夏の京都、祇園さんの時期になった。
祇園祭は17日に始まるが、山笠巡行ばかりが祇園祭ではなく、24日まで延々つづく夏越し(なごし)の祭り(神幸祭・還幸祭など、17日・24日夜にみこしが練り歩く)である。巡行以外にも、さまざまのイベントが各路地裏で繰り広げられている。地蔵盆もあれば、イベントもありで、最後に八坂神社での神輿巡行や祓いがあってやっと終わる。だから暑いからとすぐに帰ってしまうのはほんまの祇園祭通とは言えまへんでえ。
さて、五条の話題が続いている。前は道祖神、今度は天神である。
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「当初は「天使の宮」「天使社」と称し、後鳥羽上皇時代に「五條天神宮」へ改称された[4]。社号の五條は、当社北側にある松原通がかつて五条通と呼ばれていたことに由来する[2]。なお、社号の天神と菅原道真とは直接の関連はないが、境内社として筑紫天満宮があり、道真が祀られている。」Wiki
天神と書いて「てんじん」とは読まず「てんしん」である。「天子」ではまずいので「天使」と表記した。いわゆるてんじんさん=菅原道真はここの祭神ではない。五条天神社(宮)の神は出雲の少彦名神、つまり小さ子神である。てんしんがつづまって「てんし」となる。近くの地名に天使突抜(てんしつきぬけ)がある。
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由来は秀吉が京都を整備したときに、すでにここにあった広大だった五条てんしさんの境内を道が突き抜けて作られた。そのことを京男らが皮肉ってつけられた地名が「天使突抜」である。
スクナヒコナの神は、別名粟島さんで、酒と薬の神さま。だからよく仏教のお薬師さんと習合する。酒でオオクニヌシのやまいを治した。
小さな体で、粟の葉のお舟にのって出雲に顕れ、オオクニヌシを援けて、またどこかへ去っていった神・・・。粟島神社に祭られるのは、粟の舟でやってきて、去っていった来訪神だったから。その粟のような穀物類を現す漢字が「禾 のぎ」だ。
で、前回の記事に考古学で、中国と日本の佐賀県で出ている禾のマークがついた舟を紹介しておいた。
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中国の舟は実は死者を乗せた「もがり舟」であり、そのまま埋葬されたもの。佐賀県の甕棺も埋葬されたひつぎであるから、両者はともにもがりの道具である。ところが五条天神社では、祭のときに宝船の絵が配られるのだが、そこにはやはりもがり舟が描かれている。
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いったい、これのどこが宝船なのかと思う単純な絵である。
そこにはわれわれが知っている七福神は乗っていない。しかし、なぜか稲穂が一束、乗っかっている。なんじゃ?これは・・・。
それを説明するために前回、考古学記事を前もって掲載したのである。
この宝舟は、もがりの舟であると言う為に。
そしてもがり舟とはのちに「うつぼ舟」と呼ばれ、神話では世界的に(西洋のダビデすらが)その舟は、中が空洞なひさごなどでできていて、間違って生まれた神や王の子が、赤子のうちにそれに乗せられ流された舟なのである。
日本のヒルコも、スクナヒコナも、あるいは天孫降臨も、そういううつぼの舟で流された異常出産児とか双子のうちの片割れとか、えびすさまとか、ひょうたんから出てきた朝鮮の王様とか、あるいはまたダビデとか、はたまた平安時代に流行った補堕落渡海の信仰での舟と一緒の死生観で同時に天子誕生譚、国家成立神話になってきた。
簡単に言えば生と死が、往古は同じだったという証である。その印が稲穂=穀物の実りなのである。だからそれは神の生死であり、同時に宝舟という祭のマークにもなった。つまりあの十字になった鳥の足のようなマークは「稲魂」で、稲が新しい命の再生を約束するのである。
五条天神は東京都の台東区あたりにもあるが、そういう「小さ子」信仰を持ち続けた人々が、出雲系=敗者、渡来の人々だったことはわかるだろう。台東区あたりの隅田川沿線も江戸時代には川向こうの異界であり、江戸ではない場所であり、敗者や職人や渡来系のものたちが押し込められた土地柄だった。彼らはそもそもは江戸にいた先住民が多かった。江戸城とお江戸を作るために追い出され、川向こうの異界に押し出されるのは、新興国でのオリンピックでも同じである。ソウルも北京も東京も、かつては多くの浮浪者や風習や屋台文化などが郊外へ追い出された。
小さ子とはそういうものの代表である。
ということはスクナヒコナもそうなのだ。
ヒルコ・恵比須であり天子なのである。
キリスト教の天使も子供の姿をしている。無関係ではない。聖なるものは異形であった。それは子供だったり、あるいは八幡神のように老人だった。この世のものではないモノとは、現実世界で普段金を稼ぐ不浄の現実的生活をしていないもの=穢れていない=女・子供・老人の姿をして「うつせにあれる」のである。「あれる」とは賀茂神社や宗像神社で言うところの「みあれ」である。「御顕れ」。
「現れる」ことが「あれ」で、神が現れることを「顕現」という。これが「あれ」である。そして神や王の子が生まれるのも「新しい誕生」で「新=あらた」で、荒れると同じ意味。いわゆる日本神話で「あらたま」というのは「新魂」と書くが、実は「荒魂」でもある。そうするとスサノオが荒ぶる神だった理由も見当がつくと言うもの。ヒトの赤ちゃんだって生まれたらわめいて泣いて、大暴れして生まれてくる。すったもんだ、あがいて、かあさんのお腹に戻ろうとするのである。
ということはね、スサノヲやギルガメシュ神などが大きくなっても子供のように泣き喚いてむずがる荒神にされた理由も見えてくるはず。それはのちに偉大な神や王になるものの条件、通過儀礼なのである。言葉をしゃべらなかったホムチワケとか、母神功皇后の胎内からなかなか出なかったホンタワケ=応神天皇とかいうのも同じこと。聖なる偉大なものはむずがる、荒れるのである。そしてそれが同時に異形の人々の王だという意味なのだ。
五条天神には中世のお話で、やはり小さな男の話がある。身長33センチほどの「一寸法師」のような男が、都に「あれて」、ええとこの姫様を射止めるという御伽噺である。きっと一寸法師の原型だろう。それが成功する。恋愛成就する。実は小男は五条天神そのヒトだったんだという御話である。御伽草子ではなく伝承である。
また『福富草紙』という本には、ここに祈祷や預言するものがいて、福富という男は魔法を教わり、妙なる音色の「屁」が出せる業を体得。それで帝に喜ばれ出世。ところがそれを聞いた隣の男が、真似をしたくて福富に業を聞きに行くが、うそっぱちを教わって天子様の前で大失敗をやらかし、蹴られ、殴られたあげく血まみれで家に帰るという話しである。彼は放屁ではなく、あさがおの種(下剤)を呑めといわれて、・・・をぶりぶりぶりぶり、天皇の御前にまきちらかしてしまったのだ。
これなども御伽草子の前身だといえようか?
そして五条には陰陽師のようなものがいたということになろうか。
五条天神の神は小さな男であるが、結婚相手は松原道祖神だったとも言い交わされてきたという。道祖神は夫婦神のはずなのに、それでは不倫?(^^:
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「福富草子」お喜びで妙なる音の放屁をして大うけの福富
異形の小男が都に出て行く話しや一寸法師には、義経の大事な守護神だった弁慶の出世譚と似たところがある。弁慶も生まれたときなかなか胎内から出ない子供で、生まれるとばかでっかく異形で、しかも頭脳明晰。それを気色悪いと思った父親が、赤ん坊の弁慶を川に流してしまおうとする。しかし母親がそれをとめ、おばもとめたために命拾い。寺に入り修行するが、やがて武具を集めることに執着して都へ向い、喰う十九本目を求めて五条大橋の上で源義経と出会うのである。このふたりにはどことなく同性愛的な恋心すらありそうな按配である。つまり結局は五条天神の導きであることを匂わせてあるのである。
さあ、祇園祭。
松原通では
山鉾町の中で最東端にして最南端に位置するのが保昌(ほうしょう)山(下京区東洞院松原上ル)。隣接する山鉾町はない。
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ちゃんと山鉾が出ます。
下京では珍しいのでぜひどうぞ。
ちなみに夏越の茅の輪の正しいくぐり方。
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八坂神社は七月一杯大祓神事で茅の輪が設置してあるので正しく回ってください。
それから京都の人は、祇園さんの期間でもキュウリ食べはりますよ。あれは神職さんだけみたいでっせ。ハモより祇園は四条通りの路地にあるうなぎがうまいで。