●サルから人類へ・なぜサルだけが人類になれたか?
この最大の理由は、人類だけが獲得した脳内麻薬で説明可能だろうか?
イルカや象のように、頭の良いとされる動物も実は人類同様、長い旅をしてきた。
彼らには脳内麻薬によるサバイバルを幸福感にする物質は生まれなかったのだろうか?
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実はこういうことを喜びとする嗜好性もエンドルフィンの仕業?
とっても人間的で情緒豊かってこと?
それとも原始的?
「1990年代ごろまでは現存生物種(ゴリラやチンパンジー)からの類推にて霊長類の起源がアフリカであるとの説が一般的であったが、最新の研究によると霊長類の起源はアジアであることが分かってきた(Beard)。
なお霊長類の最古の化石は、白亜紀末期の北アメリカ西部から発見されており、プレシアダピス類(偽霊長類)と呼ばれる。このように、霊長類の進化は約6500万年前、白亜紀末期頃に始まったと考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E7%9B%AE#.E9.80.B2.E5.8C.96
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サル類の生息域
グレート・リフトバレー(アフリカ大地溝帯)
グレート・リフトバレーの地殻変動により、湿った赤道西風がさえぎられてアフリカ東部が乾燥化し、森林が草原になったことが、人類の誕生に関係があるとみられている。」
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history01.html
グレート・リフトバレーの地殻変動により、湿った赤道西風がさえぎられてアフリカ東部が乾燥化し、森林が草原になったことが、人類の誕生に関係があるとみられている。」
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「ケニアやタンザニアをはじめ、大地溝帯周辺では人類化石が多数発掘されている。これは、この地域は火山活動による堆積物が大量にあるため、化石が残りやすいからだと考えられている。発見される人類化石の多さから、大地溝帯は「人類生誕の地」とも呼ばれる。かつて最古の猿人とされていたアファール猿人は、アファールホットスポットのあるアファール地方で発見された化石人類である。
一方で、大地溝帯の形成が初期人類(ヒト科)の誕生を導いたとする仮説もある。フランスの人類学者イブ・コパン(コッパン)によるこの仮説は、「イースト・サイド・ストーリー(イースト・サイド物語)」と呼ばれている。アフリカ東部は、元来は現在のコンゴなど大陸中央部と同様、熱帯性の大森林に覆われた地域であった。しかし、800 - 1,000万年前に大地溝帯の活動が始まり、その周辺に高地や山脈を含む隆起帯が形成されたことにより、大西洋側から大陸東部に湿った空気を運んでいた赤道西風がさえぎられると、大地溝帯の東側は徐々に乾燥して森林が衰退し、やがてサバンナ(草原)に変わっていった。
森林に住んでいた多くの類人猿は、この環境の変化に適応できずに絶滅したが、ヒトの祖先は樹上から地上に降りて、直立二足歩行に移行した。すなわち、乾燥化によって木と木の間隔が広がったことにより、木から木への移動を行う際に地面に降りる必要が生じ、ついに直立二足歩行を獲得した、とするものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E6%BA%9D%E5%B8%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E6%BA%9D%E5%B8%AF
※注
(この仮説は、一時は人類の起源についての定説となっていたが、その後の調査で、初期猿人の化石と共に、森林に棲息する哺乳類の化石が発見されると、猿人は森の中でも暮らしていたのではないかと考えられるようになった。さらに、2001年、ミシェル・ブルネ率いる国際研究チームによって、大地溝帯からはるかに離れた中央アフリカのチャド北部で、トゥーマイ猿人(サヘラントロプス・チャデンシス、600 - 700万年前)が発見されたことにより、最初期の猿人がアフリカ東部以外の地域にいたことが明らかになった。こうした新たな知見により、コパンのサバンナ説は否定的に再検証されるようになり、現在、多くの研究者は否定的な立場をとっている。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E6%BA%9D%E5%B8%AF
(この仮説は、一時は人類の起源についての定説となっていたが、その後の調査で、初期猿人の化石と共に、森林に棲息する哺乳類の化石が発見されると、猿人は森の中でも暮らしていたのではないかと考えられるようになった。さらに、2001年、ミシェル・ブルネ率いる国際研究チームによって、大地溝帯からはるかに離れた中央アフリカのチャド北部で、トゥーマイ猿人(サヘラントロプス・チャデンシス、600 - 700万年前)が発見されたことにより、最初期の猿人がアフリカ東部以外の地域にいたことが明らかになった。こうした新たな知見により、コパンのサバンナ説は否定的に再検証されるようになり、現在、多くの研究者は否定的な立場をとっている。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E6%BA%9D%E5%B8%AF
だからといって、ではなぜサルが平原に出たかの理由がこれでははっきりさせられていない。
これまでの定説のほうが、割合、整合に見える。)
なぜ猿人は森を出たか?
その理由はまだ明確ではないが、大きく二種類の考え方がある。
猿はアフリカ東部などの森を、
1 なぜだかわからないが自らの意思で出た
2 森林が平原になったために仕方なく草原に出て、次の森を探さねばならなくなった
その理由はまだ明確ではないが、大きく二種類の考え方がある。
猿はアフリカ東部などの森を、
1 なぜだかわからないが自らの意思で出た
2 森林が平原になったために仕方なく草原に出て、次の森を探さねばならなくなった
どちらが整合かとするなら2には因果の整合性があるように見える。
1には、その原因を明確にする今後の論理が必要である。
1には、その原因を明確にする今後の論理が必要である。
ここでは一応、わかりやすい2の説で人類発祥を説明していく。
森林が平原化したことで、アフリカ東部大地溝帯付近に暮らしていた猿人たちは、次の森を探しに旅立たねばならなかったようである。もちろん東部以外にも猿人は生まれていたが、まずはそれはおいておいておく。また、なぜアフリカだけでサルから猿人への進化が起きたかも、ここでは明確な説がまだないので置いておこう。
森林とは違って草原には弱者が身を護るための隠れ場所がない。そこで猿人たちは次なる森を探しに拡散した。
中でも大地溝帯がその通路になり(肉食獣がいないから安全だったからか?これはわからない)、人類への進化がはじまった。
(この中でのちのサンのようにそのままブッシュにとどまった種族と、そこからさらに長い旅に出た種族がいたようだ。)
長時間の旅をするために疲れない肉体が必要だった。
四足は長期歩行に向かないと言う説である。
直立することで両腕が自由になり、ゴリラやチンパンジーのような出っ張ったアゴが退化し、これが脳を大きくしていった。
自由になった両手で、道具が作れるようになった。
手を使うことでなおさら脳は発達した。
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注2(ここで疑問なのは、動物の中でも動物も環境に応じて南下や北上の旅を平原で展開したのに、なぜ人類だけが直立し脳が大きくなったかであろう。また海洋哺乳類のクジラ。イルカ・シャチなども移動回遊する。しかし人類にはなれなかった。サルだけが人類になれた理由は?どうもその理由は五本の指を持ったためではないか?イルカの表情を見ると、いつも笑っているような顔である。あれは幸福感のためかも知れない。頭脳の進化したこれらの動物たちの脳内には麻薬物質があるはずだ。しかし人類ほど発達しなかった。そこにはそもそも痛覚を感じる脳機能の未発達が関係しそうである。)
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こうして長旅を始めた猿人たちは最初に、エジプトナイル川の森林にたどりつく。しかしここも砂漠化し、つながっていたシナイ半島に到る。だがここもどんどん砂漠化し、一旦彼らは消滅した?
アラビア半島経由は、紅海が干上がったために可能になったという。
この種族がいわゆる人類へと進化拡散していったというのが、現在の有力な説である。
ここから欧州へ向かった種族は深い欧州の黒い森林にめぐり合い、多くはここで満足したために、いち早く定住していった。
しかしアジアの東部や北部へ向かった種族は過酷な旅になる。
東部ではインド亜大陸やスンダランドの森に出会う。
しかしカスピ海から北部へ向かった種族は久しく森林にめぐり合えなかった。彼らこそが日本人北方系遺伝子の大元になる。
北方縄文人も、あとからやってくる弥生人もこの種族から出てくる。
さていずれにしても、このはるかなる長旅は砂漠化時代や氷河時代を乗り越えねばならぬ、過酷な旅だった。
そこで人類の脳が生み出したのが、その不条理で苛烈なサバイバルの痛みを、幸福感へと止揚させる脳内麻薬だったわけである。
そこで人類の脳が生み出したのが、その不条理で苛烈なサバイバルの痛みを、幸福感へと止揚させる脳内麻薬だったわけである。
この能力は、地球が温暖で住みやすくなった北半球での定住が可能になると、暮らしが安定してその能力が弱まる。つまりそのまま苛烈な砂漠地域に住んでいる人々には感性が発達した右脳が存続できるが、先進地域では左脳が発達しはじめたのだろう。古代まで、北半球人類は呪術や土器に右脳的マトリックス志向を強く示しているが、次第に神秘的な現象を信じなくなっていったと見られる。それは論理的な左脳が発達し、言語を持ったためであろう。
アフリカに残ったサンたちの言語は、舌を打つ音階言語や、Nで始まるわれわれには難しい発声を残存させている。これは右脳進化と左脳進化の相違で理解できそうである。
そうなると新石器時代以降、脳内麻薬と右脳的な神秘主義は、左脳的な論理主義によって脳内に押し込められるようになっていく。これが先進国家におけるストレスや欲求不満を生み出すのである。そこで物理的にそれを補うものとしてアルコールやタバコや麻薬が作り出される。ところが過酷な砂漠だった中東地帯などが今でも禁酒しているように、環境が苛酷である地域ではどうやらアルコールやタバコなどが無用だったようなのである。つまり呪術・シャーマニズムの強い残存などとエンドルフィンのような麻痺物質の残存は因果関係があるのではないか?と思えるのだ。
そうするとイスラム世界がいつまでも争いをやめないこと、南洋の島人が海を乗り越える冒険をしていくこと、そしてアフリカ人のいつまでも古代生活の残存などが脳内麻薬によって説明できるわけである。
先進地域のわれわれの中に、まれにこの能力が強く残される人がいる。
つまり登山者や修験者や植村直巳や三浦雄一郎やスポーツマンたちのような、進んで痛みや困難に突き進んだり、むしろ自分を痛めつけることに快感を覚えるマゾヒスティックな志向を持った人々。そして古代の神秘的信仰や、超常現象を頑なに信じる人々である。彼らの残存は、幼児期における右脳発達の残存と、エンドルフィン類の衰弱がなぜか少ないということで説明できるのである。
そしてそれはおそらくガン細胞などと同じように、遺伝子形質の遺伝によるものではないかと筆者は思うのである。
そのメカニズムはいまだにわからないけれど・・・。そしてわれわれの進むべき道が、今のような左脳優先で果たして正しかったのかという根源的疑問も持っている。どうも化石燃料などの枯渇を見ていると、論理的人種のほうが滅びにより近づいていっている気がしてならないのである。
(サルはなぜアフリカだけで人類への道を歩き始めたと西欧科学は決め付けるのかも、今後の課題である。当然、サルはアジアのほうが古くからいて、発祥したのは北米西部であるのだから、別の進化が起きても不思議ではない。)