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無為自然/孔子問礼

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「「孔子」が礼について「老子」に教えを乞うたことがありました。
老子は戒めて

「古代の賢人は空言のみ残って、骨は朽ちている。
君子など時流に乗れなければ、あちこち転々とするだけだ。
そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子とかたよった思考を取り去りなさい」
と教えたといいます。
 
孔子がもったいぶった態度をとって、
ある種傲慢だったことは、いろいろな文献に見られますが、
面と向かって、その態度を批判したところが、「老子」の凄さですね。
 
孔子はその感想を
「鳥や獣や魚など、様々な動物はそれぞれ捕らえる方法がある。
しかし竜だけは、風雲に乗じて天に昇ってしまうため、捕らえようがない。
老子もまた竜のような人物だといえようか。」と弟子に語ったとされます。
孔子も老子のことを尊敬していたことが伺えますね。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1323300178
 
 
 
この逸話を「孔子問礼」と言う。
 
 
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諸星大二郎『孔子暗黒伝 Ⅰ赤気篇』より
 
 
 

「「孔子問礼」
この伝説は奇妙なものであるが儒教側からは老子が孔子に教えたことが奇妙なことで、老子を孔子の上におくために道家がつくった物語であるとされてきた。しかし、道家にとっても話しの筋が通らないことで、老子が「道」でなく「礼」を教えたことは奇妙なことである。老子三十八章でも礼は末のこととされてるからである。道や仁義を教えたと言うのであれば私も道家の作り話であるとすることに不信は抱かなかったろう。道家にとっては関心がない礼とはどんな概念なのか? 
 
まずは日常の立ちふるまいの礼儀作法であろう、それから冠婚葬祭の儀礼であろう、さらに国の王朝儀礼でもある。ここまではわたしも予想したことであったが。しかし、それに止まらず政治制度・法律制度を含み、周と諸侯の国家・宗族関係をも規制するものらしい。それが本当なら周王朝文明そのものであることになる。そうであるなら、『孔子家語』に孔子が礼を習い終えて「周より魯に帰りて、道いよいよ尊し。遠方より弟子の進むこと、蓋し三千。」(『史記』の孔子世家にも異文あり)と誌されていることは周で老子に学ぶことで孔子は学問の大本を完成したのであり、儒家にとって重大な意義ある出来事であったのである。
 
さて、『論語』の子張編では次のように記す「衛の公孫朝が子貢に問うて云う、孔子はだれのところで学ばれたのでしょうか。子貢云う、文武の道(周王朝の文明)はまだ完全に衰退したのではなく、人々が伝えています。賢者は多くを知っており、賢人でなくとも少しは知っています。ですから、周の道はどこでも残っているものなのです。どこそこで学ぶ必要はありません、決まった師につく必要もないのです」。
 
ところが、『呂氏春秋』の「当染」では正しい教えを受けることが大切であると説かれる話の中で次のようにある。
「孔子は老タン・孟蘇・キセイシュクに学ぶ。さて、魯国の惠公は臣下の宰譲に、郊廟の礼について周国の桓王に教わるよう請わせた。そこで、桓王は請いに答えて史角を魯国に派遺した。魯国の惠公は史角を魯に永住させたので、その子孫が残っていて墨子が礼を学ぶことができた。」」
 
 
 
 
老タンというのが老子の名である。
「老子は、姓は「李」、名は「耳」,字は「耼」(または「伯陽」)。楚の国の苦県(現在の河南省鹿邑県)、郷の曲仁という場所の出身で、周国の守藏室之史(書庫の記録官)を勤めていた。孔子(紀元前551年 - 紀元前479年)が礼の教えを受けるために赴いた点から、彼と同時代の人間だったことになる。
 
「老子」という名は尊称と考えられ、「老」は立派もしくは古いことを意味し、「子」は達人に通じる[15][16][17][18]。しかし老子の姓が「李」ならば、なぜ孔子や孟子のように「李子」と呼ばれないのかという点に疑問が残り、「老子」という呼称は他の諸子百家と比べ異質とも言える。
 
出身地についても疑問が提示されており、『荘子』天運篇で孔子は沛の地(江蘇省西北)に老子を訪ねている。また「苦い」県、「(癩=らい病)」の里と、意味的に不祥の字を当てて老子の反俗性を強調したとも言われる。曲仁についても、一説には「仁(儒教の思想)を曲げる(反対する)」という意味を含ませ「曲仁」という場所の出身と唐代の道家が書き換えたもので、元々は楚の半属国であった陳の相というところが出身と書かれていたとも言う。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90
 
 
 
 


 
 
 
老子を敗北者の思想と言うものがいる。
彼が人生で科挙に失敗したためであろうか。
先に書いたように、宇宙の理念こそが道である、というような天文学者的な「哲学観」こそは、まさに中央官僚として出世できずに、厭世し放浪したおかげであり、これを敗者のものの考えとするのはお門違いである。むしろ、わが国がそうであったように、また漂泊者たちもそうであったように、敗者こそが哲学・真理を勝ち取る旅をしたということなのである。
それはあたかも海を回遊し、川を遡上して戻ってくるサクラマスのごとき、陸封されたヤマメの数倍のスケールの思想家になったということなのである。
 
いずれにせよ、老子はある種の伝説上の作られた教祖的色合いが強い。
例えば親鸞の教えから浄土真宗教団を創始していった弟子たちがいたようなことであるか。
イエスの教えを広めていきキリスト教を立ち上げていった使徒たちもそうだったか。
老子の場合荘子がいた。
二人は「無為自然」思想で共通する。

1 道理は無為自然とできあがる。
2 敗北と放浪が宇宙観を生み出す。
3 子供には孔子をまず教え、長じて老子が読める余裕ある心を持たせるがよい。

要するに、鉄は熱いうちに厳しく鍛えるがよいが、かといって会津のように、あまりに教え込みすぎると、いい大人になっても論語一辺倒の「石部金吉(いしべきんきち=かたぶつの代表)」になり、子供のようにかたくなに順列位階順位にこだわり大きく道をあやまる。そこそこに教えなさい。となろうか。
 
何事も行き過ぎればダメなのである。
世の中に、これは絶対間違いないなどという思想は存在しない。
右も左も一長一短はある。
間違いがないものなど人類は作り出すことができないのだ。
そういうものは天然自然の中にしか存在しない唯一の摂理なのだ。
ゆえに無為自然こそは真理だと老タンは言っているのである。
 
 
なんだ、筆者と同じこと言ってるじゃないの。
 
 
 
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