纒向遺跡土坑発掘担当者の桜井市教育委員会文化財課・橋本輝彦の話
「(桃の核は)現時点で、カウントしてみたところ2300点あまり出ています。これから洗浄して出てくる分を足せば、おそらく2500ぐらいになるかと思います。
「(桃の核は)現時点で、カウントしてみたところ2300点あまり出ています。これから洗浄して出てくる分を足せば、おそらく2500ぐらいになるかと思います。
モモそのものは、成熟しているモモの実と未成熟のとがあったようです。中に異常に軽くてスカスカになっている種が一定量含まれています。とくにタネの横が口が開いてくるような感じで変形して割れているものがあるのですが、これは包丁で切ったらモモの種が切れてしまうくら柔らかく青い状態の実から出た種のようです。
もうひとつ特異なのは、発掘調査で出てくるモモの種は、ネズミ・リスなどのげっ歯類がかじった孔が側面にあいているものが多いのですが、今回はそういう種は一点だけでした。げっ歯類がかじったモモが出ていないので、木から直接採集され、果肉がついた状態で、そのまま穴に投げ込んだか、あるいはその場で人間がかじって、そのまま投げ込んでいるのだろうと考えられます。少なくとも木から落ちたものを集めたのではない。」
「大和・纒向の三世紀の居館と祭祀」対談2012
「大和・纒向の三世紀の居館と祭祀」対談2012
モモの種が大量に出た土坑は、遺跡中心地と考えられる居棺址すぐそばの大型の土坑である。
2009年11月に発掘。SK-3001とナンバリング。庄内3式土器、魚類骨などととともに供出。従って「食べた」説はかなり濃厚である。また時間的にも居棺柱を一部取り払ったあとに穴が掘られているため、3世紀の穴かどうかは不明。言うならばゴミ穴?
ほかにコメ、ヒョウタン、瓜、スモモ、麻、クリ、ササゲ豆も出た。同時にモモをいれていたらしいカゴも出ているらしい。
ほかにコメ、ヒョウタン、瓜、スモモ、麻、クリ、ササゲ豆も出た。同時にモモをいれていたらしいカゴも出ているらしい。
また木製品も多数出ている。
◆SK-3001ドコウ出土遺物一覧
「動物遺存体 土坑から出土した動物遺存体には魚類・両生類・鳥類・哺乳類
魚類はイヮシ類・タイ科(マダイ・ヘダイ)・アジ科・サバ科・淡水魚の骨や歯
種類の判然としない骨や鱗などの遺存イ本も数多く含まれており、今後の検討により若干増加する可能性があります。
「動物遺存体 土坑から出土した動物遺存体には魚類・両生類・鳥類・哺乳類
魚類はイヮシ類・タイ科(マダイ・ヘダイ)・アジ科・サバ科・淡水魚の骨や歯
種類の判然としない骨や鱗などの遺存イ本も数多く含まれており、今後の検討により若干増加する可能性があります。
また、両生類ではカエル類、鳥類ではカモ科?(胸骨)、哺乳類では蓄歯類-ニホンジカ(中手骨・中足骨)ーイノシシ属の骨や歯などが確認されています。
このうちカエル類・語歯類は出土状況などから供献されたものではなく、 自然に混入したものと考えています。
植物遺存体 植物遺存体には種実と花粉があります~
種実は総数にして9,760点もの出土がありましたが、 この中で栽培種とみられるものにはイネ 938 点・アワ 74 点・ヒエ 2 点~モモ 2,765 点・スモモ 52 点・アサ 535 点?エゴマ 24 点・ウリ類 2,076 点・ヒョウタン類 2ー3 点・ササゲ属 3 点などがありました。 野生種の中にもカヤー点・ヤマモモ 36 点・クリ2点・シイ 5 点?キイチゴ~属 2 点~ムクノキー4 点・ブドウ属 22 点・マタタビ~ ー8 点・サルナシ ー5 点・サクラ属サクラ節 3 点~ヒメコウゾ 480 点・ヤマグワ 23 点・グミ属 4 点~ニワトコ フ 点・ガマズミ属 ー 点などの食用となる植物がありましたが、
種実は総数にして9,760点もの出土がありましたが、 この中で栽培種とみられるものにはイネ 938 点・アワ 74 点・ヒエ 2 点~モモ 2,765 点・スモモ 52 点・アサ 535 点?エゴマ 24 点・ウリ類 2,076 点・ヒョウタン類 2ー3 点・ササゲ属 3 点などがありました。 野生種の中にもカヤー点・ヤマモモ 36 点・クリ2点・シイ 5 点?キイチゴ~属 2 点~ムクノキー4 点・ブドウ属 22 点・マタタビ~ ー8 点・サルナシ ー5 点・サクラ属サクラ節 3 点~ヒメコウゾ 480 点・ヤマグワ 23 点・グミ属 4 点~ニワトコ フ 点・ガマズミ属 ー 点などの食用となる植物がありましたが、
食品として集められたものか否かは判然としません。また丶花粉の分析からも多様な植物の存在が確認されてし`ますが、特筆すべきものには多量のサクラ属(モモ型)の存在があります。」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=WG0XlTZxcv8J&p=%E7%BA%8F%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1+SK-%EF%BC%93%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%91%E5%9C%9F%E5%9D%91+%E5%87%BA%E5%9C%9F%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7&u=www.city.sakurai.nara.jp%2Fmaki_c%2Fpdf%2Fm168%2520shizen.pdf#search='%E7%BA%8F%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1+SK%EF%BC%93%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%91%E5%9C%9F%E5%9D%91+%E5%87%BA%E5%9C%9F%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7'
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シカの手足骨は食用にはなりにくく、骨角器の材料ではないか?
カモ大の胸骨だけが出たというのも骨角器の材料か?
カモ大の胸骨だけが出たというのも骨角器の材料か?
ここからはしばらく対談の内容を追ってみよう。
橋本 金原先生(奈良教育大学・金原正明 きんばら・まさあき)のお話では、野生に近いモモの木には一本あたり、だいたい100個くらいしか実がならないのではないかということです。そうなるとモモの木が20~30本は必要ということですね。
辰巳 まだ熟していない実も採るということは、一度にそれだけの和を集めなくてはならないということでしょうね。
橋本 そうですね。木になっているものを全部採ってしまうということだと思います。
辰巳 2500個とか3000個ものモモの果実となると、あの土坑がほぼいっぱいになるのでは?
橋本 いや、そんなにはならないと思います。土嚢袋一杯でもたぶん500個~600個くらい入るかもしれませんから。
橋本 そうですね。木になっているものを全部採ってしまうということだと思います。
辰巳 2500個とか3000個ものモモの果実となると、あの土坑がほぼいっぱいになるのでは?
橋本 いや、そんなにはならないと思います。土嚢袋一杯でもたぶん500個~600個くらい入るかもしれませんから。
石野 穴から籠が出ているよね。その大きさの籠で、2500個盛ってみたいね。それで何個になるのかな。
橋本 一個だけ大きな籠が出ているので、それだとたぶん(ひと籠につき桃の実が)1000個とはいいませんが、かなりの量を盛ることができると思います。
(そうじゃない何個の籠かと石野は聞いているんじゃないのかな?筆者)
黒田 運搬用とか廃棄用に集めて処理するのなら、それはそれでいいのですが、捧げ物だと仮定したら高杯などの器に盛るでしょう。ヒトツの器の上に盛る量は、しれているのではありませんか。
石野 黒田さんの復元したいちばん大きい建物Dでは、ズラリと籠に入れて並びますか?
黒田 充分でしょうね。
橋本 果肉はかなり小さいので、たぶんコンテナいっぱいに入れたら1000個は入ると思いますから。それほど・・・。
黒田 今の神社祭祀で捧げ物をするときには、高杯の上に載せるのではないでしょうか?
石野 黒田さんの復元したいちばん大きい建物Dでは、ズラリと籠に入れて並びますか?
黒田 充分でしょうね。
橋本 果肉はかなり小さいので、たぶんコンテナいっぱいに入れたら1000個は入ると思いますから。それほど・・・。
黒田 今の神社祭祀で捧げ物をするときには、高杯の上に載せるのではないでしょうか?
(どうやら桃のイメージを黒田は間違えていないか?古代桃の大きさは梅の実程度である 筆者)
辰巳 そういう高杯に盛った山が回りにずらりとあるという状況?
橋本 高杯はそんなに多くは出てません。
石野 籠は何個ほど?
橋本 六個くらいです。
その程度・・・。何年間も祭祀を継続したとすれば、少なすぎる。
石野 どうしてモモより器が少ないのだろう?
橋本 高杯はそんなに多くは出てません。
石野 籠は何個ほど?
橋本 六個くらいです。
その程度・・・。何年間も祭祀を継続したとすれば、少なすぎる。
石野 どうしてモモより器が少ないのだろう?
(少ないのではない、実が小さいのだ。わかっていない)
ここまでで見えてきたのは、居棺の中で祭祀に用いたモモを、祭祀が済んで穴に捨てる係りが、どうも食べていたこともありそうである。道具とともに捨てられているのだから祭祀の供物だったのだろう。魚などもそうであろう。
それらを食べずに捨てなかった可能性もある。魚は骨だけが焼かれたものもある。食べた後に骨占いだろうか?
それらを食べずに捨てなかった可能性もある。魚は骨だけが焼かれたものもある。食べた後に骨占いだろうか?
辰巳 モモの季節に、熟していようが熟していまいが、多量のモモの実を一気に集めていますね。それも従来の発掘では知られていない量です。それを使用した祭祀となると、従来の日本的なマツリとは考えられません。思いつくのはいわゆる西王母を祭る行為ではないか。西王母の宮殿の中心に巨大な桃の木(蟠桃=バントウ)があって、それは3000年に一回実をつけるといいます。
西王母は古代中国の人々があこがれた不老長生の神仙界、崑崙山を支配する仙女です。神仙思想が倭列島へ早くから伝わっていたことは、唐古・鍵遺跡の第八十調査で、弥生時代中期後半の溝から出土した褐鉄鉱の殻状をした物体によって証明されています。(太一禹余糧)。不老長寿の仙薬として服用されたことは『抱朴子』にもみえます。
西王母は古代中国の人々があこがれた不老長生の神仙界、崑崙山を支配する仙女です。神仙思想が倭列島へ早くから伝わっていたことは、唐古・鍵遺跡の第八十調査で、弥生時代中期後半の溝から出土した褐鉄鉱の殻状をした物体によって証明されています。(太一禹余糧)。不老長寿の仙薬として服用されたことは『抱朴子』にもみえます。
→太一禹余糧・禹余量、鳴子石、褐鉄鉱容器→
石野 弥生時代中期段階で九州の甕棺から鏡がたくさんでてきますが、あれには西王母や東王父というのは描かれていましたか。
辰巳 中期にはみられません。
辰巳 中期にはみられません。
石野 その段階に、九州の人たちが中国の神仙思想を受け入れているということはいえますか。
辰巳 いえると思います。ただ、受け入れ方が違いますね。畿内では褐鉄鋼の容器に仙薬が入ったものを意識しています。また、銅鐸に西王母と思われる桛(カセ)を持つ人物を表現する例があるのも注目されます。
桛を持つ人物銅鐸
辰巳 浙江省紹興で出土した後漢時代の画像鏡には西王母と、それにかしずく仙女が桃を捧げた図像が見えます。西王母の一方には、ひざまずく羽人(うじん)がいて、なにかおねだりしています。
右側が古代桃、左は今の桃
■ モモは、植物学的にはアーモンドの親戚で、アーモンドと同様に野性種である。原産地は中国の北西部、黄河の上流域といわれている。誕生したての頃のモモ(桃)は“毛毛(モモ)”と名付けられた通り、硬い果肉の表面がたくさんの毛で覆われていた。ちなみに『万葉集』のモモを詠んだ歌でも、「毛桃」(けもも)と表記されている。
■ 現在われわれが果物屋の店先で見かける白桃は、明治32年(1899)に岡山県で発見された桃の突然変異で、水蜜桃の一種である。缶詰に加工されて出回ることが多い黄桃も、水密桃の一種である。こちらは中国から西に伝わり果肉が黄色に変わったとされている。
■ 現在までに日本で確認されている最古のモモの種は、長崎の縄文時代晩期の伊木力(いきりき)遺跡から見つかっている。弥生時代の古墳からもモモの種が発見されていて、栗や他の木の実、農作物と同じ様に栽培されていた可能性が指摘されている。しかし、この時代のモモは、現在のスモモかウメほどの大きさしかなく、コダイモモと呼ばれている。纒向遺跡で大量に見つかったモモの種も、コダイモモのものである。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-4/2010_0919.htm
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