さて大山誠一『神話と天皇』を題材にした今回の分析もいよいよ大団円を迎える。
大山誠一の勘違いを最後に。
『日本書紀』の天孫神話が、現実の持統天皇王朝の正当性、天皇の正当性のために造作された観念だと言う大山の説は正しい。そこに齟齬はない。
しかし前の記事にも書いたが、大山は、草壁をオシホミミとして、藤原不比等は草壁の血統こそを重要視した、というが、Kawakatuは天智天皇血統こそが重要であると考える。
なぜ為政者不比等にとって草壁血統が重要だろう?
草壁は夭折した。そのために『日本書紀』編纂はどたばたする。息子の軽はまだ赤ん坊で天皇には無理。しかたなく母である鵜野讃良を初代天皇に・・・。だから神話に突如アマテラス皇祖が登場・・・。一見齟齬はない。
しかし、そんなに突然の草壁の死だったなら、『日本書紀』が1300年間も日本人の皇祖・天皇の絶対性を信じ込めたさせられただろうか?
最初から傀儡天皇には天智天皇の血脈こそ大事だったから持統だったはずだ。天武の直系である草壁は、むしろ邪魔だったはずなのだ。長男の高市と長屋の系譜さえ消されたのだから、不比等はあきらかに天武系譜を消すことを目的に、天智の娘である鵜野を担いだのではないか?
その証拠に、聖武の仏教傾倒にほとほと困ったその後の藤原家は、その死後、再び天智天皇の子孫だった光仁を仕方なく王位につけて桓武が続く。そうやって不比等が考えた反蘇我王家としての息長系譜が現代まで続くことになったのである。それこそが不比等、藤原家の目的だったはずだろう。
だからKawakatuは、草壁も不比等が殺したと見るのだ。
ただし軽=文武の病死は不比等も以外だっただろう。
わざわざ養女宮子を嫁がせたにも関わらず、天武直系と見えて実は天智の直系でもあった文武が死んでしまったことで、神話も書き換えられているか?いないではないか。一書にも本文にも、文武にあたるニニギの突然死など書かれてはいない。ニニギは猿田彦の案内で無事に日向の襲の笠沙の岬に降臨し、そのあと地元の隼人の姫との間に子供も作って神武につないであるままだ。あいだに海幸・山幸という隼人神話を挟み海人族の重要性を唱え、また塩土という自分自身を思わせる参謀的老人を登場させていて順風である。
塩土が摂関・宰相としての不比等・藤原家のはじまりであるとし、またのちには葛城・蘇我氏のそれだった武内宿禰という内臣の初代まで取り込んで、藤原宰相家の正当性まで盗み取った。どこに草壁の血統が必要なのか?理解できない。
猿田彦についてもう少し。
猿田彦を祖人としていたのは伊勢内宮地の地主だった宇治土公(うじのつちぎみ)という在地氏族である。これが太田命の子孫である。今は猿田彦神社を祭っている氏族だ。
大山はいいことを書いている。
神社には国家が押し付けたものと、在地が自前で祭っていた神社の二種があると。Kawakatuは三種類の神社を拙著にもう10年以上前に書いた。大山、読んだかな?
神社には官幣社と無格社がある。猿田彦は後者である。格式はない。つまり地元の、国家神道よりも古い、原始信仰の神である。原始信仰のほとんどは神は自然神や祖霊や祟り成す災害神である。それは古墳時代以前からの神である。ところがアマテラスは祟りをなすことのない祖霊神でしかなく、民間の常識では祖霊であるから、たたる神のようには怖くない。障礙神 ではない神を、子孫以外の誰が尊ぶのかわからない。佐藤家のお墓に後藤さんが参ることがないように。つまり大物ヌシとオオナムチの神霊を今も宮中に置くように、一番祭り上げねばならぬのは災害神なのである。なぜ?災害が起こらないようにだ。決まってるじゃないか。
自民政府にとって、本当に大事なのは靖国の中の、たたるかも知れない戦犯の神霊なのである。だから靖国へゆくのだ。英霊もたたらぬように参るのだ。それが日本の信仰の最重要な観念だったのだ。
ところが文武の子・首(おびと=聖武)は、そうした藤原と橘の政争に嫌気が差して、仏教に深く傾倒してしまう。これは藤原家にとって一番頭がいたい。なぜなら『日本書紀』神話概念が根底から崩れるからだ。仏教は日本の神ではない。だから考えた挙句に神仏習合にたどり着く。これも政治的判断であった。神と仏はおなじものでなければ神話も国家神道も総崩れになってしまう。しかしもう不比等はいない。藤原四家は菅原道真左遷で、抵抗勢力によって壊滅状態。おまけに左遷されたホープ藤原広嗣(宇合長男)は九州で謀反・・・。藤原一族はてんやわんやになった。そこで光明子とその子仲麻呂が登場する。
ふたりは天智と不比等の意志を引き継ぎ、仏聖としての聖徳太子をクローズアップ。弘法大師像をクロスオーバーさせながら民衆にお大師信仰と言う、仏教のような神道のようなへんてこりんな異教をさずけてしまった。苦肉の作だった。いわゆるどさくさまぎれに信仰のルネッサンスを行ったのである。
聖武はそれを嫌がり、あっちこちへ仏教の聖地を求めてさまよう。しかしやってもやっても邪魔が入る。結局平城京で落ち着いた。これが日本の仏教と神道の対立をもたらしたのだった。そして聖武はつくづく藤原家の期待を裏切り続け、結果的に天智系の表立った即位につながってしまう。
不比等は自らの立ち位置を神話の最初に登場する造化の神・タカミムスビにしている。ゆえに『日本書紀』一書に、ニニギに天孫降臨を命じた神がアマテラスではなくタカミムスビと書いたのだ。本来なら最高位の神であるはずの持統=アマテラスが草壁に命ずるべきものを、実は裏では不比等が決めたことをちゃんと書いたのである。
そしてアマテラスを伊勢に追いやったと同様、持統本人の扱いが難問だった。名前は天皇だが女帝は天皇ではない・・・当然だ。なかつぎでしかないからだ。つまり持統・元明・元正の三人の女帝は、天皇であって天皇ではない。正統なる天皇は文武からである。女帝は男帝でないからだ。
大山の説なら、持統を天皇とするのはおかしいのである。不比等が草壁こそを重要で初代天皇にしたいのなら、『日本書紀』神話は最初はアマテラスが男神であらねばならないから、オシホミミこそがアマテラスになるべきだった。それをばたばた女神に置き換えれば神話全部を書き換えねばなるまい。そんな時間があったかどうかだ。
そういうところが今回、まだ大山説のすべてが整合とは思えなかった理由である。