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女系天皇

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まず昨今の女性天皇論を踏まえたうえで、誤解のないようにしておかねばならないことが、女性天皇と女系天皇は厳格に違うということである。たんに男子継嗣がいなくなったので女子が天皇になるということではなく、天皇はまずもってあくまでも天孫~神武の系譜=男系であることが大前提で、そこに男帝・女帝はあっても、必ず男系であることが建前である。いわゆる世間一般の女性進出とかいう概念は、天皇の交代には微塵も無関係で、次元が違うことになる。
 
語句の類似から、単に女子の天皇を指す女性天皇と混同されることも多いが、皇統についての「女系天皇」と、天皇個人の性別についての「女性天皇」とは異なる概念である。その天皇自身が男か女かという性別とは関係がなく、概念上は女系男性天皇と女系女性天皇の両方が存在しうる。また逆に、男系についても、男系男性天皇と男系女性天皇が存在しうる。
 
 
・父方をたどると初代天皇に行き着く天皇は男系男帝・女帝
•母方をたどると初代天皇に行き着く天皇は女系男帝・女帝。
•父方・母方どちらをたどっても初代天皇に行き着く天皇は双系天皇
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•父方・母方どちらをたどっても初代天皇に行き着かない天皇は雑系天皇(系譜上は存在しない)
 
 
女系天皇(じょけいてんのう)は、日本において、「母のみが皇統に属する」天皇を指す呼称である。
正しくは母系天皇と称されるべき概念である。例えば今上天皇(平成天皇)のあとを今の皇太子がつぐと、そのあとは愛子ちゃんしかいないので、彼女が天皇になったとすれば、彼女は男系の女性天皇だということである。
このことは世間レベルの女性の社長や部長が生まれるといった「女性の権利」とか「社会進出」とか「男女平等」とかいう観念とは、まったく無縁な、混同したり同レベルで考える概念ではない。よくそこを混同してしまって「なんで女性天皇じゃいけないのか!?」などととんちんかんに、声高に言い始めるえせ研究家もいるので、気をつけねばならない。天皇には女性とか男性の相違は当てはまらない。
 
現在の天皇家は持統女帝から派生しているが、持統天皇は父が皇祖直系天智であるので男系の女帝だったと言える。(あくまでも天智以前に血統が一系だったと仮定しての話である。)
 
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第38代天智・39弘文(天智男子)40天武・41持統ののちに42文武(天武・持統孫)・43元明(天智娘)・44元正(天武・持統孫女子)・45聖武(文武男子)・46孝謙(聖武娘)・47淳仁(天武男子)・48称徳(孝謙重祚)・49光仁(天智直系)・50桓武(光仁男子)と続いた飛鳥後半の天皇はすべて「男系」天皇である。推古を含めてこの時期の女帝のすべては系図が正しいとする建前上、「男系女帝」である。
 
ただし、以上のことはあくまで『日本書紀』歴史観に基づいた建前であることも言っておく。
記紀史観は8世紀の藤原政権下で成立しており、あくまでも神武以来、皇統に断絶がなかったという強い意思表示によって貫かれている。史学もまた、それが絶対正しいという論理の上に始まり、成り立ってきた。
 
この世界は矛盾に満ちているが、その矛盾と仲良くしながら生きていくのが建前だというのと同じようなものである。天皇論はその矛盾をついて論説が可能であるが、人生は矛盾に真面目に対峙すると性格が破綻し、社会生活が難しくなる。大人ならその使い分けはできなければならない。天皇系譜の断絶を論じるのはこの国では許されているし、社会矛盾に立ち向かうほどの死活問題にはあまりならない。

さて、男系天皇・女系天皇の構造が理解できたら、続いてその系譜の断絶があったらしき継体大王と、彼のスポンサーだった息長氏の「百済由来」について書いていきたい。
 
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古代~近世の場合、天皇はあくまでも「共立された日本」の象徴的まとめ役であって、絶対君主だったわけではない。たとえ天皇がすべて男系であろうとも、実際の政務・実権は宰相や摂関家にあった。だから飛鳥時代前半を欽明から始まった時代と捉えるのは大学試験の解答として正解である。しかし、実権を握っていたのは母方の蘇我本家氏であったのだから、世界史的に見れば、飛鳥時代上半期はまさに蘇我王家だった時代なのである。
 
それをひっくりかえすのが教科書的には、中大兄皇子と藤原鎌足であると『日本書紀』は言う。それが正しければただの政権交代でしかない。しかし実際の大化の改新は母方息長系の孝徳であったのは間違いがない。
 
ゆえに鎌足は是が非でも息長系の女性との政略的婚姻を望む。蘇我馬子が物部守屋の妹を娶ったようにである。
 
 
このように『日本書紀』は本心をちゃんと言わない箇所がかなり多い書物である。
それが顕著に現れるのが、王朝の交代時期であることは言うまでもない。
 
仲哀から応神への交代劇、そして武列から継体への交代劇が、最大の編集者の手腕の見せ所である。
 
 
 
 
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