安倍晴明は書物によって表記が二種類ある。
本名は安倍晴明で、「晴」を用いるから和風の読み方は「はるあき」であろう。
一方民間が言い伝えた物語の主人公は清明で、「清」を用いるものが多い。
つまり信太の森から発せられたこの陰陽師の親分は、実は実在の人物ではないことが明白である。
民間陰陽師たちはその名前の一文字を変えていくことで、この話が空想物語であることをちゃんと表現し、実際の宮中にいた陰陽師である安倍晴明をイメージさせつつも、荒唐無稽で奇想天外な夢物語を語りやすくしたのである。
一方、敵役にされた蘆屋道満の方はどうだろうか。
物語には必ずライバルが登場する。そうしないと話が扁平になりふくらませにくいからである。
表裏、二極の対立はファンタジー・冒険小説などの常道である。
民間陰陽師たちは当初、蘆屋道満系を自認し名乗ったものが多い。
物語には必ずライバルが登場する。そうしないと話が扁平になりふくらませにくいからである。
表裏、二極の対立はファンタジー・冒険小説などの常道である。
民間陰陽師たちは当初、蘆屋道満系を自認し名乗ったものが多い。
近世中期になって清明譚が広まるとこれがみな勝ったほうの土御門系に意趣がえしていく。道満伝承を最も強く残存させたのは播磨と吉備地方である。(高田豊明『晴明伝説と吉備の陰陽師』2001)
道満のモデルとされるのは寛弘六年、中宮彰子(ちゅうぐう・しょうし、あきこ)への呪詛事件に関わった人物とされるが実態はよくわかっていない。この事件について秦氏末流の明法家(みょうほうか)の惟宗允亮(これむねこれすけ)が編纂した『政治要覧』が詳しい。となると道満が秦氏系陰陽師である可能性もあり、あるいは物部系であったか、中臣系であったか、いずれにせよ、中央に近い氏族の呪術系のもので、それが負けることで被差別の人々が溜飲をさげたいような人物だったのだろう。
その出自を沖浦は兵庫県芦屋地名の由来と見て、播磨の渡来人、蘆屋漢人(あしやの。あやひと)に求めている。蘆屋氏は播磨のほか和泉にも「百済おほからき王より出ず」と『新撰姓氏録』にある葦屋村主(あしやのすぐり)一族もいた。
もしや民間陰陽師たちの間に清明派、道満派の大きな二派がもともと存在したのかも知れない。つまり朝廷神道シンパ、宝印シンパである。彼らには傘下に入るべき派閥パトロンがいたであろう。世阿弥親子なども足利に囲われねば食えていけなかった。
陰陽道の聖典とされるのが正式名称「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん おんみょうかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう)」といい、「金烏玉兎集」とも略称される書物である。一般に『簠簋内伝』(ほきないでん)と呼ばれる。
有名な「蘇民将来」譚はこの書物の中にある。
いわゆる漂泊する来往神・武頭神(むとうのかみ)=牛頭天王=スサノヲが主人公。
渡来系が伝えた話であろう。
朝鮮で、芸能民は漂泊する貴種だった。
その中から例えば集団の若手がある種のサンクチュアリを作り出していくのが「花郎」で、これが旅役者集団の用心棒のように武芸を磨く。これが武士団の最初の形かとも思われるが、要するに美形男子の用心棒・・・やくざに近いが・・・この形式は日本のお祭における男子による主導形態の中にもよく似た小集団が作られていた。古今伝授のために若手を鍛え上げる。特殊なルールを作り、山野をかけめぐり体と精神を鍛え上げる民間集団である。修験道に共通性を持つ。修験もここから始まったか?
六月・七月に全国神社で繰り広げられる「夏越し祭り(なごしまつり)」=祇園祭などもこうした集団が主導した。
播磨の広峰神社はその祇園神社だとされ、牛頭天王総本社と「由来書」に書かれている。
広峰山は新羅国山という別名があって「新羅国明神」が祀られ、朝廷の式内の外にあった神社。ちょうど鹿児島の韓国岳のようなものか。これらの神社は大和飽波(あくなみ)にもあって声聞師系集落の末社であるから、彼らが主導したのだろう。
広峰山は新羅国山という別名があって「新羅国明神」が祀られ、朝廷の式内の外にあった神社。ちょうど鹿児島の韓国岳のようなものか。これらの神社は大和飽波(あくなみ)にもあって声聞師系集落の末社であるから、彼らが主導したのだろう。
明治以後は、牛頭天王は引っ込められ、記紀のスサノヲに変わってゆく。そもそもスサノヲは新羅に由来のある、天神か地祇かが不明なところのある神である。渡来系はこの神を渡来神とする傾向が強い。蘇我氏や秦氏の辛島氏などもスサノヲを祖神にしている。
これらの書物や伝承では、吉備真備こそが阿倍仲麻呂とともに陰陽道の祖であるとされている。もっとも民間伝承は吉備真備を清明にしている例も多々ある。安倍晴明が阿倍仲麻呂の直系子孫であるなどという逸話も彼らから出た。
ここで申しておかねばならないのは、いわゆる偽書と言われる神代書物のたぐいである。
『上記』『富士宮文書』『竹内文書』などなど虚虚実実の歴史書であるが、ファンも多いようだ。
しかしこれらの書物はみな被差別にされた旧王家をあおぐ人々・・・つまりえた・ひにん・しゅげん・しょうもんじなどの中からうまれ出て、その後、何度も何度も手直し上書きがあった「もうひとつの国史」であり、これに触れることは裏日本史の後戸を開くことになる。日本の神道の裏側にいまだに残存する秦氏など被差別に深いかかわりを持つ管理者子孫が伝えた、宮中のうしろがわにある信仰集団がいくつか残存している。これに気安く立ち入るものがある。危険なことである。
『上記』『富士宮文書』『竹内文書』などなど虚虚実実の歴史書であるが、ファンも多いようだ。
しかしこれらの書物はみな被差別にされた旧王家をあおぐ人々・・・つまりえた・ひにん・しゅげん・しょうもんじなどの中からうまれ出て、その後、何度も何度も手直し上書きがあった「もうひとつの国史」であり、これに触れることは裏日本史の後戸を開くことになる。日本の神道の裏側にいまだに残存する秦氏など被差別に深いかかわりを持つ管理者子孫が伝えた、宮中のうしろがわにある信仰集団がいくつか残存している。これに気安く立ち入るものがある。危険なことである。
古くは暗殺集団も擁していたこれらの集団からはやくざやてきやにつながるものもあるのである。
ちなみに大友氏にも蝦夷とか渡来とか被差別系武士団であった可能性が高い。
残虐さは大陸的である。
そしてさらに思うのは軍部をささえていたものにも、そうした流れがなかったとは言えない。軍部の残虐な行為には渡来武士のにおいが漂っている。
さわらぬ神に祟りなし。いいでしょうか?ぼくも含めて素人はさわらないほうがいい世界は、まだちゃんとあるのである。