Quantcast
Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

東北に弥生時代はあったか?垂柳遺跡水田跡 穀物に支配される男ども

$
0
0


1955年と言うから筆者が生まれた年である。すでに60年以上が経過した。
青森県。
垂柳遺跡(たれやなぎいせき)という弥生の水田遺構が、青森県南津軽郡田舎館村
で発見されている。
弥生時代中期の遺跡。国史跡


イメージ 3



民俗学的映画を撮り続ける前田憲一(「土俗の乱声」1991など)は、垂柳の水田と、土器に見つかった炭化米の存在を、東北人が単独で中国長江まで行って持ち帰ったのではないかと考えているようだ。

しかし、日本の考古学はあれから60年経った今もなお、それは北部九州を経由して、北部九州弥生人=つまり倭人によって持ち込まれたのだとしている。何も変わっていない。しかし東北や北海道にはほかにもそうでなければあるはずのない「オーパーツ」のような遺物がいくつか発見されている。それらも考古学は九州経由だとしている。

イメージ 4





なぜ、ダイレクトで東北人がとりにいったとは考えないのだろう?理由は日本考古学のあけぼのが近畿、京都大学を中心に始まったからだろう。九州大学や明治大学でさえ、近畿考古学の先達たちの過去の言説からは逃れられないという、大学の構造が、新説を長く久しく拒絶させている。それは今でもたいした違いはない。日本の文献が記紀が最古である限り、考古学さえも最初から『日本書紀』皇国史観の影響からは逃れられず、敗戦後もなお、奈良や京都の研究機関の呪縛から逃げられない。そんなことなので、青森の米も水田も、ちゃんと弥生時代中期、2000年前にあったとわかっても、最古の水田稲作は3000年前の菜畑が最初だから、またその次が遠賀川だからという理由で、それらはほとんど民間の耳目にも届かずほったらかしになった。そして一番悲しいことは、その青森の考古学でさえも、定説には逆らった痕跡がないことだ。

心の中は知らない。東北人の粘り強さ、青森のじょっぱり魂を思えば、当然、敢然と大和考古学定説に対して卓袱台返しするじょっぱり考古学者がひとりくらいいてもよい。あまつさえ、東北のような寒いところでは稲作などできたはずがない、などという現代の気象の常識からだけの主観的過去の決めつけに抵抗すべきだ。せめてではないぜ稲作が、半島のような寒い場所に先に入ってから日本に来たというのか?矛盾するではないか?くらいはマスコミを通じて言ってもいい。しかし彼らは所詮、役人や学会人であり、大向こうに歯向かう根性もないのだろう。
まして彼らが勉強したのは奈良県や京都府の大学なんだろうから。先生、
そのまた先生の権威に助けられて学者や研究者になったのだから・・・。
学説よりも人間関係が優先する、まれにみる日本の学閥・・・ああ、なのだろう。




緯度を見ていただく。

イメージ 1


青森県の緯度はほぼ半島の高句麗あたりと同じである。
しかも縄文から弥生、弥生中期前半までは、今よりもかなり気温が高かった。


イメージ 2


それが弥生中期を500年も過ぎた頃から、気温が低下した。すると垂柳の住民は稲作をやめて、以前の縄文の生活に戻ったと見える。


ならば、中期の前半の何百年間には、水耕稲作は可能だったことになる。だから今後、この古い発掘を東北人研究者がほっておいていいのか?と筆者などはいらぬ老婆心にとらわれてしまうのである。


人類は穀物を発見し、寄り集まるようになり、次に金属精錬と加工を発見して、武器を持ち、いよいよ生活の安定を手に入れて、今度はもっと耕作地を求めて侵略し始めた。人類のサルであることを決定的に証明するものこそが戦争と侵略好きだろう。それは農耕が生んだのである。稲作や小麦作は、農民の暮らし方を一変し、それは狩猟採集生活よりも数倍過酷で、規律が必要だった。それを犯すものである野生動物やライバルから、水田を守るものが登場した。みかじめを請求し、彼らは専門の闘争集団化。そこから王が生まれた。かくしてシャーマン王、女王たちは、武力王の下でシャーマンになるほかはなく、徹底的に差別される。



それが歴史である。
実に簡単だ。世界中が同じである。

王は侵略を開始し、世界は混沌。その間も農民たちは、さらなる増産を求められ、完全に支配された。だからいよいよ身分は下層、なのに労働の日々で、野心などいだくひまもない。疑問すらもてなくなった。それを搾取した武闘集団には、考える時間があった。そこから経済が生まれ、帝国主義が合体した。

そういうようなことを、さきほどテレビのユダヤ人歴史経済学者ノア・ハラリが言っていた。今も尚「俯瞰する歴史学」をしゃべっている。彼の言っていることは筆者もすでに書いている。俯瞰し、逆転の発想で歴史を見る・・・それこそが青森にも日本全体の考古学にも今、求められている。


そもそも、日本に、経済学から歴史を考えるような学者はほとんどいない。民間にはいくらかいる。しかし民間の意見などは学説の前ではただのノンフィクション小説でしかない。それが日本だ。



だから面白い。
だからやりがいがある。
古代から現代はちゃんと見える。しかもどの時代よりもくっきりと。


穀物に支配され、資源・鉄に支配され、貴金属に支配される人類。
われわれは幸福の真の意味を間違えさせられた。稲や小麦に。
オオゲツ比売は死んでも、そこから生えた植物・食物はいよいよ人間を支配した。
はらが減るから経済が生まれ、職業も生まれ、身分の貴賎が生まれ、役割が分担され、結局いまもなお、民間人は国に税金と言うみかじめ料を払っている。しかし、その親分が正義の味方の次郎長さんならいいが、どうも黒駒の親分のほうだったりするのはどういうことだ?勧善懲悪にあこがれても、それは女と子供の考え方で、現実は正反対であろう。夢や貴金属やバッグという、即物的欲求さえ埋めてくれたら、彼女やがきどもには、いなくてもいいお父さん・・・。男だけが支配される側が増えてゆく時代である。こんな差別はほかにあるまい。そういうモノなら早く捨てたほうがいいカモシレナイ。少なくとも筆者は、搾取するものを一切持たない。むしろ国家を搾取して、ストレスもなく生きている。よく考えたほうがいい。君たちは国家とかみさんと子供と穀物にいいように動かされている被差別の農民でしかないのだ。



















































 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>