石清尾山古墳群 (いわせおやまこふんぐん) 香川県高松市峰山町
墳丘形式が多彩ゆえにさまざまの氏族の連合体が4~6世紀にあったと見える。
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/sinkou/maibun.files/iwaseoyama.htm
墳丘形式が多彩ゆえにさまざまの氏族の連合体が4~6世紀にあったと見える。
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/sinkou/maibun.files/iwaseoyama.htm
●石清尾山猫塚古墳 (いわせおやま・ねこづかこふん) 香川県高松市峰山町
推定4世紀中頃?
Map http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E134.01.33.879N34.19.28.542&ZM=9
双方中円墳
積石墳
墳丘の規模は、段築なしに造られた中央の円丘部の径44m、高さ5mで、ひとつめの前方部の最大幅は15m、高さ2.4mを測り、もうひとつの前方部にあたる後方部の最大幅は14m、高さ1.8mを測り、墳丘全長は97m
出土遺物
中国製内行花文精白鏡(漢式の正式鏡)
中国製蝙蝠座鈕内行花文鏡(典型的魏の鏡)
中国製獣帯鏡、
中国製四獣鏡、
倭製三神三獣々帯鏡、
碧玉製石釧、
鉄剣、
鉄刀、
柳葉式鉄鏃、
柳葉式銅鏃、
銅剣、
筒形銅器、(この古墳が四世紀中ごろと推定される所以)
斧、鑿、ヤリガンナ、土師器
中国製内行花文精白鏡(漢式の正式鏡)
中国製蝙蝠座鈕内行花文鏡(典型的魏の鏡)
中国製獣帯鏡、
中国製四獣鏡、
倭製三神三獣々帯鏡、
碧玉製石釧、
鉄剣、
鉄刀、
柳葉式鉄鏃、
柳葉式銅鏃、
銅剣、
筒形銅器、(この古墳が四世紀中ごろと推定される所以)
斧、鑿、ヤリガンナ、土師器
◆重要性
吉備楯築型の古墳である。
白銅鏡が出ている。
魏鏡も同時に出ている。
しかし吉備型の特殊器台が出ていない。
代わりに筒型銅器。
吉備楯築型の古墳である。
白銅鏡が出ている。
魏鏡も同時に出ている。
しかし吉備型の特殊器台が出ていない。
代わりに筒型銅器。
岡山県教委では最近ここを四世紀とする考え方から、もっと早い時期のものかと言いはじめている。
まず気になるのは、吉備盾築型である双方墳が、なぜ前方後円墳全盛時代の四世紀にわざわざ造られたかである。
すると考え付くのは、四世紀半ばの人の墓ではあるが、その人物は吉備の古い血脈から血統書つきのような高貴な人であった可能性はないのか?であろうか。
古い様式で、わざわざ作ったのはそういうことか?
この形式は、箸墓よりも、さらに纒向型プレ古墳群よりも古い。
最初の楯築のある吉備に対面する山の上200Mに造られているので、見せる古墳である。つまり海からのヤマアテの対象物になる。吉備・出雲・讃岐・阿波連合はひとつの共同体である。
それは中心人物が海人系。
最初の楯築のある吉備に対面する山の上200Mに造られているので、見せる古墳である。つまり海からのヤマアテの対象物になる。吉備・出雲・讃岐・阿波連合はひとつの共同体である。
それは中心人物が海人系。
播磨五色塚などに見る倭直=ウズヒコ・椎根津ヒコ系譜にも類似した人々か?
◆田村神社
近くに田村神社があり、
祭神は以下の5柱で、田村大神と総称される。
祭神は以下の5柱で、田村大神と総称される。
倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)
五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) - 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)
猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) - 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)
天五田根命 (あめのいたねのみこと) - 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%B8%82)#.E7.A5.AD.E7.A5.9E
五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) - 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)
猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) - 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)
天五田根命 (あめのいたねのみこと) - 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%B8%82)#.E7.A5.AD.E7.A5.9E
となっている。
倭迹迹日百襲姫命 が第一の神という神社はほかにあまり聞いたことがない。
大物主の神妻である。
大物主の神妻である。
ここの古墳は吉備に向かって造ってあるのに、その心は大和の巫女女神?
この女神は箸墓の被葬者に推定されている。
その箸墓は壹與の墓のはずである。
いったい、讃岐高松の氏族は吉備による氏族なのか、ヤマトによる氏族なのか?
その吉備にはいくつかのミワ系神社が点在している。
倉敷市から備前市にかけて美和、大神 、三輪などの神社がある。
ということは三輪氏つまり多氏が来て、鉱物や石材、舟材など探したのであろう。
となれば猫塚は本体は大三輪で、その工人か?それが吉備の地主である吉備王家とのえにしを持って協力したかとなるか?
なお岩清尾山南麓に坂田地名がある。息長氏もいたようである。
推定するに秦氏、多氏、息長氏、吉備王族、大三輪氏、土師氏、紀氏などがここに連合体を作っていたのかも知れない。
推定するに秦氏、多氏、息長氏、吉備王族、大三輪氏、土師氏、紀氏などがここに連合体を作っていたのかも知れない。
ネックは考古学の4世紀前半から開始という編年である。すると最古の墓よりも50年ほど前から人が来ていたことになろうか。
ならば最初の人々は三世紀後半に入ったとしてもおかしくない。
なお、双方墳はほかに鏡塚など数基存在する。
姫路などへ楯築型が移動していく中で、対岸のここにもやってきたということだろう。それがやがて淡路島から畿内に入っていった。京都にもあったはずだ。ならびがおか。秦氏の本拠地なのだが土師氏や壱岐氏もいたところである。
謎がまたひとつ増えてしまった。
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