吉備型の特殊器台・弧帯文がついている
奈良県立橿原考古学研究所 / 研究員坂 靖(さか・やすし)https://kaken.nii.ac.jp/d/r/30250377.ja.html
「従来、特殊器台から変化して埴輪になったとされていた。どこからが特殊器台でどこからが円筒埴輪なのだろうか?その変化があらわれた背景、変化の過程、何故そうようになっていったのかを考えてみる。
「従来、特殊器台から変化して埴輪になったとされていた。どこからが特殊器台でどこからが円筒埴輪なのだろうか?その変化があらわれた背景、変化の過程、何故そうようになっていったのかを考えてみる。
円筒埴輪は近藤義郎先生の吉備地方における飲食儀礼にかかわる祭祀を継承する中で成立し発展した。50年がたった今、この説でよいのか?これも解釈にすぎない。
1967年に考古学研究に近藤・春成氏による吉備における特殊器台の編年が纏められ、立坂→向木見→宮山→都月坂→円筒埴輪が発表された。しかし、これは根底から崩れている。このような順に発展していくのではなく、立坂→向木見までで宮山型の時には円筒埴輪が出ている。都月型埴輪をもって埴輪の初めとするのはおかしい。
「特殊器台」たる所以は何であろうか? 主人公は文様である。弧帯文、巴透かし、三角形透かし、S字形文様。
「円筒埴輪」は穴が主人公。模様は消失している。
「円筒埴輪」は穴が主人公。模様は消失している。
次に大きな問題となるのが“弧帯文”はどこで生まれたのか?これも論争があり、吉備と大和でどちらが先か?
岡山では石に弧帯文が刻まれたものが出土している。(楯築から出土した特殊器台にはまだ弧帯文はなく、弧帯石が副葬?されていた)
岡山では石に弧帯文が刻まれたものが出土している。(楯築から出土した特殊器台にはまだ弧帯文はなく、弧帯石が副葬?されていた)
宮山型の器台は岡山なのか?大和なのか?
大和では唐子・鍵遺跡から弧帯文を描いた土器が出土している。纏向石塚からは円弧文板が出土している。
中山大塚からは宮山型の片と都月型の片と円筒埴輪片が出土している。3つの要素が混在している。都月型器台形埴輪は都月型器台というべきである。
すぐ近くに西殿塚がある。同じようなものを持ち、同じような時期と考えられる。
墳丘規模から考えるとまさに西殿塚の主が円筒埴輪を創出しこの古墳から円筒埴輪が誕生したと考えられる。」
http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs/7053
墳丘規模から考えるとまさに西殿塚の主が円筒埴輪を創出しこの古墳から円筒埴輪が誕生したと考えられる。」
http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs/7053
「宮山型特殊器台は、吉備では総社市宮山遺跡の宮山遺跡(古墳)からしか出土していない。特殊器台の口縁は分厚く、先が内に傾いており、特別な口縁部をしている。文様は、立坂型や向木見型には見られず、矢藤治山の文様を拡大したよう文様で、同じような弧帯文の線を2本、3本と平行に重ねて横へ展開させて、それを短い直線で結んでいる。文様が非常に複雑。新しい種類であり、新しく考え出された文様である。特殊壺の口縁帯や頸には刷毛目が施されている。」
「宮山型特殊器台は吉備で1遺跡から、大和で4遺跡から出土しているが、どちらがはじめに作り始めたかは分かっていない。出現期古墳の1つである奈良県の箸墓古墳は、3世紀頃の築造と考えられているが、同古墳からは宮山型特殊器台を出土しており、古墳時代の始期は終末型特殊器台・特殊壺が現れた頃に近いと考えてよい。 箸墓古墳(280メートル)の他に、西殿塚古墳(219メートル)、天理市の中山大塚古墳(120メートル)、橿原市の弁天塚古墳(およそ100メートル以上)などの比較的大型で前方部が撥形で最古式の前方後円墳から宮山型特殊器台が出土している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%99%A8%E5%8F%B0%E3%83%BB%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%A3%BA#.E7.89.B9.E6.AE.8A.E5.99.A8.E5.8F.B0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%99%A8%E5%8F%B0%E3%83%BB%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%A3%BA#.E7.89.B9.E6.AE.8A.E5.99.A8.E5.8F.B0
「吉備特殊器台とは特殊壺とともに、弥生時代の後期に吉備地方で生まれた土器です。華麗な文様を施し、丹で赤く塗るなど装飾性に富んだ大きな筒型土器で、王墓の埋葬祭祀に使用されました。そして、特殊器台による葬送祭祀は突然大和(現奈良桜井市)の纏向遺跡の巨大前方後円の墳頂に現れ古墳時代が幕を開けます。その後、古墳に並べられる埴輪へと変化していくのですが、纏向における前方後円墳の出現は、ヤマト王権の成立を表すと考えられており、特殊器台・特殊壺の出土は、吉備地方の首長がヤマト王権の成立に深く参画したことの現れだとされています。つまり、「ヤマト(後の日本)誕生」の屋台骨を担ったのが私たちの先祖であり、「吉備特殊器台」はその象徴的存在といえます。」
http://kibi33.com/tokushu/
橿原考古博物館所蔵の纒向遺跡出土宮山型特殊器台(弧帯文)・特殊壷と弧文円板
●宮山型が出た大和の古墳(推定築造年代古い順)
1中山大塚古墳(天理市中山町)
全長約130m、後円部径約67m、前方部幅約56mの前方後円墳で、出現期(纒向型)前方後円墳
2箸墓古墳(奈良市桜井町巻向)
後円部墳頂付近から宮山型特殊器台・特殊壷。特殊器台型埴輪。特殊器台脚部が「ハ」の字形で吉備では見られない
3弁天塚古墳(橿原市葛本町)
10固体以上の宮山型特殊器台の破片、脚部は大和の特徴である「ハ」の字。
後円部約60m、前方部約30m前方後円墳
4西殿塚古墳(天理市中山町)
宮山型特殊器台、特殊器台型埴輪(ハの字)
全長約234m、後円部径147m、前方部幅133mの前方後円墳
1中山大塚古墳(天理市中山町)
全長約130m、後円部径約67m、前方部幅約56mの前方後円墳で、出現期(纒向型)前方後円墳
2箸墓古墳(奈良市桜井町巻向)
後円部墳頂付近から宮山型特殊器台・特殊壷。特殊器台型埴輪。特殊器台脚部が「ハ」の字形で吉備では見られない
3弁天塚古墳(橿原市葛本町)
10固体以上の宮山型特殊器台の破片、脚部は大和の特徴である「ハ」の字。
後円部約60m、前方部約30m前方後円墳
4西殿塚古墳(天理市中山町)
宮山型特殊器台、特殊器台型埴輪(ハの字)
全長約234m、後円部径147m、前方部幅133mの前方後円墳
「この特殊器台・壷は主に墳丘上で使用され、儀式が終わるとそのまま墳丘上に置かれるか、片隅に片付けられたと思われるような出土をしています。特殊器台の分布は発祥の地である吉備を中心に微妙な時間差と形状変化を伴って、出雲、大和とその周辺地域に分布が限られています。これらの地域では特殊器台を使用した葬送儀式をおこなうという密接な関係があったことを示しています。特殊器台の形状や器台に描かれた文様の違いについて、様々な議論がありますが、現在一般的に考えられていると特殊器台の編年は、「立坂型→向木見型→宮山型→都月型」と変化してきたものとされています(下図を参照ください)。都月型は特殊器台型埴輪と呼ばれており円筒埴輪の原型とされ、壷の形式によってA,B類の2種に分類されています。」
http://pub.ne.jp/luckfield/?entry_id=3514978
http://pub.ne.jp/luckfield/?entry_id=3514978
●最古の特殊器台(立坂型)・・・岡山県倉敷市楯築(たてつき)弥生墳丘墓
総社市の立坂弥生墳丘墓
島根県出雲市西谷3号墳丘墓(四隅突出型弥生墳丘墓)
●特徴
文様帯4段、間帯5段で構成され、文様帯には弧帯文とよばれる連続した文様帯と、綾杉文や斜線文などが長方形の区画のなかに描かれた分割した文様帯とがあり、連続型の文様帯では巴形や三角形の孔が、分割型では長方形の孔が空けられている
総社市の立坂弥生墳丘墓
島根県出雲市西谷3号墳丘墓(四隅突出型弥生墳丘墓)
●特徴
文様帯4段、間帯5段で構成され、文様帯には弧帯文とよばれる連続した文様帯と、綾杉文や斜線文などが長方形の区画のなかに描かれた分割した文様帯とがあり、連続型の文様帯では巴形や三角形の孔が、分割型では長方形の孔が空けられている
○四隅突出型墳丘墓
「弥生中期後半から広島県の三次盆地に発祥したという。 弥生後期後葉から美作・備後の北部地域や後期後半から出雲(島根県東部)・伯耆(鳥取県西部)を中心にした山陰地方に見られる墳丘墓である。北陸では少し遅れ能登半島などで造られている。源流は今のところ判明していないが、貼り石方形墓から発展したという可能性もある。」
「弥生中期後半から広島県の三次盆地に発祥したという。 弥生後期後葉から美作・備後の北部地域や後期後半から出雲(島根県東部)・伯耆(鳥取県西部)を中心にした山陰地方に見られる墳丘墓である。北陸では少し遅れ能登半島などで造られている。源流は今のところ判明していないが、貼り石方形墓から発展したという可能性もある。」
西谷3号墳は木郭を持つが、様式は吉備の盾築に類似。
特殊器台は、盾築墳頂上に立つ石版群が大元かとも考えられる。大和では3世紀末の纒向型発祥時から吉備の特殊器台・特殊壷が持ち込まれており。また吉備発祥の絵柄である弧帯文をアレンジしたらしき弧文を持つ木製品が出ている。この円板は朱塗り木材が出た推定「宮殿」の屋根に円板をとりつけて棒を立てたと見られており、つまり纒向宮殿のシンボルだったと考えられる。
特殊器台は、盾築墳頂上に立つ石版群が大元かとも考えられる。大和では3世紀末の纒向型発祥時から吉備の特殊器台・特殊壷が持ち込まれており。また吉備発祥の絵柄である弧帯文をアレンジしたらしき弧文を持つ木製品が出ている。この円板は朱塗り木材が出た推定「宮殿」の屋根に円板をとりつけて棒を立てたと見られており、つまり纒向宮殿のシンボルだったと考えられる。
つまり纒向遺跡その他の大和古墳群の前方後円墳の始まりは吉備に求められる。その古墳での祭祀もまた吉備型だと言ってよい。従ってここ纒向を邪馬台国だとする大和説・畿内説研究者は、その文化のほとんどが吉備由来である意味を説明する必要性があるわけである。ところがこのことを深く追求し、邪馬台国吉備発祥説を唱える意見があまり見えない。むしろ吉備や東海・出雲・九州から人が集合して大和中央集権ができあがっていく証拠に使うのみである。
Kawakatuが今恐れているのは、特殊器台の発祥も大和纒向が先で、吉備は大和からその様式と祭祀を許可分配された属国だった、というような大和至上主義的意見をマスコミが大騒動して流言し始めないか、ということである。
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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