郡より女王國に至る、萬二千余里。
女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種
さて、この文節をどう扱うか?
◆郡より女王國に至る、萬二千余里。
帯方郡から邪馬台国までの総距離である。
魏志の各都市の距離を足してゆくと1万2千里である。
総距離もこれに合致する。
すると不弥国~邪馬台国までの距離ではなく日数でしめした、とてつもないはるかな南という観念とは、それがまったく矛盾した、伊都国・奴国から、せいぜいすぐそこの距離におさまってしまうと考えねばならなくなってしまう。
◆女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種
なぜここで邪馬台国ではなく「女王國の東」という表現になったのか?
これが邪馬台国の東ならば、ヤマトから東には海はなく、北部九州から東なら瀬戸内海が存在する。
瀬戸内海ならば、東へ向かう海で、行き着けば河内、住之江に千余履で矛盾がない。
しかし近畿からだと、東にあるのは琵琶湖。これを海と考えたとしても、まず千里もあろうはずがない。
そもそも奈良盆地の東に直接つながる海など存在しない。
東の海といえば伊勢湾になろうが、奈良からそこまで鈴鹿山地を越えていかねば海には出ない。
まして海に出たところでそこは伊勢湾と尾張の湾であって、太平洋東海へ直接つながるわけでもない。
さて、矛盾する。
なにゆえに、魏志倭人伝はこうした矛盾を内在させねばならなかったかと考えるべきである。
三国志はいつ書かれたか。
魏の年間ではない。次の西晋の時代である。
およそ実年代から100年ばかりの時間が過ぎている。
倭人の心はあくまでも滅びた南朝に向いている。
それは古墳時代になっても神仙思想を題材にした鏡を後生大事にしていたことからあきらかだ。
ということは倭人伝では謎は解けるはずはないのだと、いい加減に文献史学はあきらめねばならないわけであろう。
倭人伝は政治的な捏造の所産なのだ。
道程記事などにこだわったところでホームランは生まれ得ないことは明白である。
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