ダイアモンド☆ユカイ「ムクロジの木」/Diamond☆Yukai「Mukurojinoki」
みなさまあけましておめでとうございます。
新年最初の記事をようやく書かせていただきます。
今日、やっと初詣に参りました。
五日のけじめの日。
今日からは現実の時間に戻ると決めておりました。
初詣は賀来神社というお宮です。
家紋が同じなので、大友さんが創始した神社でしょう。
賀来一族は武内宿禰子孫を自認し、八幡宮つまり今も天皇家よりも前にあった渡来系大王家創始者応神さんの宰相でありました。
300年間、大王に使え、そして「履を残して消えた」とされます。
賀来さんたちは、八幡の本貫である宇佐に近い中津市オオサダの加来地区を出身とする祭祀氏族であります。
すると境外にさかんに実をつけた高い樹木を見つけました。
ムクロジです。
むくろじ 無患子
「別名ムク。むくろじ科の落葉中高木。名の由来には、漢名「無患子」(ムカンシ)は、患わない子の意で、羽子板が無病息災のお守りにされ、種子が羽根の球に使われた事に通じ、種子が黒い玉(黒子、黒い種)である連想からも、ムカンシから「ムクロジ」に転語したという説と、漢名の「木?子」(モクゲンジ)の音読みが、ムクゲンジ→ムクロジに転訛したという説とがある。鹿児島方言では、ムクヨ、モクヨと呼ぶ。いずれも長短あり、この由来説は判定しにくい。
果皮にサポニンを含むため、昔は石鹸の代用にされた。中の黒い種子は、数珠の球や羽根突き用の羽根の球に使用される。」http://cocologtakao.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-4ccc.html
「別名ムク。むくろじ科の落葉中高木。名の由来には、漢名「無患子」(ムカンシ)は、患わない子の意で、羽子板が無病息災のお守りにされ、種子が羽根の球に使われた事に通じ、種子が黒い玉(黒子、黒い種)である連想からも、ムカンシから「ムクロジ」に転語したという説と、漢名の「木?子」(モクゲンジ)の音読みが、ムクゲンジ→ムクロジに転訛したという説とがある。鹿児島方言では、ムクヨ、モクヨと呼ぶ。いずれも長短あり、この由来説は判定しにくい。
果皮にサポニンを含むため、昔は石鹸の代用にされた。中の黒い種子は、数珠の球や羽根突き用の羽根の球に使用される。」http://cocologtakao.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-4ccc.html
「お釈迦様の言葉に「もし、煩悩・業苦を滅し去ろうと欲するなら、ムクロジの実、百八個を貫き通して輪を作り、それを常に持って行住坐臥に渡って一心に佛法僧三宝の名を唱えてムクロジの実を一つ繰り、また唱えて実を一つ繰るということを繰り返しなさい」と。
お釈迦様は手ずからムクロジ108個を繋いだ数珠をお作りになり
薬師如来様・大日如来様や十大弟子に配ったそうです。
まさにお数珠の創始者だったんです。
大地にたたずむムクロジの大樹
大地にたたずむムクロジの大樹
ムクロジは漢字で〔無患子〕と書きます。
読んで字のごとく、子どもが患わない病気をしないという意味です。ムクロジ科には、熱帯果物として人気のあるレイシ、ランブータン、リュウガンや日本でも観賞用に植えられるツル植物のフウセンカズラなどが属しています。ムクロジの熟した果実は、果皮がつやのある黄褐色の半透明になり、中に一個の黒い種子を含んでいます。種子はとても堅く、よく弾むので羽子板の羽のおもりとして利用されたり、煎って食べることもできるそうです。果実には多くのサポニンが含まれていますが、このサポニンが生き物にとっては毒にもなり鳥や虫から食べられないようにしているそうです。そのため、ムクロジには農薬なども一切必要なくオーガニックであり、 肥料なども必要ないため、完全なる自然栽培ということになります」
https://mukurossi.jimdo.com/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B8-%E7%84%A1%E6%82%A3%E5%AD%90/
https://mukurossi.jimdo.com/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B8-%E7%84%A1%E6%82%A3%E5%AD%90/
古代、人は生死、正邪を同一に考えていたことは、あなたはとっくにご存知だ。
不老長生とは、反面ではそれほど古代には人が早く死んだことの裏返しであり、望みだった。
不老長生とは、反面ではそれほど古代には人が早く死んだことの裏返しであり、望みだった。
その古代の観念が最も明確に居残る行事である正月には、人は生まれ変わりだと信じながら、一方ではまたひとつ歳を取るという現実的思いを、現代人でさえ、いまだに同時に矛盾なく持つのである。「それこそが日本人」だと言ってもさしつかえないだろう。そうでない者は日本人だとは言えないのだと思える。
永遠を、宗教や信仰は、それを望む人々に「与えます」と言う反面で、死者には「運命だ」とも言うのだ。彼らにはなんの呪力もないのである。
「むくろじ」とはなんと不吉な命名だろう。
ムクロとはまさに遺骸である。
しかし反面では、死とは永遠の生であったのである。
死とは、祖霊とそれにつながる民族の永遠を意味する。それを別の言葉では「ヨミガエル:とも言った。あなたがヨミガエルのではなく、子孫がそれを受け継ぐことなのである。
あなた個人、わたし個人の生命や肉体は、永遠どころか一瞬しか生きられない。それをつなぐことが種の存続である。そのために種は、さまざまない実験し、多様性を持とうとする。当然のことである。稲が何種類もの環境適応性の結果として多種多様な亜種を増やそうとしたことと同じだ。
ムクロジの実に含まれるサポニンは、合成殺精子薬である。
精子を殺すのである。
サポニンはヒトデやナマコも持っている毒素である。
だから往古には、それが殺しにも使われたが、同時に発泡性で石鹸の成分も持つ。
清潔と毒性の両面を、しかしあらゆる生物は持つように生まれてくる。防御のための毒性は、反面では菌類を制御する力を持つ。この矛盾こそが進化を生む、この矛盾こそが「生きる」の本意なのかも知れない。
精子を殺すのである。
サポニンはヒトデやナマコも持っている毒素である。
だから往古には、それが殺しにも使われたが、同時に発泡性で石鹸の成分も持つ。
清潔と毒性の両面を、しかしあらゆる生物は持つように生まれてくる。防御のための毒性は、反面では菌類を制御する力を持つ。この矛盾こそが進化を生む、この矛盾こそが「生きる」の本意なのかも知れない。
ゆえにこの木は「ムクロ樹」なのだ。
生と死を併せ持つその果実は、落ちたときは緑だが、乾燥すると黒くなる。それが子供が遊ぶ羽子板の羽根突きの玉にされた理由も、実はそこにある。そういう実ならほかでもよかった。しかしムクロジの実が選ばれた。
羽根突きは羽を往来させることを「永続させる」「遊び」なのだった。延々と打ち返すことが、つまり命の永遠の存続を意味した。つまり日本人の「あそび」とは近代西欧のスポーツのような、勝敗を競うものではなかったのである。「遊ぶ」とは、つまり念じることなのだ。
この子がいつまでも元気に育ちますようにと願う、その親心が、子供らに羽子板の羽根突きをさせてきたのである。その羽の玉・・・核心にムクロジの実が使われた。死骸の木・・・。そこに日本人、もののあわれの中にある、死こそがよみがえり、永遠、存続、継続、受け継ぐいのちの観念があふれていることに気づかねばならないのだろう。
子供らのあげるタコが曇天に高く舞っていた。
まさに正月であった。
本年も記事を書き続けます。
よしなに!