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韓国考古学による百済建国以前の韓半島古代史と倭/息長氏結語

 
 
韓国考古学による韓半島古代史 考古学的把握
 
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「百済(伯済?(「三国志」)、くだら・ペクチェ)には、辰韓(秦韓・しんかん・ジンハン)を基盤として発展した新羅(斯蘆、しらぎ・シルラ、シロ・シラ・シンラ)や弁韓(卞韓・べんかん・※1カラン)を土台に発展した伽耶(かや)とは異なり、高句麗(貊(はく)・濊貊、こうくり・コグリョ)系勢力が南下して建国してからしだいに馬韓(ばかん・マンハン)を併合して進出・発展した経過があります。したがって馬韓と百済はどちらか一方だけを取り出して別々にさぐるのは不可能で、少なからぬ葛藤関係のなかでそれぞれ周辺地域、とくに海を隔てた倭と相当な水準の交流がなしとられていたに違いありません。
しかし学界では、いまだに百済の建国と馬韓の併合問題に対する見解が多様で、倭との関係についても具体的な内容があきらかにできていないのが実情です。」
ソウル大学 林 永珍(イム・ヨンジン) 「百済の成長と馬韓勢力、そして倭」2003 (高 正龍翻訳)
 
()内読み方Kawakatu
韓国語発音はみな、現代韓国語の音で、古代朝鮮語ではどう発音したかわかっていないのが実情。理由は文献も民族もほとんどが失われてしまったこと、新興国家新羅を基盤にする中世以後の朝鮮が、中国漢音を模範していったためであろう。
 
※1 韓音で「カラン」は弁=カル+韓=カンがつづまった音。
 
 
◆民族
「百済王・高句麗王(夫余)等に代表されるツングース系夫余=徐族の国家であったと言う説
ツングース系夫余族の支配層(王族・臣・一部土民)と被支配層(土民中心)の韓族であった
との2説がある。
 
百済の支配層は扶余(プヨ)族=徐族であったと見られている。
百済の建国神話は系譜の上で扶余=徐とつながりがあり、26代聖王が538年に泗沘に遷都した後に国号を「南扶余」と自称していたこともあるからである。
 
『隋書』百済伝には「百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)」

という事から、雑多な系統の移民の聚落が散在する国家であったと考えられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88
 
 
◆では百済夫余族の元とされる高句麗の民族は?
「高句麗は別名を貊(はく)と言う。小河に住んでいるために小水貊と呼ばれる別種が居る。良い弓を産出する。いわゆる「貊弓」である。3世紀における「高句麗・夫余」の2国と沃沮・東濊の2部族は、すべて前漢代の「濊貊」の後裔である。日本では「高麗」と書いても「貊(狛)」と書いても「こま」と読む。」

「中国や朝鮮の史書では夫余と同じ民族と記され、その起源伝説の類似点からも、夫余と同じ民族と見られることが多い。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されている。墓制に関しては扶余と高句麗の違いは歴然としているものの、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を夫余の同種とみていたことが判る。なお、夫余は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・濊・百済(王族)など満州南部に広く分布していた」

「扶余族はツングース系 騎馬民族で鮮卑とは系統的に近」い、と言われているが、詳細は不明。
 



文献では諸説ある。ゆえに筆者Kawakatuは林の言葉にできうる限り忠実に、文献に頼りすぎず、考古学の発掘結果から判断できる、百済建国までの顛末を簡単・客観的に記したい。韓半島の民族は倭国同様そもそも、ひとりフヨ族に限らず多彩であったことは知っておきたい。そして半島の西海岸部と東海岸部では大きく民族が異なっていたこと、さらに南岸部には倭民族も多く混生していたこと、三国建国以前からの先住民族も多彩だったことはまず知っておきたい。そうした中から、西海岸部では遊牧騎馬民族の流れを汲むフヨ族が主導権をとっていった大きな歴史がある。
 
 
◆現代に到る半島の大きな区割り
 
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全羅(ジョンラ)=半島西南側、南道(ナムト)と北道(ブクト)に分かれる
慶尚(キョンサム)=半島東南部、南道と北道に分かれる
互いに対立的で、現代も同じ。政治的な対立が顕著に存続。
忠清道ほかさまざまな言語による区分けがある。
 

◆百済建国以前
紀元前3世紀に遡る。
中葉、細形銅剣時代にすでにそれら諸民族とは異なるシャーマニズム要素の強い青銅器文化が牙山湾、錦江流域、栄山江流域で開始。
中国からの戦国系鉄器流入によって大同江流域で初期鉄器時代開始。南部は遅れる。
衛満朝鮮時代が紀元前108年に終ると、混乱を避けて南下した古朝鮮移住民により半島東南部では鉄器文化定着。
紀元前前後には馬韓にまで鉄器が南下拡散。
馬韓の中心地は漢江流域、牙山湾、錦江流域、栄山江流域。
この中でソウルを中心にした漢江流域は北側に中国の楽浪郡・帯方郡・東濊などが隣接していたためになかなか目立った勢力が成立しなかった。

2世紀後半、ソウル江南一帯に土壙木棺墓(どこう・もっかんぼ)が出現(石村洞(ソクチョンドン)3号墳など)。半島西北部の古朝鮮系の土壙墓と近縁かと言われる。つまり、高句麗方面から民族が馬韓方面へ南下してきた。
3世紀、これに高句麗的な葺き石が添えられ、黒色磨研土器を副葬した「葺石封土墳」が登場。この要素は中国江南の長江流域人の「土トン墓」の発展と見られる(林)。
 
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つまり長江文明人の末裔が中国三国時代の戦いを逃れてやってきた、あるいはもっと以前から、黄河文明に押し出された長江文明人、あるいはまた後漢時代に平底両耳壷を持った人々が陸路でやってきた可能性。

このように、馬韓に百済勢力が成立してゆく過程は、常に北方からのピストン運動のように、圧迫や侵略、移住という南下移民の流れがある。これはのちに海を渡り、日本列島へも数度に渡って起きていることを想起させる。
全羅南北を通じた1~3世紀の墓制には、周溝墓・甕棺墓・土壙墓があり、それぞれ異なった民族が、それぞれに南下して、1~4世紀のうちに日本列島にまで到ることを物語り、列島では北部九州北西部に水田と甕棺墓と土器が、北東部には周溝墓と弁韓的水田や土器が、日本海側に土壙墓や周溝墓、その後高句麗的積石塚が登場して、瀬戸内海、近畿へ向かいながら四隅突出墳や双方中円墳などの各種の墓制を生み出しつつ、前方後円墳・前方後方墳へと変化することが想定できる。
 
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一方、北部九州勢力の横穴式石室は高句麗の影響を受けつつ全羅南道光州へと逆輸入されていく。百済との前方後円墳墓制でのえにしはまず北部九州が早くから民衆レベルで結び、近畿は遅れて日本海コースを確保することで4~6世紀の古墳時代に百済との交流を、北部九州から奪うような形で為政者クラス間で政治的に深めていったことを物語っていると言えるだろう。これは倭国における三世紀以降~6世紀磐井の乱に到る、考古学的中心地の移動に矛盾していない。
 
しかし、この図を見る限りでは、前方後円墳が九州より先に近畿で始まったとする畿内説がどうも疑わしく感じられるのは、筆者だけだろうか?考古学的にはしかしそうなってしまう。稲作は遠賀川から日本海経由で東へ向かい、近畿へはそれ以後入る。墓だけがなぜ纒向で始まるかが納得できない。それを打破するのが出雲と吉備という存在なのである。
 
 


 
この来訪者の中に、おそらく和邇氏や息長氏や物部氏や大伴氏たちのような、本貫を半島や長江に持っていたと思われる、記紀が言うyところの初期政権のメンバーもいたはずである。もちろん、記紀の書いた士族たちの名前を本当にあったと信じればの話しである。それらが全部ウソの名前でなかったなどという保障は、どこにもない。
 
これが息長氏分析の結語である。
天皇家を生み出したのは8世紀からそれほど遠い時代ではなかったのかも知れず、それはせいぜい天智前後であるかも知れず、それ以前はあずかり知らぬと言ったほうが、むしろ正直で真摯な古代研究態度なのかも知れまい。息長氏の系譜はその代表だと言える。
 
息長氏は天御影神の娘だという息長水依比売から始まるのだが、「あめの・みかげ」とは近江・琵琶湖南東部の三上山を指す神名であり、御影とは「花崗岩」=「みかげ石」を神格化したものでしかない。三上に行けばすぐにわかるはずだ。そこに甲山古墳があり阿蘇ピンク石石棺が「入れられている」。そこが息長氏の正体を知る聖地であり、それは5世紀までにしか遡れない。息長氏と三上氏は同じであり、しかも湖東北部の息長よりも、三上の方にこそ考古学的実態がある。息長氏は記紀の作り出した夢想であり、その実態は海を渡ってきた「はた族」=渡海してきた半島人の一種であろう。
 
 
 
 
 

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