昨夜レイラインのことを不思議発見が扱っていた。
バカじゃないかと思った。
筆者が知っているレイラインハンターやトライアングル・ハンターの地図は、まっくろけだ。夜中まで「あ、ここもそうだ。ここにもある・・・」とうなされていた。
偶然でしかないものを直線状にあるというだけで、パワースポットだと。
まったくかけはなれた時代の建造物が、たまたま同じ線上にある?
そういう直線なら、世界中どこでもいいからものさしをあてれば、いくらでもある。
地球を緯度・軽度で考えているから、それが不思議だと思ってしまう。
もし意図的に、人間がそれをしたのなら、超自然現象でもなんでもなく、まったくそこには不思議はない。むしろ意図的なもので、なにが不思議なのか、どこに大自然のパワーが関与するのか、まったく理解に苦しむ。
意図的に直線上に造られた建造物の代表が、テレビのおばかのレイラインハンターが言っている江戸城と日光東照宮であることは、ちょっとレイラインをかじったものなら誰でも知っている。それは意図的なことである。
人工物を意図的に配置することは世界中にあるのだ。
パワースポットとは決して人為的に、意図的に置かれていないからこそ神秘なのである。
奈良県の藤原京と京都府山科の天智天皇陵も、南北直線状にある。これも意図的にそうされている。
それらの基本理念は「天子は南面す」である。王城や官幣神社が南を向く、だからその皇祖たるべき先祖の墓や社を都城の北側に造る。なにも不思議などない。
鹿島神宮と東京・・・意味が分からない。鹿島神宮と香取神宮は記事にも書いたように、藤原不比等が持統天皇時代に藤原氏の祖神として取り込んで立派にした神社で、もとはただの祠である。それは江戸や東京などできあがる以前の時代の話で、まったく無関係。まことにあほらしい。ましてこないだできあがった東京スカイツリーなど、点と線を結んだら、いくらでも周囲に神社仏閣お城がある東京や大都会なら、なんぼでも線で結べてしまう。
そもおそもレイラインとは、太陽光=レイのラインである。レイ=置かれた、と考えるのは最近の、非科学的主観的なおばかたちのまさにご都合主義の信仰である。意味なし。
レイラインにはまるものは宗教と同じで、歴史を詳しく分析する能力がなく、ただただ感性で直線を求めて意味もなくさまよう、マニアックなおたくである。迷える子羊である。哀れである。そんあものにはまったら、人生終わりだ。
6万年前 ネアンデルタール人か スペインの洞窟
6万5000年前の壁画 スペインラパシエガ洞窟
ネアンデルタール人が描いたと思われる壁画である。
なぜなら新人は4万年に登場したのだから、それ以上昔の作品だからだ。
しかし・・・
これまで4万年前でインドネシアの壁画と並んで世界最古とされていたものをなぜ、突然年代を変更したのかよくわからない。
もしやインドネシアで最古の壁画が出てきたからってことは?
さて、そんな年代合戦で年代が決められては困るが。
4万年以上前の「世界最古」の動物壁画
4万年以上前 インドネシアカリマンタン島東部
年代はさておき、スペインの壁画にも、インドネシアやアフリカや南アメリカに見られる「手形」絵も一緒に描かれていた。
少なくとも、同じような旧人?が描いたことになり、世界の各地に彼らがほぼ同時に済んでいたことは間違いなかろう。
逆に考えると、それらが本当にすべてネアンデルタール人の手になる作品だとしたら、われわれホモサピエンスに残存するネアンデルタール遺伝子こそは、ヒトの芸術性の決め手となる遺伝子だったと考えてみることもできないか?
もちろんその壁画がネアンデルタール人ではなくデニソワ人やフローレス人の作品の可能性もないわけではないし、
あるいは
ヒト=ホモサピエンス=新人の出現がもっと早かったとなる可能性だって捨てがたいだろう。
Kawakatuは早まらない。
回答はまた変わる可能性が高い。
歴史に決め付けは禁物。
遺伝子のバイカル湖起源説が一時、大流行したが
ミトコンドリア遺伝子やY染色体ハプログループ分析は不完全であったことがわかり
いまはゲノム分析が主流となり
インドネシアをはじめとする
スンダランドでも
人類は遺伝子を広めた中継地ではないかとの意見が最新の主流説になってきている。
そのように
歴史を見ようとするものは
常に最新の仮説の出現情報には
柔軟に対応できねばならないだろう。
決め付けは
あとで笑いものになる。
例えば日本の
藤原鎌足百済王豊璋説にしても
Kawakatuは
決め付けているわけではない。
だったら面白いじゃないか
と言っているだけである。
もちろん鎌足など
不比等の想像上の人物ではないかとも
疑える。
決め付けず
首を振り振り生きてゆく。
だってヒトは不完全な生物なのだから。
それでいいのだ。
ただし、あらゆる可能性は考えておくべきだ。