焼けず、異しき表を示しし縁
34・絹の衣を盗ましめて、妙現菩薩に帰願しまつり、其の絹の衣を修得せし縁
35・知識を締び、四恩の為に絵の仏像を作り、験有りて、奇しき表を示しし縁
16・慈の心无くして、生ける兎の皮を剥リテ、現に悪報を得し縁
17・兵災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬しまつり、現報を得し縁
18・法花経を憶持し、現報もて奇しき表を示しし縁
19・法花経品を読む人を呰りて、現に口ゆ斜みて悪報を得し縁
20・僧の湯を涌す薪を用ちて他に与へ、牛と作りて役はれ、奇しき表を示しし縁
21・慈の心无くして、馬に重き駄を負せ、以て現に悪報を得し縁
22・勤に仏教を求学し、法を弘め物に利あらしめ、命終の時に臨みて異しき表を示しし縁
23・凶人のち房の母を敬養せずして、以て現に悪死の報を得し縁
24・凶女の生める母に孝養せずして、以て現に悪死の報を得し縁
25・忠臣の欲小なく、足るを知り、諸天に感ぜられて報を得、奇しき事を示しし縁
26・持戒の比丘の浄行を修めて、現に奇しき験力を得し縁
27・邪見ある仮名の沙弥の塔の木を斫キて、悪報を得し縁
28・孔雀王の咒法を修持して異しき験力を得、以て現に仙と作りて天を飛びし縁
29・邪見に乞食の沙弥の鉢を打ち破りて、以て現に悪死の報を得し縁
30・非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けて奇しき事を示しし縁
31・慇懃に観音に帰信し、福分を願ひて、以て現に大福徳を得し縁
32・三宝に帰信して衆僧を欽仰し、誦経せしめて、現報を得し縁
33・妻の、死にし夫の為に願を建て、み像を図絵きしに、験有りて火に焼けず、異しき表を示しし縁
34・絹の衣を盗ましめて、妙現菩薩に帰願しまつり、其の絹の衣を修得せし縁
35・知識を締び、四恩の為に絵の仏像を作り、験有りて、奇しき表を示しし縁
■中巻
序・諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す
1・己が高徳を恃み、賤形の沙弥を刑ちて、以て現に悪死を得し縁 第一
2・烏の邪淫を見て世を厭ひ、善を修せし縁 第二
3・悪逆の子の、妻を愛みて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被りし縁 第三
4・力ある女の、力くらべを試みし縁 第四
5・漢神の祟ニ依り牛を殺して祭り、又放生の善を修して、以て現に善悪の報を得し縁 第五
6・誠心を至して法華経を写し奉り、験有りて異しき事を示しし縁 第六
7・智者の変化の聖人を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁 第七
8・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報を得し縁 第八
9・己に寺を作りて、其の寺の物を用ゐ、牛と作りて役はれし縁 第九
10・常に鳥の卵を煮て食ひ、以て現に悪死の報を得し縁 第十
11・僧を罵むと邪婬するとにより、悪病を得て死にし縁 第十一
12・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けられし縁 第十二
13・愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇しき表を示しし縁 第十三
14・窮れる女王の吉祥天女の像に帰敬して、現報を得し縁 第十四
15・法華経を写し奉りて供養することに因り、母の女牛と作りし因を顕しし縁 第十五
16・布施せぬと放生するとに依りて、現に善悪の報を得し縁 第十六
17・観音の銅像と鷺の形と、奇しき表を示しし縁 第十七
18・法花経を読む僧を呰りて、現に口ゆ斜みて、悪死の報を得し縁 第十八
19・心経を憶持せし女の現に閻羅王の闕に至り、奇しき表を示しし縁 第十九
20・悪夢に依りて、誠の心を至して経を誦ぜしめ、奇しき表を示して、命を全くすること得し縁 第二十
21・せふの神王のこむらの光を放ち、奇しき表を示して現報を得し縁 第二十一
22・仏の銅像の盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十二
23・弥勒菩薩の銅像の盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十三
24・閻羅王の使の鬼の、召さるる人の賂を得て免しし縁 第二十四
25・閻羅王の使の鬼の、召さるる人の饗を受けて、恩を報いし縁 第二十五
26・未だ仏像を作り畢へずして棄てたる木の、異霊しき表を示しし縁 第二十六
27・力ある女の強力を示しし縁 第二十七
28・極めて窮れる女の、尺迦の丈六仏に福分を願ひ、奇しき表を示して、以て現に大福を得し縁 第二十八
29・行基大徳の、天眼を放ち、女人の頭に猪の油を塗れるを視て、呵嘖せし縁 第二十九
30・行基大徳、子を携ふる女人の過去の怨を視て、淵に投げしめ、異しき表を示しし縁 第三十
31・塔を建てむとして願を発しし時に、生める女子の舎利を捲りて産れし縁 第三十一
32・寺の息利の酒をおきのり用ゐて、償はずして死に、牛と作りて役はれ、債を償ひし縁 第三十二
33・女人の悪鬼に点されて食らはれし縁 第三十三
34・孤の嬢女の、観音の銅像を憑り敬ひしときに、奇しき表を示して、現報を得し縁 第三十四
35・法師を打ちて、以て現に悪しき病を得て死にし縁 第三十五
36・観音の木像の神力を示しし縁 第三十六
37・観音の木像の火難に焼けずして、威神の力を示しし縁 第三十七
38・慳貪に因りて大きなる蛇と成りし縁 第三十八
39・薬師仏の木像の、水に流れ沙に埋れて、霊しき表を示しし縁 第三十九
40・悪事を好む者の、以に現に利鋭に誅られ、悪死の報を得し縁 第四十
41・女人大きなる蛇に婚せられ、薬の力に頼りて、命を全くすること得し縁 第四十一
42・極めて窮れる女の、千手観音の像を憑み敬ひて、福分を願ひ、以て大富を得し縁 第四十二
序・諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す
1・己が高徳を恃み、賤形の沙弥を刑ちて、以て現に悪死を得し縁 第一
2・烏の邪淫を見て世を厭ひ、善を修せし縁 第二
3・悪逆の子の、妻を愛みて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被りし縁 第三
4・力ある女の、力くらべを試みし縁 第四
5・漢神の祟ニ依り牛を殺して祭り、又放生の善を修して、以て現に善悪の報を得し縁 第五
6・誠心を至して法華経を写し奉り、験有りて異しき事を示しし縁 第六
7・智者の変化の聖人を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁 第七
8・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報を得し縁 第八
9・己に寺を作りて、其の寺の物を用ゐ、牛と作りて役はれし縁 第九
10・常に鳥の卵を煮て食ひ、以て現に悪死の報を得し縁 第十
11・僧を罵むと邪婬するとにより、悪病を得て死にし縁 第十一
12・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けられし縁 第十二
13・愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇しき表を示しし縁 第十三
14・窮れる女王の吉祥天女の像に帰敬して、現報を得し縁 第十四
15・法華経を写し奉りて供養することに因り、母の女牛と作りし因を顕しし縁 第十五
16・布施せぬと放生するとに依りて、現に善悪の報を得し縁 第十六
17・観音の銅像と鷺の形と、奇しき表を示しし縁 第十七
18・法花経を読む僧を呰りて、現に口ゆ斜みて、悪死の報を得し縁 第十八
19・心経を憶持せし女の現に閻羅王の闕に至り、奇しき表を示しし縁 第十九
20・悪夢に依りて、誠の心を至して経を誦ぜしめ、奇しき表を示して、命を全くすること得し縁 第二十
21・せふの神王のこむらの光を放ち、奇しき表を示して現報を得し縁 第二十一
22・仏の銅像の盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十二
23・弥勒菩薩の銅像の盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十三
24・閻羅王の使の鬼の、召さるる人の賂を得て免しし縁 第二十四
25・閻羅王の使の鬼の、召さるる人の饗を受けて、恩を報いし縁 第二十五
26・未だ仏像を作り畢へずして棄てたる木の、異霊しき表を示しし縁 第二十六
27・力ある女の強力を示しし縁 第二十七
28・極めて窮れる女の、尺迦の丈六仏に福分を願ひ、奇しき表を示して、以て現に大福を得し縁 第二十八
29・行基大徳の、天眼を放ち、女人の頭に猪の油を塗れるを視て、呵嘖せし縁 第二十九
30・行基大徳、子を携ふる女人の過去の怨を視て、淵に投げしめ、異しき表を示しし縁 第三十
31・塔を建てむとして願を発しし時に、生める女子の舎利を捲りて産れし縁 第三十一
32・寺の息利の酒をおきのり用ゐて、償はずして死に、牛と作りて役はれ、債を償ひし縁 第三十二
33・女人の悪鬼に点されて食らはれし縁 第三十三
34・孤の嬢女の、観音の銅像を憑り敬ひしときに、奇しき表を示して、現報を得し縁 第三十四
35・法師を打ちて、以て現に悪しき病を得て死にし縁 第三十五
36・観音の木像の神力を示しし縁 第三十六
37・観音の木像の火難に焼けずして、威神の力を示しし縁 第三十七
38・慳貪に因りて大きなる蛇と成りし縁 第三十八
39・薬師仏の木像の、水に流れ沙に埋れて、霊しき表を示しし縁 第三十九
40・悪事を好む者の、以に現に利鋭に誅られ、悪死の報を得し縁 第四十
41・女人大きなる蛇に婚せられ、薬の力に頼りて、命を全くすること得し縁 第四十一
42・極めて窮れる女の、千手観音の像を憑み敬ひて、福分を願ひ、以て大富を得し縁 第四十二
■巻下
序・諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す
1・法花経を憶持せし者の舌、曝りたる髑髏の中に著きて朽ちずありし縁 第一
2・生物の命を殺して怨を結び、狐と狗とに作りて互に相報いし縁 第二
3・沙門の十一面観世音の像に憑り願ひて、現報を得し縁 第三
4・沙門の方広大乗を誦持して海にしづみて溺れざりし縁 第四
5・妙見菩薩の変化して異形を示し、盗人を顕しし縁 第五
6・禅師の食はむとする魚の化して法花経と作りて、俗の誹を覆しし縁 第六
7・観音の木像の助を被りて、王難を脱れし縁 第七
8・弥勒菩薩の願ふ所に応じて奇形を示したまひし縁 第八
9・閻羅王の奇しき表を示し、人に勧めて善を修せしめし縁 第九
10・如法に写し奉りし法華経の火に焼けざりし縁 第十
11・二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を明くこと得し縁 第十一
12・二つの目盲ひたる男の、敬みて千手観音の日摩尼手を称へて、以て現に眼を明くこと得し縁 第十二
13・法花経を写さむとして願を建てし人の、断えて暗き穴に内り、願力に頼りて、命を全くすること得し縁 第十三
14・千手の咒を憶持する者を拍ちて、以て現に悪死の報を得し縁 第十四
15・沙弥の乞食するを撃ちて、以て現に悪死の報を得し縁 第十五
16・女人、濫シク嫁ぎて、子を乳に飢ゑしめしが故に、現報を得し縁 第十六
17・未だ作り畢へぬ捻せふの像の呻ふ音を生じて、奇しき表を示しし縁 第十七
18・法花経を写し奉る経師の、邪婬を為して、以て現に悪死の報を得し縁 第十八
19・産み生せる肉団の作れる女子の善を修し人を化せし縁 第十九
20・法花経を写し奉る女人の過失を誹りて、以て現に口ゆ斜みし縁 第二十
21・沙門の、一つの目眼盲ひ、金剛般若経を読ましめて、眼を明くこと得し縁 第二十一
22・重き斤もて人の物を取り、又法花経を写して、以て現に善悪の報を得し縁 第二十二
23・寺の物を用ゐ、復大般若を写さむとして、願を建て、以て現に善悪の報を得し縁 第二十三
24・修行の人を妨ぐるに依りて、猴の身を得し縁 第二十四
序・諾楽の右京の薬師寺の沙門景戒録す
1・法花経を憶持せし者の舌、曝りたる髑髏の中に著きて朽ちずありし縁 第一
2・生物の命を殺して怨を結び、狐と狗とに作りて互に相報いし縁 第二
3・沙門の十一面観世音の像に憑り願ひて、現報を得し縁 第三
4・沙門の方広大乗を誦持して海にしづみて溺れざりし縁 第四
5・妙見菩薩の変化して異形を示し、盗人を顕しし縁 第五
6・禅師の食はむとする魚の化して法花経と作りて、俗の誹を覆しし縁 第六
7・観音の木像の助を被りて、王難を脱れし縁 第七
8・弥勒菩薩の願ふ所に応じて奇形を示したまひし縁 第八
9・閻羅王の奇しき表を示し、人に勧めて善を修せしめし縁 第九
10・如法に写し奉りし法華経の火に焼けざりし縁 第十
11・二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を明くこと得し縁 第十一
12・二つの目盲ひたる男の、敬みて千手観音の日摩尼手を称へて、以て現に眼を明くこと得し縁 第十二
13・法花経を写さむとして願を建てし人の、断えて暗き穴に内り、願力に頼りて、命を全くすること得し縁 第十三
14・千手の咒を憶持する者を拍ちて、以て現に悪死の報を得し縁 第十四
15・沙弥の乞食するを撃ちて、以て現に悪死の報を得し縁 第十五
16・女人、濫シク嫁ぎて、子を乳に飢ゑしめしが故に、現報を得し縁 第十六
17・未だ作り畢へぬ捻せふの像の呻ふ音を生じて、奇しき表を示しし縁 第十七
18・法花経を写し奉る経師の、邪婬を為して、以て現に悪死の報を得し縁 第十八
19・産み生せる肉団の作れる女子の善を修し人を化せし縁 第十九
20・法花経を写し奉る女人の過失を誹りて、以て現に口ゆ斜みし縁 第二十
21・沙門の、一つの目眼盲ひ、金剛般若経を読ましめて、眼を明くこと得し縁 第二十一
22・重き斤もて人の物を取り、又法花経を写して、以て現に善悪の報を得し縁 第二十二
23・寺の物を用ゐ、復大般若を写さむとして、願を建て、以て現に善悪の報を得し縁 第二十三
24・修行の人を妨ぐるに依りて、猴の身を得し縁 第二十四
25・大海に漂流して、敬みて尺迦仏のみ名を称へ、命を全くすること得し縁 第二十五
26・非理を強ヒて以て債ヲ徴り、多の倍を取りて、現に悪死の報を得し縁 第二十六
27・髑髏の目の穴の笋を掲キ脱チテ、以て祈ひて霊しき表を示しし縁第二十七
28・弥勒の丈六の仏像の、其の頸を蟻に嚼まれて、奇異しき表を示しし縁 第二十八
29・村童の戯れに木の仏像を剋み、愚なる夫斫き破りて、以て現に悪死の報を得し縁 第二十九
30・沙門の功を積みて仏像を作り、命終の時に臨みて、異しき表を示しし縁 第三十
31・女人の石を産生みて、之を以て神とし斎きし縁 第三十一
32・網を用ゐて漁せし夫の、海中の難に値ひ、妙見菩薩を憑み願ひて、命を全くすること得し縁 第三十二
33・賤しき沙弥の乞食するを刑なひ罰ちて、以て現に頓に悪死の報を得し縁 第三十三
34・怨病忽に身に嬰り、之に因りて戒を受け善を行ひて以て現に病を愈すこと得し縁 第三十四
35・官の勢を仮りて、非理に政を為し、悪報を得し縁 第三十五
36・塔の階を減じ、寺の幢を仆して、悪報を得し縁 第三十六
37・因果を顧みずして悪を作し、罪報を受けし縁 第三十七
38・災と善との表相先づ現れて、而る後に其の災と善との答を被りし縁 第三十八
39・智と行と並に具はれる禅師の重ねて人身を得て、国皇のみ子と生れし縁 第三十九
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=589
29・村童の戯れに木の仏像を剋み、愚なる夫斫き破りて、以て現に悪死の報を得し縁 第二十九
30・沙門の功を積みて仏像を作り、命終の時に臨みて、異しき表を示しし縁 第三十
31・女人の石を産生みて、之を以て神とし斎きし縁 第三十一
32・網を用ゐて漁せし夫の、海中の難に値ひ、妙見菩薩を憑み願ひて、命を全くすること得し縁 第三十二
33・賤しき沙弥の乞食するを刑なひ罰ちて、以て現に頓に悪死の報を得し縁 第三十三
34・怨病忽に身に嬰り、之に因りて戒を受け善を行ひて以て現に病を愈すこと得し縁 第三十四
35・官の勢を仮りて、非理に政を為し、悪報を得し縁 第三十五
36・塔の階を減じ、寺の幢を仆して、悪報を得し縁 第三十六
37・因果を顧みずして悪を作し、罪報を受けし縁 第三十七
38・災と善との表相先づ現れて、而る後に其の災と善との答を被りし縁 第三十八
39・智と行と並に具はれる禅師の重ねて人身を得て、国皇のみ子と生れし縁 第三十九
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=589
霊異記はネット上で全文を掲載するサイトは今のところまだないようだ。しかし、筆者がそれをすべて原文から訳してここに掲載するのは、あまりに膨大で、なかなか寝食を削られてしまいかねない無謀な試みだ。それはいずれやることとして、今回は上記タイトルからいくつかピックアップして掲載しようと思う。
年齢的に目も弱っているし、かつて脳梗塞をわずらったわが身には、それでも艱難辛苦な作業になるはずだ。誤字脱字はご容赦願いたい。
人のものを欲しがって自分のものは惜しむ。粟の実を砕いてぬかまで食ってしまう。あるいは寺のものを盗んで牛の子に生まれ変わってしまう。仏法や僧を謗って現に炎に焼かれる。他方、道を求め行を積み現に験を得る、深く信じて善を修め生きながらに幸いに合う。
善悪の報いは影の形に従う如くである。苦楽の響きは谷の声に応えるが如し。これを見聞きする人は、驚き怪しみ動転する、慚愧するひとはどきどきし心が痛み何とかそこから立ち逃れようとする。
善悪がどんなものか語らずして、どうして曲がった執着を直して良し悪しを定めることができよう。因果応報を語らずして、どうして悪心を改めて善道を修めることができよう。
昔、漢の地では、※「冥報記」をつくり、大唐国では※「般若験記」を作った。どうして他国の伝録を大事がって自国の奇事を信じおそれないのか。省みるにそのままにして黙っていることもできず、いささか仄聞したことを記録し日本国現報善悪霊異記と名づけた。上中下の3巻とし、後世に伝える。
しかしわたくし景戒は生まれつき賢明ではなく、濁った心を澄ますこともできない。井戸の中の知識であり、長く人の道とは何か迷っている。よくできたお話にまずい彫刻刀をいれ、自分の手を傷つけるだけ。あるいは名玉を産す崑崙の山の石ころひとつかもしれない。また、説話の詳細が分からず書き漏らしている部分も多いかもしれない。善を願う心ばかりが強くて雑音を入れるだけかもしれない。後の世の賢者、どうか嘲り笑わないで欲しい。
願うところは善悪応報の不思議をみるひとが、邪を退け正に入ること、諸悪なさざること、諸善を奉り行うこと。
※「冥報記」=唐臨の著 唐高宗の永徽年間(650~655年)仏教因果応報話集。
※「般若験記」=「金剛般若経集験記」孟献忠撰。唐玄宗の開元6年(718年)成立。金剛般若経の霊験談集。
ここには著者がなぜこの見聞、伝聞集を著したかがこまかく書かれている。その内容は霊異記が、勧善懲悪・因果応報という仏教の二大規範によっていることがわかる。あらゆる日本人にとって非常に好ましく、そして理解しやすい概念だろう。つまり霊異記は、その読者を、小難しい理論を好むようなインテリには設定していない、庶民に向けた説話集だということになる。だから読みやすい。そして文章も簡潔で、平易な語彙で書いてある。
平安時代の、822年あたりに成立とされるこの書物、上記序文は景戒自身の手になるが、いささかくどいほどに謙虚な態度で書き始めている。序文は上・中・下巻のすべてにいちいちついていて、この人の、やや懇切丁寧・慇懃無礼・細やかすぎる性格がよく見える。まあ、底辺から独学で世に出る人の常であり、そのあたりはおおめに見よう。
序文には、これといった時代情報もないので、紹介だけにとどめ、いよいよセレクトしたいくつかのお話に入ってみよう。
ここから筆者書写
扱う話は順不同である。
最初に下巻25を扱う。
ここには紀・中臣のかばねを持つ人々が出てくる。
朝臣はついてはいるが、中央の紀氏や中臣氏よりずっと格下の地方小氏族であり、土地だけは広く持つ、しょせんは地主で網元に過ぎない人々。業突く張りの領主といった風情で、下に網子の、やはりかばねだけは紀臣・中臣連と立派だが、紀朝臣にこきつかわれている漁師である。まるで蟹工船みたいなみじめな生活。
網元と網子の関係は、大農家の庄屋と小作人の関係と思えばよかろう。上にいるほうは多くの実労働者を従えて、動かし、利を得ている。下のほうは、いくら働いても、いくら大漁でも、もらえる賃金はすずめの涙で、年中ぴーぴーしていて、なのに妻はおり、決まって子沢山というステレオタイプ。いわばミズノミである。
古代は農夫・漁師その他の職人に限らず、どの職業でも「百姓 ひゃくせい」とされ、「おおみたから」と持ち上げられてはいるが、概してそれは租税のための人間であり、どれもが貧しい。いや赤貧洗うが如しの、今日の口糊のためのタケノコ生活である。ただし古代には賃料はまとめて一年分を「年価」として名主・地主・庄屋からいただいていた。だからわずかな金も、一年もつはずもなく、だいたいは半年もせずに底をつく。だから漁師は、故網野善彦が言うように、みな半漁半農で、女房が猫の額のような浜の畑で、野菜を作り自給自足である。筆者が高校の教師から聞いた話では、漁村の食事は、三度がみな、たくあん・干物・主食は浜辺のこととて水田はないので、畑で取れたあわ・ひえ飯、あるいは芋である。生物学上、栄養学上も、それで充分であると教師は言うていた覚えがある。そうしたつましい食事は、ついこないだまでさして変わらなかった。延々として、庶民は粗食であり、そのおかげで成人病や虫歯のない日本人なのであった。戦後、それらのすべてが崩壊し、欧米のスタイルに一変することで、日本人は成人病に苦しむことになったのである。白米、肉食、建材伐採、自然からの隔離と平和ボケ・・・。それを「文化進歩」とも言うのだが、果たして進歩なのかどうかさまざまな問題が出ている。
下巻
大海に漂流して、敬(つつし)みて尺(釈)迦仏のみ名を称へ(となえ)、命を全くすること得し縁 第二十五
長男(丁男)紀臣馬養(きのおみ・うまかい)は、紀伊国安諦郡(あてのこほり)吉備郷の人なりき。小男(せなん)中臣連祖父麿(なかともに・むらじ・おほぢまろ)は、同国海部郡(あまのこほり)浜中郷の人なりき・・・。
ちょっと食事時になってしまったので、続きはまた後日・・・。
この部分の解説だけしておこう。
このふたりはかばねは立派だが、ただの網子・漁師つまり作業員でしかない。
長男とか小男というのは、次男三男の長男ではなく丁男で年齢区分を示すものである。『養老令』「戸令」に、
黄は三歳以下、
小は4~16歳、
中は17~20歳、
21~60歳は丁、
61~65歳は老、
それ以上は耆(き)、
とある。
《原文》
凡男女。三歳以下為黄。十六以下為少。廿以下為中。其男廿一為丁。六十一為老。六十六為耆。無夫者。為寡妻妾。ということは上の馬養は長男とあってつまり丁男だから、青年~中高年ほどの年恰好でベテラン漁師だろう。一方の名前だけは祖父となっている祖父麿のほうは小男で、まだ少年であることがわかる。こういう年齢規範は、租税をふんだくるための目安である。中国の法律をまねたものであった。養老律令の編者は藤原不比等で、設定したのは孫の仲麻呂。聖武天皇の時代である。その前の天武時代の大宝律令の選定メンバーにも不比等はいた。古代日本の法律を決めたのはだから藤原不比等一家である。網元である紀朝臣の居住地はあとで出てくるが、和歌山県日高郡から御坊市あたりと推定されている。潮と地名があるので今の御坊市の日高港であろう。網子らに過酷な3K労働を課して、都に多くの調を差し出し名を売りたい、悪徳大名のような奴である。租庸調というのは規定があり、租はコメか金、庸は労働、調は主に布・絹織物である。すると紀朝臣麻呂は漁師から何を徴収してさしだすか?それはまず贄=食品であろう。だからこれは租庸調の外にあった外品で、贄というものに当たる。あわびとかなまことか、タイやイギスといった産地の高級特産品だろう。木簡の記録にほぼ一致する海産物である。木簡とはそうした伝票である。布には布に書いた付箋がついたのだろうが、残っていない。直接製品に書いてあることも多いが。まずは木製品しか残っていない。時代はあとで出てくるが、光仁天皇の頃というので、平安時代直前である。つまり彼らは紀貫之・友則の先祖の時代の人である。紀臣馬養の出身地は和歌山の安諦郡。「あんてい」はのちに「在田 ありた」郡で、それから「有田郡」に変化する。今の和歌山県有田郡であり、そのどこかに吉備郷があったことがわかる。なぜ紀伊国に吉備郡があるのか?それはもちろん大昔、弥生時代くらいに紀氏一族が伽耶~九州筑紫国・肥国から豊国を経て吉備国に入り、吉備式の土器をたづさえて大阪湾に入り、拡散したからである。どこかで聞いたことがあるルート・・・そう天日矛の日本人妻だったアカルヒメの逃避ルートとそっくり。つまりあれは紀氏や中臣氏の渡来ルートだろう、すると夫のアメノヒボコとは?もちろん秦氏であろう。土器でわかる話。紀州は海人族が建てた国であり、その頭目だったのは紀氏・海部(あま)氏である。大和の葛城、京都山城の宇治・深草・伏見などに入ってそれぞれ紀氏となった。海部氏は尾張・岐阜が有名だが、主に太平洋岸を北上した海岸部と河川上流に多い氏族。おそらくここに紀氏とともに出てくるので、両氏族は古代からともに海を渡る氏族だったのだろう。有田郡は幡陀郷という古名の時代もあり、羽田、波多、幡は渡来人秦氏ではない「はた」の氏族である。伽耶からおそらく秦氏を乗せてきたのだろう。海人族である。中臣連祖父麿は海部郡浜中郷の人。これは現在の海草郡下津町(最近海南市になった)。浜中地名は各地にあって、たいがいが漁師町である。浜の中ほどに住まわされていたのであろう。筆者知人には浜中さんもあれば、浜西さんもいたが、たぶんご先祖は漁師である。だからやはり彼もそもそもが漁師そ子である。中臣氏なのに?中臣氏もやはり九州豊前に地名が存在する、行橋市草葉が旧中臣村である。ここも海岸部で古墳が多い。豊前には秦氏、中臣氏、紀氏、そして隼人氏がいた痕跡が見られる。いずれも海に関わってきた氏族だ。それらが大和に入って貴族紀氏が生まれた。その紀氏は祖神がスサノヲである。紀伊国に種をまき、木部という一族ができあがる。だからその祖先はスサノヲの子・イタケルである。まさに紀氏も海人族も渡来人もみな、スサノヲの子であるのだ。紀伊の地名も木を植えたからで、もとは木氏・木部(岐部)である。岐部は豊後国東の地名だが、岐とは木の股のことだ。木の股とは神の名。そこからさまざまの命を生み出す。つまり女性のまたぐらと同じであり、大月姫のことだとなる。この月が租庸調の調(つき)を意味する。だから月神とは食べ物、生命で、それは王家や豪族や神社から見て贄を差し出す一族だとなる。それで調がつく氏族(伊調など)は月神を祭る貴族の従属氏族だとなるわけだ。スサノヲや月読が記紀で、その神を切り殺すわけはないのにわざとそう書かれてしまっている。敗北氏族をさしているのである。これらは氏・臣・朝臣・連がいて、その下に人・首・部があった。この噺の漁師たちはみな部であるはずだが、なぜか臣や連を名乗っている。以前はそうした身分で磊落したものか?紀氏は確かに不遇な氏族だった。それは大伴や物部、一時的には中臣もそうだったわけである。それにしても連と臣の子孫が網子の漁師となってしまうとは。二人がなぜ共に紀朝臣の網子になったかの経緯はわからない。別々で流れてきたのか、一緒に来たのか?いずれにせよ中臣のほうはまだ年端も行かぬ15・6の少年で家族もなかろう。紀のほうには妻がいたとあとで出てくる。この二人はのちに大水で漂流して対岸の徳島あたりに漂着し、ひとりは帰国、ひとりは徳島に居残ることになった。次回、そこから再開する。ああ、疲れた。ここまで半日かかった。大変な作業を始めてしまった。後悔あとに立たず。乗りかかった船だ。